#54 萩原天晴(漫画原作者)
26年2月4日(水) 20:00
萩原天晴さん(宮崎市出身)
「早ければ1日、2日で終わっちゃうこともあります。
でも、難航すると1週間とか下手するとかかっちゃうときもありますけど」
東京都内某所。原稿用紙と向き合うのは、今回の主人公、萩原天晴(てんせい)さん。職業、漫画原作者。

(萩原さん)
「これ面白いの書けそうと思って、こう書いていくじゃないですか。
ただ、途中まで結構書いてたところで、”あれ?これ駄目だ”ってなることもあって、
それを全部ボツにしてまた1からみたいなこともあります。別の話を考えるみたいな。」
書いているのは、現在ヤングマガジンで連載中の萩原さんの代表作『1日外出録ハンチョウ』。
萩原さんは原作担当として、ストーリーや大まかなコマ割り・セリフの書かれた”漫画の設計図”である”ネーム”を制作。

この萩原さんの”ネーム”が作画担当の2人に送られ、出版されることになります。
1日外出録ハンチョウは大人気漫画カイジのスピンオフ作品。
カイジでは敵キャラだった『ハンチョウ』こと大槻が主人公となり、24時間という限られた時間の中で、
グルメ・旅行・サウナといった究極の休日ライフハックを楽しむ様子が描かれた漫画です。
取材D) 作風と萩原さんの見た目がちょっとギャップがありますね
萩原さん)どんなイメージでした?
取材D) もうちょっとおじさんだと思ってました
萩原さん)おじさん漫画ですからね。いやでもそれはよく言われますね、会う人に。
(萩原さん)
「本当はメディアで顔とか出したくなくて。
それは何か、自分の漫画に書いている人のイメージをあまり持たれたくないというか、
持ち込まれたくないっていうのがあったんですけど。
宮崎地元なので地元(のテレビ)なら、ちょっと両親も喜ぶかなと思い(取材を受けました)。」
萩原さんは子供の頃から漫画は好きだったものの、今の仕事に就くとは思っていませんでした。
(萩原さん)
「スポーツばっかしてたんすけど、高3の、進路を決めなきゃなっていうときに、
なんかこのまま勉強して大学行って就職してっていうのがなんかこう、本当にそっちなのかなっていうのが
漠然とあって。そんなときに友達の家に行ってGANTZっていう漫画を読んで。もうめちゃくちゃ面白くて、
なんかすげえなと思って、その場で友達に”俺漫画家になるわ~”って言ったら、”おう!”みたいな。
そのまま家に帰って、親にも”ちょっと俺漫画家を目指してみようと思う”(と伝えた)。」

そんな萩原さんの唐突な決意表明を聞いたのが、宮崎在住の親友、広瀬亨樹さんです。
(親友・広瀬さん)
「”広瀬、俺、漫画家になるわ。”って、急にぽつっとつぶやいて。
僕としては”おう~”ってちょっとびっくりして、あっけに取られたんですが、
その後、急に美術部に入って絵を描き始めて、美大受験するわって言って美大を受験して、
京都の美大に合格して、そのまま漫画の道に進んでいったっていう。」
今でも定期的に宮崎に帰省している萩原さん。
連載中の『ハンチョウ』には宮崎ネタが度々登場します。
例えば、主人公ハンチョウの側近、宮崎出身の沼川と食事するシーンでは、
ハンチョウ)沼川、出身は?
沼川) 九州の宮崎ですが
ハンチョウ)なるほど。お前が食べたいものはズバリ・・・チキン南蛮!
…なんて場面や、さらには宮崎出身者同士で方言を話す場面も。
「てげうめえ」「ごつ」や、イントネーションを巧みに表現するなど、宮崎弁満載。
他にも登場する店名が、宮崎ゆかりのものであったりと、宮崎人ならニヤリとする場面もたくさん登場します。
これに対してネットでは...「ハンチョウの宮崎ネタはガチすぎる!」といった反応も。
これ宮崎の人しかわからんやろみたいな。何書いてんのみたいな感じとかでしたけど。ギャゼットとか。
東京の人はなんだろう?って、宮崎の人以外分かんないだろうなみたいに思いながら書いたりとか。
大学時代、講談社の漫画賞を受賞したことで、本格的に漫画の世界に飛び込んだ萩原さんですが、
その漫画人生は順風満帆ではなかったといいます。
(萩原さん)
「本当に1年2年何も書けない時期とかありました。牛丼屋の深夜バイトで牛丼作って、
四畳半の自分の部屋に帰って寝るみたいな日々をしてた時期もあります。その時期は本当つらかったですね。」
取材D) その当時の経験とかも漫画に書いてますよね?
萩原さん)書いてます。
(萩原さん)
「当時めちゃくちゃつらかったんですけど、今思うとその時期があったおかげで書けることとか、
今の自分があるんで、よかったなというか、何があるかわかんないなとは思いますね」
日常の些細な出来事をアイディアにする萩原さんの漫画。編集者と話しながらストーリーを固めていきます。
(萩原さん)
「今日は連載中の『1日外出録ハンチョウ』っていう漫画の次の話の打ち合わせですね。」
~打ち合わせ中~
萩原さん)前回、森くんと話したやつなんですけど、書いてみたんですけど、なんかちょっと弱いなと思ってあれが。
地下での就労期が終わって、もうあと1週間ぐらいで出るというときのそのおっさんの話っていうか
っていうのが、ちょっと良さそうかなと思っててなんだろう民主主義になった弊害の
自由のせいで苦しんでる現代人みたいなものの共感が得られたらいいなみたいな。

(ヤングマガジン編集部・濱中さん)
「こういう出来事があったとか、昔こういうことをやってたっていう。
その物事に対して、自分どう思ったのかみたいな、その感情をしっかり客観視というか、それがすごいできてる人。」
(ヤングマガジン編集部・森さん)
「その日常を読者の皆さんにすごい共感してもらえる形で切り取るのがすごい上手だなっていうふうに思っていて。
主人公もやっぱおじさんたちですけど、女性とか子供とかでも共感できることがいっぱい入ってるというか。」
萩原さんの連載デビューは2014年、その最初の連載が終了した頃 飛び込んできたのが、
大人気漫画『カイジ』のスピンオフ作品『中間管理録トネガワ』の話でした。
(萩原さん)
「担当に就いてくれてた方がその企画を”ちょっとあるんだけどどう?”って声をかけてくれて
ちょっと書いてみますということで書いたら”OKいけます”ってことで始まったって感じです。」
「結構トントン拍子にババっと決まって、もう5月に一番上に乗りますみたいな
なんか”え?もうそうなんですか”みたいな。”わかりました”みたいな。全く実感がないまま始まった感じでしたね。」
『トネガワ』は発表されると瞬く間に評判となり、
2017年には「このマンガがすごい!2017」のオトコ編で1位に選ばれます。
さらに、『カイジ』スピンオフとして『ハンチョウ』『イチジョウ』の連載も開始。
特に『ハンチョウ』はスピンオフ作品としては異例の20巻を突破。
有名人にもファンが多く、企業コラボも行うなど、スピンオフという枠にとどまらない人気漫画となりました。
その活躍に、親友の広瀬さんは―――。
(親友・広瀬さん)
「最初は信じられなかったですね。これ本当に萩原くんの作品なのかなと思ってずっと見てたんですが。
作品の中でも結構宮崎のことが登場するシーンが多いので、
やっぱり今でも宮崎を忘れてないんだなという思いはしますね。」
―――
『カイジ』原作者である福本伸行先生に憧れていたという萩原さん。
憧れ先生のスピンオフ作品を担当することについて、萩原さんの想いを聞きました。
(萩原さん)
「僕の父が家に(持っていた)『銀と金』っていう福本先生の漫画があって、それをもう小学生の頃から読んでて
難しくてわかんない部分もほとんどなんだけど、そのキャラクターとかの立ち具合とか、
もうセリフのうまさとかで十分面白いっていう。」
『金と銀』は、福本伸行作品の中でもファンが非常に多く、裏社会を舞台にしたサスペンス漫画です。
(萩原さん)
「(福本先生に)会うと、すごい褒めてくださったりとかもして、もう本当ありがたいなと。
僕にとってはもう神様みたいな存在なので、福本先生は。
当時読んでた高校生の頃の自分に”君、トネガワが主人公の漫画書いてるよ”とか言っても
多分信じてくれないだろうなとは思います。」
『ハンチョウ』などの『カイジ』スピンオフシリーズは、
福本先生は協力という形で、内容は萩原さんに任せられているんだそう。
(萩原さん)
「任せると言っていただいて。
それは本当にめちゃくちゃありがたいことだし、なので下手な漫画は書けないなとは思ってますね。」
”おーい!元気しちょる?”
学生時代、一緒に漫画を読んでいた親友・広瀬さんから、霧島焼酎の贈り物。
(萩原さん)
「うちの父が(霧島焼酎が)大好きなので、今度東京来たときに一緒に飲もうかと思います!」
広瀬さんからのビデオメッセージに少し照れくさそうな萩原さん。
ふとしたことで志した漫画道。
取材D) 漫画家になるってやっぱ難しいですよね。
萩原さん)難しいと思います。僕はもう完全に運が良かったなと思います。タイミングとか巡り合わせとか。
でもやってないと多分そのチャンスもなかったんだろうなみたいなのがあるんで。
諦めるタイミングが何回もあったんで、諦めないで良かったなって感じですかね。

#53 REO(RefRise)
26年1月7日(水) 20:00
REOさん(宮崎市出身)
「今日も仕事頑張ろうとか、つらい事があったけど乗り越えていかなきゃなという覚悟になるような
頑張れる、一歩踏み出せるような楽曲をテーマに掲げて作ることが多いです。」
「子どもたちの夢を応援したいというのが、今のRefRiseの主なテーマです。」
こう話すのは、今回の主人公REOさん。
RefRiseというハートフルボーカルデュオで、福岡を拠点に活動しています。

(REOさん)
「元々は、『芸能人』というか、戦隊ヒーローになりたくて。オーディションを、100回近く色々なものを受けて
ほとんど落ちて、3年目でやっとジュノンボーイというものに受かって。」
そして高校卒業後、俳優になるために福岡に拠点を移したREOさん。
しかし、夢を叶えることはできませんでした。
そんな時、REOさんが新たに見つけたものが―――。
(REOさん)
「ヒーローって子どもたちの夢じゃないですか。というのを考えたときに、
じゃあ自分は、”音楽で子どもたちと関われるんじゃないかな”と思って、独学で音楽を始めました。」
RefRiseは、家族愛や応援をテーマにした楽曲を歌い続けています。
また、一昨年には福岡市民会館に1700人を超える観客を集め、特別支援学校の生徒などを無料招待しました。

♪繋
僕のこの一歩であなたを救えるなら 迷わずに進むさ
僕とあなたと 一緒に繋いでいこう
―――
そんなREOさんの夢を後押ししてくれた恩師が、宮崎にいます。
高校3年間、REOさんの担任を務めた、天神哲也さんです。
(恩師・天神さん)
「(高校時代のREOさんは)明るくて、元気で、笑顔を絶やさずに毎日学校生活を楽しく送っていて、
オールマイティーにあらゆる面でリーダー的な立場に立って頑張っている生徒だった印象です。」
入学当時は進学を希望していましたが、俳優になる夢を選んだREOさん。
天神先生も、当初は反対だったそうですが...。
(恩師・天神さん)
「エンターテインメント業界はなかなか大変だなというイメージがあったので、本当にそれでいいのか?
というところを本人にもいろいろ語る機会があったんですけれども、
自分でその道に行くということを模索し始めて色々チャレンジしていたので、
”ああこの子は本当にそっちの方に行きたいんだ”と思って、担任としても応援していました。」
(REOさん)
「先生のおかげで今の自分が音楽をできていますし、芸能活動というものへの意識もしっかり高められたのは、進学校でありながら芸能に進む道を支えてくださった先生のおかげだったのというのは今すごく思っています。」
―――
取材当日、REOさんの姿は福岡市の東福岡特別支援学校にありました。
今日は出張コンサート。同じ場所でコンサートをおこなうのはこの日で3回目です。
(REOさん)
「僕の妹が障がいをもっているということもあって、そういった、障がいをもった子どもたちが
心から楽しめる空間というか、子どもたちに、ライブ――音楽というのを、肌で感じてもらうことができますし、
僕らに会ったことで、夢とか目標に向かって頑張るキッカケになればいいなと思って。」
♪family
かけがえないfamily 笑ったり泣いたり
躓く度に手をとって歩いてきた
少し長い旅にさあ出かけようか
もう一人のストーリーじゃないんだから My family

(東福岡特別支援学校・野口校長)
「子どもたちがすごく(RefRiseに)愛情を感じているみたいなんですよね。
RefRiseも子どもたちにすごくたくさん愛情をかけてくださる。
そのつながりが、(子どもたちが)これから社会に出ていった時にきっと役に立つ。
共生社会に生きる力になると思っているので、とてもいいライブだと思っています。」
♪HOME
目を閉じればいつも 浮かぶ景色が今ここにある
僕らの帰る場所みんなの帰る場所
ただいまとおかえり
愛し愛されることを 思うままにあなたが誰かに
あなたの根にあるその優しさを重ねて包み込むように
ただいま(おかえり) おかえり(ただいま)
血の繋がりがなくても関係ない 僕らはファミリーだから
(生徒)
「(RefRiseのことが)はい、好きです。」
「本当にRefRiseはすばらしく最高です」
「RefRiseは歌がうまくてカッコいいところ(が好き)です。」
―――
取材日の夜。
出張コンサートを終えたRefRiseのお二人の姿は、福岡市の「はかた魚宴」にありました。

(REOさん)
「(出張コンサートを振り返って)子どもたちの素直さというか、
ああいう真っ直ぐな子どもたちが社会で傷つけられてしまうのが俺は許せない。
こういう子たちを守っていきたいなと。未来を守っていきたいなという気持ちに(ライブをすると)なるよね。」
(RYOMAさん)
「なる。やっぱり、ステージに立っていて思うこともあるし、俺らってライブをいっぱいやってるけど、
1回しかステージで歌っていない曲を今日改めてまた歌ったらみんな口ずさんでて。
”覚えてるんだ””聴いてくれてるんだ””家帰って練習してるんだ”みたいな気持ちになることってあんまりないから、
そこをすごくやっぱり感じる。」
今年7月に10周年を迎えるRefRise。
その記念すべき年に、二度目のZepp福岡でのライブが決定しました。
(REOさん)
「もちろん前回を超えるステージ、歌、音楽。たくさんの仲間を連れてライブできたらいいなと思います。」
(RYOMAさん)
「Zepp福岡は、やっぱりなかなか取れないステージなんですけど、
あそこにまた立たせていただけるチャンスをいただけたので、全力で取り組めたらなと思っています。」
”続けよう!”と二人で熱い乾杯。
RefRiseとして活動を続けておよそ10年。
REOさんの私生活にも大きな変化がありました。
結婚。そして長女音華ちゃんの誕生です。
(REOさん)
「子どもが出来たことで、やっぱり音楽でちゃんとご飯を食べられないと子どもも好きなことをさせられないなと。
そこが一番じゃないですかね。今は。」
家族ができて、REOさんが作る楽曲にも影響が出てきたそうです。
(REOさん)
「やっぱり曲で家族の歌を歌う時に、今までよりも一層感情がのせられるようになって、
届く人の範囲も広がったのかなというのはすごく感じます。」
―――
(恩師・天神さん)
「高校時代のREOくんのクラスでの様子を改めて思い返すと、みんなを勇気づけて元気づけるような人柄だったので
そういったものを大事にしながら表現しているんだなと思って、本当に嬉しくなりました。」
”お~い!元気しちょる?”
宮崎にいる天神先生から、霧島焼酎の贈り物。
天神先生からのビデオメッセージに泣きそうになるREOさん。
(REOさん)
「あの頃の仲間と、あの頃と変わらない先生で、またみんなで集まれたら嬉しいです!
その時は、一緒に乾杯しましょう!」

紅白出場が夢だというREOさん。
夢の実現のために一歩一歩進みながらたくさんの人たちの夢を応援し続けます。
(REOさん)
「目の前にいる方々に届かないものって、多分第三者には届かないと思っているので、
一人一人目の前にいる人への感謝だとか、届けたいという思いを忘れずに音楽を続けていくことなのかなと思ってて、
そこを忘れずに音楽を続けていきたいなというのは常に心にとめています。」
#52 吉原馬雀(落語家)
25年12月3日(水) 20:00
吉原馬雀さん(宮崎市出身)
(吉原馬雀さん)
「着物を着た人間が一人で、何の舞台設備もなくおしゃべりをする。
それで、いろんな世界観をお客様にお伝えして、それが伝わるんですよね。可能性がある芸事だなと思いますね。」
東京、池袋。
宮崎市出身の落語家、吉原馬雀(よしわら・ばじゃく)。

現代の風景や世情を汲んだ創作落語を得意としています。
大学卒業後、27歳で落語の世界へ足を踏み入れた馬雀さん。
三遊亭天歌として活躍していましたが、当時の師匠とのトラブルが原因で活動休止を余儀なくされました。
その後、現在の師匠・吉原朝馬さんに再入門して、今年9月に念願の真打に昇進しました。
(馬雀さん)
「私一人では、多分、今こうやって真打興行はできていないですね。
やっぱりお客様の声、そしてなにより、私をまた噺家として拾ってくださった今の師匠である吉原朝馬のおかげ、
そのほか、業界関係者いろんな方に心配していただきましたけど、助けていただきました。」
今年の9月から、都内5か所で真打披露の興行をおこなっている馬雀さん。
この日は池袋での興行なのですが...取材陣との待ち合わせ場所はカラオケボックス!?
(馬雀さん)
「落語家の稽古っていろんなタイプがあると思うんですけど、私の場合は、ウチだとご近所に迷惑がかかるので、
ちゃんと声出してお稽古するときにはカラオケに来るんですよね。結構いると思いますね。こういう噺家さんは。」

落語家は―――。
まず、修業期間の【前座】から始まり、その後【二ツ目】に昇進。
そして最後に【真打】となり、寄席のトリを務めたり、弟子をとったりすることもできるようになります。
練習が終わって、池袋演芸場へ。
(馬雀さん)
「基本的には、一流の人たちが出演をされて、うちの師匠も出ますし。
特別なプログラムの披露口上というものがありまして、それは幹部のみなさんが私の人となりとか、
これまでの経歴を紹介してくれるんですけれど。」
披露口上。落語家が真打に昇進した際に行われる重要な儀式です。
この日の披露口上には師匠も出演し、弟子の門出を祝います。
(吉原朝馬師匠)
「(馬雀さんと付き合って)2年経ちますけど、だいぶ変わりましたよ。落語が。
声もすごく出るようになったし、明るくなったし。期待しております。」
朝馬師匠の期待の言葉に、柔らかくも身の引き締まる表情の馬雀さん。
そして、馬雀さんを応援する声は、ここにも―――。

この日の寄席の高座に掛けられていた後ろ幕。馬雀さんの真打昇進祝いとして贈られたものです。
贈り主は、馬雀さんと中学高校で同級生だった伊藤麻子さん。
伊藤さんは、同級生たちと「吉原馬雀日向学院後援会」を結成しました。
(伊藤さん)
「今までの努力が実を結んで、同級生として嬉しいな、誇らしいなと思っています。」
馬雀さんが落語家を目指すきっかけとなったエピソードを教えてくれました。
(伊藤さん)
「当時の担任の先生がラジカセを持ってきて、みんなで落語を聞こうという日があったんですよね。
馬雀さんも一緒に教室で落語のテープを聞いて、それがきっかけで落語に興味をもったと聞いています。」
(馬雀さん)
「それまでの私の中での落語というのが、ちょっと古い、名人の落語ばっかり車から聞こえてくるような、
そういう環境だったので、(教室で落語をきいて)こういう面白い落語があるのかっていう。
それがファーストインパクトでしたね。」
―――
取材当日の披露口上には、馬雀さんを見守ってきたファンも駆けつけました。
(ファン)
「彼が前座から二ツ目になるくらいの頃から噺をずっと聴いていて。あんまり上手くはなっていないですよね(笑)
だけれども、一生懸命さが全然変わらないし、本当に彼は落語が好きなんだなって、そんな気がします。」
「飲み屋さんの二階で小さな落語会をやっていて、その頃から応援していました。
いつかは、という気持ちがあったので、今日ここに来られて本当にうれしかったなあと、心から思っています。」
(馬雀さん)
「お客さんに支えられてこその商売だなというのを、大変痛感しましたね。
お客さんとの呼吸をどう合わせようかなというのがすごい課題だったんですけど、
細かいギャグとかもすごい笑っていただけたので、ありがたかったなと思います。」
―――
新宿の飲食店「宮崎みやこんじょ」。
この日は、馬雀さんのことを良く知る先輩・柳家さん花さんと、後輩・桂南楽さんとお食事です。

(柳家さん)
「(馬雀さんは)まじめだったから。いい意味で。なんか、楽屋でしくじると高座の裏を走っていって
『俺のバカ!』って言って自分を殴ってたから、すごいなあ!と。」
(桂さん)
「大変なこともあったじゃないですか。その中でも真打になって、いろんな人に祝福されて。
兄さん(馬雀さん)の人柄なんだなって。」
桂さんは宮崎市出身。
来年の1月18日に宮崎市民プラザで開催される【吉原馬雀 真打昇進披露】に桂南楽さんもご出演されるんだそう。
”お~い!元気しちょる?”
宮崎から馬雀さんを応援する、伊藤さんからの贈り物。

そして、伊藤さん、日向学院の田村校長、当時の担任・濱田教頭3人からのビデオメッセージも。
3人の激励に思わず笑顔の馬雀さん。
(馬雀さん)
「(授業で落語のテープを流した)濱田先生は、私が落語家になったことに対して
若干責任を感じている部分も感じましたけど(笑)
とにかく元気に頑張っていますので!おかげ様です!ありがとうございます!」
最後に、宮崎の皆さんにメッセージ。
(馬雀さん)
「普段は東京で落語をしておりますけれども、年に4、5回くらいは宮崎に戻って、
公民館や小さな会場で巡業させていただいております。
宮崎の人にとって身近な存在になれるような落語家を目指しておりますので
これからも応援よろしくお願いいたします!」

#51 藤岡寛生(寿司職人)
25年11月12日(水) 20:00
藤岡寛生さん(宮崎市出身)
鮨。厳選された魚貝と職人の技が光る繊細なシャリが織り成す、芸術とも言われる日本の食文化の象徴は、
国内はもちろん、世界から注目される、ジャパニーズフードです。
東京、銀座。
日本で最も地価が高いエリアとして知られるこの街のビルの一角に、一軒の寿司店があります。
「鮨 ふじおか」
店主を務めるのは、宮崎市出身の32歳、藤岡寛生さんです。
(藤岡さん)
「今年の12月で(開店して)丸2年になります。」
「今年は秋刀魚がすごくいい年なので...。(今は)秋の食材を使っているので、秋刀魚や鰆...。
あとは、宮崎で魚をやっている友達がいるので、その友達から仕入れたイシガキダイ。
地元に帰って食べたときにお寿司屋さんで食べて、美味しかったのでちょっと使ってみようかなと。」
店内は、カウンター8席のみの完全予約制。
営業は土曜のランチタイムと、夜6時・夜8時からの一斉スタート。
おまかせで提供されるその鮨を求めて、国内外の客が訪れます。
(藤岡さん)
「シャリの温度の変化というのを握りに取り入れていて、
中心70度くらいの熱い温度帯のシャリから握っていくんですけれども、熱い。
普通だと人肌くらい、36~40度くらいのシャリが、東京江戸前鮨では主流なんです。
そこをちょっと高めの温度帯で、且つ食材にあわせて、握りの温度帯を決めている、ということです。」
握りや甘味には、ルーツである宮崎の要素も取り入れています。
(藤岡さん)
「”地元がある”というのは、お店をやるうえで強みになると思うので、
そういった点でも(宮崎のものを)積極的に取り入れていて。
最後にデザートでお出しする卵焼きも、飫肥の厚焼き卵という、伝統として残っている卵焼きがあるので、
それをアレンジしたというか。
あと、今手に持っているこれがへべすなんですけど、宮崎の柑橘といえば日向夏かへべすというところなんで。
地元に帰った時に、実際に食べて美味しかったものを、これってどうなんですか?ってきいたりとか。
結構勉強しに帰る部分もあるので。銀座という場所柄から、結構海外のお客様もいらっしゃるので、
日本の方と海外の方と、まあ色んな国の方が最近多いですね。」
(中国からの客)
「とてもすばらしい、おいしいです!日本に来たら、いつも”おまかせ”。寿司を愛してる。」
(韓国からの客)
「ふじおかの寿司はパーフェクト。おまかせで食べるのは初めてだけど、すばらしい体験をさせてもらった。」
「日本に来たら、寿司は”おまかせ”をオススメするよ。」
―――
現在、スタッフは藤岡さんを含めて3人。
(藤岡さん)
「前に同じ寿司屋で働いていたことがあって。僕が社員で彼女がバイトだったんですけれども、
その時の接客でしたりお客様への気配りというのがすごく素晴らしくて。」
藤岡さんに憧れて弟子入りした男性も。
(弟子・建石さん)
「(若い師匠ですねというスタッフの問いに対して)・・・って言われているのをよく耳にします。(笑)」
「学ぶところがいっぱいありますし、憧れます。僕もこういう風になりたいなって。」
―――
翌朝、日本中から様々な食材が集まる、豊洲市場へ。
お店での白衣とはまた一味ちがった印象の私服で登場した藤岡さん。
(藤岡さん)
「普段はこんな感じなんです(笑)」
藤岡さんは、高校卒業後すぐに東京の老舗寿司店に弟子入りしました。
(藤岡さん)
「東京慣れました。もう14年住んでいるので。
でもやっぱ、東京に出たからこそ、宮崎の良さが分かるというか。食べ物もそうだし、場所柄も人の温かさも。」
ネタが味を大きく左右する寿司の世界。
向かったのは、江戸前鮨の花といわれるマグロの専門店、結乃花。
(藤岡さん)
「シャリもそうなんですけれども、(ネタも)温度で魚の香りをたててあげたり、お酒の香りをたててあげたり。」
結乃花の井手社長と話しながら見定める藤岡さん。
百戦錬磨のプロが集う豊洲での仕入れには、確かな知識と信頼が必要です。
高いレベルの寿司を出すには、魚の知識も欠かせません。
(藤岡さん)
「結構楽しいですね。やっぱり魚によってどこをみるかが違うので・・・。
例えばサバだったら、尻尾の厚みで判断したりとか。秋刀魚なんかも、口の先端が黄色いのが、この時期一番
脂を蓄えている証拠なので・・・。あとは首筋からかけた太さ・厚みなんかをみながら・・・。」
(大力商店・原田社長)
「(藤岡さんは)もう、素晴らしいです。若いのにね、銀座の一等地にお店構えられるんですから。すごいですよね。
仕事も間違いないですよ。修行されたところも、やっぱりしっかりしたところなので。
彼は人がいいから。やっぱり業者に可愛がられるタイプね。」
営業は夜から。
しかし、仕込みが命とも言われる江戸前鮨。
午前中には、店で準備を始めます。
(藤岡さん)
「(今仕込んでるのは)カスゴです。お湯をかけることによって皮目のゼラチンが溶けるので、
それに冷たい風をあてて、冷まして、馴染ませて、そこからまたネタを常温に戻して、
固め直したゼラチンがしっとりと仕上がるように。」
「食べるのは一瞬なんですけどね。その一瞬のために色々やっているという感じです。」
32歳ながら、銀座の一等地で店を構える藤岡さん。
そんな藤岡さんと、今でも交流のある人が、宮崎にいます。
高校時代、野球部で共に汗を流した、田原彰二さんです。
(藤岡さん)
「彼がいなかったら、僕は寿司屋になっていないかもしれないので。」
「中学生の時に、寿司屋になるか、理学療法士になるか迷った時期があって、寿司屋になるなら
佐土原高校で野球に振り切ってやって、卒業と同時に寿司屋の世界に入ろう、でも理学療法士になるんだったら
違う高校行って、勉強と野球両立しながら大学進学したいなというのがあったんですけれども、
彼にオープンスクールの時に会って、一緒に野球したいと思って(佐土原高校へ進学しました)。」
田原さんには、学生時代の藤岡さんの忘れられないエピソードがあるそう。
(田原さん)
「修学旅行の時に、僕は違う班だったんですけれども、
自由行動時間に藤岡が行きたかったお築地の寿司店に行って、そこで求人をもらったというのを聞きました。」
「そこから、みんなに、寿司職人を目指すと言っていました」
(藤岡さん)
「どうしても東京で修行したいというのがあったので、履歴書を持って、築地のお寿司屋さんに飛び込みで。
坊主頭の学ランの生徒が5人カウンターに座るっていうのが異常な空気感だったので、
”えっ?大丈夫?”みたいな感じだったんですけれども。」
「お話をさせていただいたら、”じゃあ面接するから来年おいで”ということで、次の年に面接に行きました。
今思うと、”よくやったな”と。よく臆せず飛び込んだなと思います(笑)」
そしてついに高校卒業後、老舗の「築地寿司清」へ就職しました。
周囲に夢を話し始めたのは高校時代でしたが、実は、藤岡さんが寿司職人を志したのは5才のころ。
(藤岡さん)
「母が、学生時代にバイトしていた宮崎のお寿司屋さんに連れて行ってもらって、
お寿司屋さんの大将に憧れて、この道に入ることになりました。」
「夕顔寿司っていうお寿司屋さんで、今は店は閉められていて今は無くなってしまったんですけれど、
すごく面白い、お話の上手な方で、まちなかのお寿司屋さんなんで出前の準備もしながらすごくテキパキされてて
5才の僕からみたらヒーローみたいな人で、この人みたいになりたいな~と思ったのがキッカケです。」
その後、六本木の「鮨悠」や銀座「佐たけ」などの名店で腕を磨いた藤岡さんは、30歳の時に銀座で店を構えました。
“お~い!元気しちょる?”
寿司職人の道に進むキッカケをくれた友人・田原さんからの贈りもの。
(藤岡さん)
「あ~いいですね、本霧。こっちではなかなか呑めないので、僕も地元帰るたびに買って帰るので...最高です!」
(藤岡さん)
「握りの最後あたりに、味わいが濃くなってきた頃に、香りを立たせた(焼酎との)ペアリングも考えたいですね。
宮崎のもので...へべすを搾っても、ニュアンスとしては良いのかなと思うので。」
田原さんからのビデオメッセージに笑顔の藤岡さん。
―――東京、銀座。
寿司店が150軒以上あるともいわれるこの場所で、今日も藤岡さんは世界を相手に鮨を握っています。
(藤岡さん)
「これだけ寿司屋がある中で、うちを選んでくださるということだけでもすごくありがたいことだと思うので、
勝手に日本代表だと思って鮨を握っています。」
#50 SHURI(ダンス&ボーカルグループ/SPiN)
25年10月1日(水) 20:00
SHURIさん(宮崎市出身)
(SHURIさん)
「アーティストとして自分の歌声であったりとか、表情であったりとか、そういう一つ一つのことで、
老若男女問わず一人でも多くの方の心に響く音楽を届けられる人間になりたいなって思っています。」
磨き上げた歌とダンスを武器に、アジア、そして世界へと羽ばたきます。
―――今回の主人公がいるのは、大阪。
宮崎市出身のSHURIさんは、2022年に大阪で結成された8人組ダンス&ボーカルグループ「SPiN」のメンバーです。

(SHURIさん)
「私たちSPiNは、日本文化やJ-POPのすばらしさを世の中に広めていきたいという思いで活動していて、
”SPiNというジャンル”を、大阪から世界へ届けたいって思っています。」
―――
SHURIさんは、7歳の頃から、宮崎市内のダンススクールに通っていました。
夢は、”歌って踊れるアーティスト”。
(SHURIさん)
「自分だけじゃなくて、周りにも同い年くらいの子たちがいて、その子たちと並んで踊ることの楽しさとか、
鏡をみて踊ることも初めてだったので、いろんな、新鮮な気持ちだったりとか、音に乗ることの楽しさ
って言うのをすごい感じてましたね。」
さらに、SHURIさんはMRTの番組にも出演していたんです。

(SHURIさん)
「(当時は)小学校3年生とかだったと思うんですけど、撮影のとき毎回緊張して、顔ガチガチみたいな。
(スタッフに)”もうちょっと笑っていいよ~”とか言われていたのを覚えています。」
SHURIさんはその後もダンスや歌に熱中。
その当時、SHURIさんのライバル的存在だったのが、妹のMIKUさんです。
MIKUさんは宮崎市の『& DANCE STUDIO』でダンスのインストラクターとして、子どもたちにダンスを教えています。
MIKUさんは、姉・SHURIさんの影響でダンスを始めたんだそう。
(妹・MIKUさん)
「(ダンスを)お姉ちゃんがやっていて、おうちで練習とか結構していたんですけど、
それを、自分も一番近くで見ていて、イベントとか発表会とか見ていくうちに、
徐々にやりたいなという気持ちが沸いてきたのかなって思っています。」
二人は切磋琢磨しながら、宮崎でダンスを続けていました。
そして、SHURIさんは高校卒業後 大阪へ。SPiNのオーディションを受け、夢をかなえました。
(妹・MIKUさん)
「ダンスの面でも、お互い刺激しあえるというか、(SHURIさんは)自分にないところを持っているし、
逆にお姉ちゃんにない自分の強みもあるし、多分、お互い高めあえる存在でもあるなと思っています。」
「あと、お姉ちゃんは歌ができるので...。自分は、やっぱりマイクをもって歌うというのはあんまり経験がないので…
やっぱりそこの面では尊敬という気持ちがすごく大きいかなと思います。」
(SHURIさん)
「やっぱりどうしても、姉妹だと、比べられることもあったりとか、自分自身も、”妹に負けたくない!”と思うし、
妹も”負けたくない!”と思っていたと思うんですけど、それがいい意味でお互い高めあえる存在だったし、
本当に夜遅くまで家のダンス部屋で夜中までずっと踊っていたりとか、鏡の取り合いみたいな感じで
2人で練習していましたね。」
―――
取材当日、SPiNは地元大阪のライブスタジオ「Yogibo META VALLEY」で
ワンマンライブ【The SPiN World ~魂 tamashi~】を開催。
1人1人が、歌って踊れるというのが、SPiNの魅力です。
SPiNのメンバーに、SHURIさんについて聞いてみました。
(メンバー・YUUさん)
「SHURIの笑った顔が結構好きです。
あと、歌声が本当に素敵で透き通った声なので、ぜひみなさんも注目してきいていただきたいです。」
(SHURIさん)
「私はもう、このSPiNというグループに人生を懸けているので、そういった意味では、この先の夢であったりとか、
目標などを共に叶えて行く仲間であり、こう、ほんとうに毎日一緒に過ごしているので、
宮崎を離れている分、家族以上に長く時間を共に過ごしているので、私にとっては大切なかけがえのない存在です。」
(メンバー・OTOHAさん)
「なかなかSHURIは普段こういうこと言ってくれないので(笑)今聞いて、私は嬉しかったです!」
この日のライブは300人。チケットは SOLD OUTでした。
(ファン)
「最初は路上で見て、それから一気に惹かれて、ずっと通っています。」
「みんな個性的ですごいかっこいいです!」
ライブの1曲目は、昨年11月にリリースされた曲『M.I.J』。
(SHURIさん)
「(この曲は)”Made In Japan”を題材にして作られた曲なんですけど、
私たちのSPiNというグループ名の”iN”の部分にはインバウンドという意味が込められていて、
私たちの音楽であったりとかパフォーマンスを通して、世界に日本の素晴らしさを発信していきたいなと。」

歌声に定評のあるSHURIさん。
ソロ歌唱では中島みゆきの「糸」を熱唱しました。
(ファン)
「SHURIちゃんは、歌がめっちゃうまい!
バラードに適しているというか...バラードをSHURIちゃんが歌っていると、泣きそうになるくらい、
最高な歌声を持っていると思います!」
SHURIさんはこの日も、歌にダンスに、魂のこもったパフォーマンスを見せてくれました。
宮崎弁での挨拶をする姿も。
ふるさと宮崎を離れて活動を続けるSHURIさんに対し、妹・MIKUさんは―――。
(MIKU)
「上京してすぐは、気持ちの面でも結構やられてるっていう話はいろいろ聞いてはいたんですけど…
ストレスもそうだし、慣れない環境であったり…。
そういう中で、それを、1年、2年と段階を踏んで、1人の力ではないんだろうけど、すごい強い気持ちがないと
普通だったら挫折して辞めちゃうっていう人もいる中で、上京しても強い意志を持って
夢に向かって頑張っている姿がすごいなと思ってました。」
”お~い!元気しちょる?”
宮崎にいる妹・MIKUさんからSUZU KIRISHIMAの贈り物。
(SHURIさん)
「(SUZU KIRISHIMAのパッケージが)かっこいい・・・!和柄・・・!すごい、SPiNにぴったりですね。」

(SHURIさん)
「すごくすっきりしていて呑みやすいです!」
MIKUさんからのビデオメッセージに笑顔のSHURIさん。
これからの夢は―――?
(SHURIさん)
「SPiNとしての夢なんですけれど、来年のうちに、
大阪・難波にあるZepp Osakaでワンマンライブを開催するという夢があります。
でも、その先にはまだまだ大きい夢もたくさんあるんですけれども、そこを今は私たちの1つの通過点として、
Zepp Osakaで絶対にワンマンライブをしたいです。」
「SPiNの明るい未来に向かって、乾杯!」

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