ウィーン音楽の本物の魅力は、ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団が継承した伝統によって受け継がれています。
‘ワルツ王’ヨハン・シュトラウス2世もこの“伝統の伝承”をよく分かっていました。
1844年7月31日、彼は音楽監督として43名のオーケストラを編成しようと、再考の音楽を作り出そうとする音楽家達を集めヨハン・シュトラウス管弦楽団が創設されました。
そして集まった音楽家達と共に、ヒーツィングのドムマイヤー・カジノで最初のコンサートが開かれました。
この弱冠19歳のヨハン・シュトラウス2世のこのデビューコンサートは大成功をおさめました。
楽団の評判は日に日に高まり、多忙を極めた彼は全てのコンサートの誘いに応じることができなくなり、このオーケストラを一番下の弟エドゥアルトに託しました。
エドゥアルト・シュトラウスは、1890年と1900~1901年の二度に渡り、オーケストラを率いてアメリカへ渡り、嵐のような歓迎を受けてツアーは大好評を博し、オーケストラは大陸をまたにかけ成功を手に入れたのです。
そんなヨハン・シュトラウス管弦楽団も存続の危機に陥った時期がありました。
その逆境の中、この楽団の指導者として招かれたのは、ウィーン交響楽団で活躍していたエドゥアルト1世の孫で'ワルツ王'シュトラウス2世の又甥であるエドワルド2世でした。
彼は、ヨハン・シュトラウス管弦楽団の歴史的編成を継承して、"ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団"と改称し、1966年アメリカ、カナダへ渡り再びツアーを成功させて、楽団は新たなスタートを切ったのでした。
彼がこの世を去った後もオーケストラは活動を続け、やがてウィーン・フィルの元コンサートマスターで指揮者でもあったウィリー・ボスコフスキーが首席指揮者を引継ぎ、世界各地でツアーを行いました。また、シュトラウス一族のほぼ全ての作品の録音をオーストリア放送と共に行うなどしてその名をさらに高めました。
その後も楽団は、ウォルター・ゴールドシュミット、クルト・ヴェス、アルフレッド・エシュヴェ、マルティン・ジークハルト、オーラ・ルードゥナーなどの著名な指揮者を招いて、'ワルツ王'シュトラウス一族が築いたウィンナ・ワルツの伝統を今に受け継ぎ、聴衆を魅了し続けているのです。

元ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリニスト。
国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団、プラハ国立歌劇場、ライプツィヒ歌劇場などの首席指揮者を経て、1997~2007年ノイエ・フィルハーモニー・ヴェストファーレンの総合音楽監督を務め、2010~2014年にはBBCコンサート・オーケストラの首席客演指揮者も務めました。
また2014年からはウィーン郊外のガルス城で行われる夏恒例のオペラ・フェスティバル「ガルス野外オペラ」の総監督を務めています。
これまで、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、サンクトペテルブル・フィルハーモニー管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、バイエルン放送交響楽団、北ドイツ放送交響楽団、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン交響楽団などを指揮。2008年よりウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団への客演を始め、ウィーン楽友協会ホールなどで公演を行い、好評を博しています。
100枚以上のCDやDVDをリリースする一方、オペラの指揮にも力を注ぎ、アレーナ・ディ・ヴェローナ「カルメン」、新国立劇場「こうもり」など各地で大成功をおさめ、近年は毎年本楽団とともに来日し、各地で名声を高めています。