#58 成井文星(チアリーマンズ)
26年6月3日(水) 20:00
成井文星さん(宮崎市出身)
スーツ姿で宙を舞うサラリーマン。
彼らは今話題のパフォーマンスチーム「チアリーマンズ」です。
年齢、性別、立場に関わらず、様々な人たちを応援するために、
平日は会社員、そして土日はパフォーマーとして活動しています。
そのチアリーマンズの一人、宮崎出身の成井文星さん。

踊りだけでなく、父親譲りのMCで会場を盛り上げます。
(成井さん)
「基本役割は(チアの)上で飛ぶんじゃなくて下で飛ばしてっていう役割がほとんどなんですけど、
あとはMCとして、演技の前に喋って、お客さん盛り上げたりとか。
そういう、演技中に喋ったりとかっていう声でのパフォーマンスみたいなところも役割としてあったりしますね。」
取材D) お父さんの影響ですか?
成井さん)そうですね(笑)ちょっと遺伝子が入っているのかもしれないですね。
実は成井さんのお父さん、宮崎ではおなじみ”バニーさん”こと成井一充さんなんです。

(成井さん)
「小っちゃいときから見ていたので、やっぱり父親のMCする姿とかはイメージがあるのかもしれないですね。」
成井さんが所属するチアリーマンズは、2023年に結成。全員が早稲田大学の男性チアリーディング部のOBです。
最近は様々なメディアなどでも紹介され、人気も急上昇中。
世界的なオーディション番組【ブリデンズ・ゴット・タレント】にも出演しました。
この日、チアリーマンズがゲストに呼ばれていたのが、渋谷の表参道で行われたマラソン大会です。
チアリーマンズのメンバーは全員サラリーマン。平日は仕事に打ち込み、そして土日にはイベントに出演しています。

(メンバー)
「金融系の営業の仕事をしてます。」
「外資系のIT企業で働いております。」
「私も最近転職しまして、外資系のIT企業で営業しております。」
(創設メンバーの一人・赤井さん)
「自分たちもサラリーマンながらパフォーマーに戻りたいっていう風な思いはありつつも、とはいえ仕事があるし、
日々忙しいしっていうところで、それを言い訳に、ちょっと自分がやりたいことを頑張れなかったなという風に
思っていて、そういう風に何か頑張りたいと思ってるけど、何かしらが言い訳だったりとか足かせになって
頑張れない人、そういう人たちの背中を押すことができたらなと思って、活動しております。」
チアリーマンズのパフォーマンスの特徴は、男性チアならではの、力強くアクロバティックな空中技です。
(成井さん)
「(空中技は)意外とあの息を合わせるのが難しくて、例えば3人とか4人で腕を組んで飛ばすんですけど、
1人でもタイミングが違うと、すぐズレて横に飛んでっちゃったりとか、上で飛ぶ人が飛べない
みたいなことがあるんで、そこの息を全員で合わせるっていう、なんかそこの修正がすごい難しいですね。」
ステージが終わったら、スタート地点でマラソン大会に出るランナーを応援します。

こちらはチアリーマンズならではのパフォーマンス。
2人1組になって肩の上に乗って声援を送ります。
(成井さん)
「(自分も)いつも下でこれ持ってるんですけど。めちゃめちゃ重いです。
演技中とかは、もう一人上に乗って3段、4段…4人乗ることがあって、一番下が一番重いです。」
成井さんは現在、都内で大手の人材紹介の会社に勤めています。
高校までは野球に熱中。大学からチアを始めました。
(成井さん)
「実はお兄ちゃんが同じ大学のチームにいて、(年齢が自分の)8個上なんですけど。
小学校5年生ぐらいのときに生で(パフォーマンスを)見たことがあって、そのときにかっこいいなと思ってたんで、
もしこの大学行けたら男子チアのチームに入ろうっていうのはずっと決めてましたね。」
中学時代の成井さんをよく知るのが、同じ野球部で汗を流した同級生の山下晃志郎さんです。
2人は中学の県選抜に選ばれるほどの腕前でした。
(友人・山下さん)
「僕ピッチャーやってたんですけど、文星がショートで。正直、投げてて苦しかったりピンチだったりっていうときに、
”晃志郎大丈夫だよ”って、”俺らいるから”って声かけてもらって、それで頑張ろうっていう気持ちになりましたね。」
「(成井さんは)目立ちたがり屋ではあるので、絶対。(笑)
人の前に立って何かをするっていうのは好きなんだろうなと。率先していろいろやってるイメージですね。
学校行事でも生徒会だったり、キャプテンだったり。」
(成井さん)
「家族柄っていうのもありますし、父親・母親がテレビ出ていたこともあって、やっぱそういうのが
小っちゃい頃からキラキラして見えてた部分もあったので、それこそ体育祭のなんか応援団長だったりとか、
何かその生徒会やったりとか、何かそういう人前に立って何か喋るみたいなのは得意でしたし、
そういうのはすごい好きでしたね、昔から。」
目立ちたがり屋な性格もあって加入したチアリーマンズですが、活動を続けておよそ3年。
成井さんのモチベーションにも大きな変化がありました。
(成井さん)
「自分たちが演技して、終わった後にお客さんから”明日から頑張ろうと思いました”とか、
”今病気で闘病してたんですけど、なんかすごくなんか活力になりました”とか生のコメントをいただくことが多くて
なんかそういうのを経験してると、今はどっちかというと自分が目立つとかそういうだけじゃなくて、
何かその先に自分たちがやってることが誰かの人生変えてるんだっていうのを結構実感するタイミングが増えて
今そういうとこが結構やりがいというか。
なんかすごいめっちゃ綺麗綺麗な感じになってますけど、なんかそこが一番嬉しいですね、自分としては。」
イベントに参加した日の夜。成井さんの姿は新宿の居酒屋「みやこんじょ」にありました。
大学時代から一緒にいる、チアリーマンズの立ち上げメンバーと乾杯。
(メンバー・亀井さん)
「(成井さんは)本当に”the・ムードメーカー”が合ってるので、自分で何か話を盛り上げたりとかっていうのも
好きだし、なんかそれでそのみんなを巻き込んで楽しくできるっていうのが一番いいポイントかなって思ってます。」
チアリーマンズとして初めての単独公演を成功させるなど、忙しい日々を送る皆さん。
仕事との両立はできているんでしょうか?
(成井さん)
「みんな仕事第1優先でやって、終わったら土日はもうチアリーマンズにフルコミットするみたいな感じなので、
全然そこは支障ないようにみんな頑張ってます。」
(メンバー・井上さん)
「平日or土日みたいな。いい切り替えになっているので、逆に(平日の仕事は)あってよかったですね。」
「逆にチアリーマンズがオフになると、土日何もなくて何したらいいか分からなってしまいますね(笑)」
そして今年の8月と10月に東京と大阪での単独公演が決定しました。

(成井さん)
「それこそ、今回5000人の収容人数というところで、僕らもやったことがないぐらい
たくさんのお客さんが来てくださる公演で、今までにない挑戦になってるんで、
ぜひ僕らの挑戦も一緒に見ていただければなと思うので、よろしくお願いします。」
”お~い!元気しちょる?”
宮崎にいる山下さんから、霧島焼酎の贈り物。
(成井さん)
「(霧島の焼酎、)懐かしい。芋焼酎、地元だとみんなこれ飲むので、僕も大好きですね。」
山下さんからのビデオメッセージに笑顔の成井さん。
(成井さん)
「嬉しいですね。中学のとき一番一緒にいたかなっていう感じだったので、
それこそ野球の練習とかずっと一緒に2人でやってたので、久しぶりに会いたいですね。」
成井さんのこれからの目標は?
(成井さん)
「チアリーマンズの今の目標は、やっぱりチームとしても掲げてるところあるんですけど、
やっぱ武道館で演技をすることですね。国内のパフォーマーがやっぱ誰もが憧れるステージかなと思うんで
そこで僕の声で、その武道館に来た人たちを、何かその場を沸かせたいなっていうのは一つの目標でありますね。」

#57 日髙竜太(BALLISTIK BOYZ)
26年5月6日(水) 20:00
日髙竜太さん(宮崎市出身)
日々進化を続ける日本のエンターテインメント。
その最前線で輝きを放つ宮崎出身のアーティストがいます。
(日髙さん)
「いろいろ自分の過去を振り返って話してみると、今のこの自分がここにいられるのもすごいことだなと思うんで。」
LDH JAPAN所属、宮崎市出身の日髙竜太さん。

今回は世界で活躍する竜太さんの素顔に迫ります。
―――
竜太さんは2018年結成のダンス&ボーカルグループ BALLISTIK BOYZ from EXILE TRIBE のメンバー。
活動は国内だけに留まりません。
(日髙さん)
「去年初めてアジアツアーもすることができましたし、このメンバーとなら世界を目指せると思えたメンバーですし、
自分の夢が広がるグループに入ることができて、すごく幸せだなと思います。」
取材当日、EXPG STUDIO TOKYOで行われていたのは、
およそ1ヶ月後に控えた台北でのライブのセットリストを決める会議。
メンバー・スタッフらと、どの曲をどんな順番で歌えば盛り上がるのか、ファン目線で考えていきます。
グループ最年長。兄貴的存在だという竜太さん。
メンバーに印象を聞いてみました。
(メンバー)
「めちゃくちゃ優しい。明るい。」
「喋りたがりですね(笑)・・・いやいや、真面目っす(笑)やっぱトレーニングとかもそうすけど。」
「休日もそうですし、仕事のときもそうですけど、なんか常に楽しさを求めて生きてるなってすごい感じてるんで、
見てて絶対人生楽しそうなんだろうなっていつも思ってます。」
「生粋のエンターテイナーだなって感じっすね。」
―――
1996年、日髙家の末っ子として生まれた竜太さん。
小さい頃から人を楽しませるのが好きだったそうです。
(日髙さん)
「気づいたら、人の前に立つことの楽しさというか、ちっちゃいときから何かこう感じて。
テレビ出たいなとか、有名になりたいなっていうのを、小学校6年生のときの卒業論文とかでは書いてました。」
そんな竜太さんが今の道を志したのは、元歌手の祖父・敏さんの影響がありました。
祖父・敏さんは、ザ・シャデラックスというプロのコーラスグループの元メンバー。
歌手を目指す竜太さんの背中を押してくれました。
(日髙さん)
「本気でやりたいっていうのを伝えたら、おじいちゃんがレッスン費出すから頑張りなさいっていうことになって。」
そして入校したのが、LDHが運営しているエンターテイメントスクール”EXPG宮崎校”。(※現在は閉校)
宮崎出身の多くのアーティストが、この場所から羽ばたきました。

しかし、デビューまでの道のりは決して順風満帆とは言えませんでした。
(日髙さん)
「大変なことが多かったですね。大きいオーディションに2回落ちてるんで。
EXPGのスタッフ・仲間たちに助けられて、もう1回頑張ろうと思って、上京して。」
―――
2024年3月末までEXPG宮崎校が入っていた、宮崎市のアゲインビル。
EXPGとしては役目を終えたこの場所は、現在もダンススタジオ「& DANCE STUDIO」として
子供たちの夢を後押ししています。
そんな場所に、竜太さんの恩師・EXPG宮崎校の校長だった長倉さんに来てもらいました。
(恩師・長倉さん)
「彼のすごいとこなんですけど、(オーディションに落ちても)それでも練習するんですよ。
とっても大きなオーディションでそこに竜太もかけていたので、それが駄目になったときに、
もうやめちゃうかもしれないなってこっちは思うぐらいだったんですけど、
それでも毎日やっぱり練習に来るし、すごいちゃんと向き合ってましたね。」
(日髙さん)
「(長倉さんには)厳しいことを言われたときも全然ありますし。けど、なんかちょっと悩んだ時とかに
すぐ気づいてくれて、救ってくれた人ですね。頑張ろうとも思わせてくれた人というか。」
―――
恩師と多くの仲間に恵まれてデビューを果たした竜太さん。
現在その活動は、音楽だけにとどまりません。
今年3月、新しいエンタメのジャンルに挑戦しました。

初めての朗読劇。プライベートでも仲が良いという、同じ事務所の瀬口黎弥さんと舞台に臨みます。
(瀬口さん)
「竜太とお芝居をするっていうのが初めてで。最初まじで笑っちゃうかもと思ったけど、全然そんなことなくて。」
瀬口さんの他にも、俳優の石井正則さん、事務所の後輩・中村竜大さんと共演します。
シアター・アルファ東京にて上演された朗読劇『あの空を。』
2020年、新型コロナウイルスによって甲子園が中止となり
目標としていた未来を突然閉ざされた高校球児たちが、友情を支えに一歩ずつ歩み出していくという物語です。
公演はおよそ1時間半。多くの拍手に包まれながら、幕を閉じました。
(日髙さん)
「どんな感情が自分の中で生まれるんだろうっていうのが、ものすごいエネルギーが出たんで。」
(瀬口さん)
「初朗読劇とは思えないぐらい”かました”!なんだろうか、もう最高ですよ。」
脚本・演出は、EXILEの代表曲「道」の作詞家としても知られる樫田正剛さん。竜太さんの才能に驚いたそうです。
(脚本/演出・樫田さん)
「実は”めっけもん”(掘り出し物)と思いました。
この朗読を初めてやってて、どんなものなのかなと思ったらすごくいいです。本当にいいです。
アドバイスをするとすぐそこを取り入れるんですよね。びっくりしました。」
”お~い!元気しちょる?”
エンターテイメントの世界で幅広い活躍を見せる日髙竜太さん。
そんな竜太さんへ、恩師・長倉さんからの贈り物。
宮崎の物産品の中から霧島焼酎を見つけて大興奮。

(日髙さん)
「東京でも、(飲食店に)霧島置いてあるってなると、もうめっちゃテンション上がって、絶対飲むんで。
超ありがたいです!!」
恩師・長倉さんからのビデオメッセージに、懐かしさを感じて笑みがこぼれた日髙さん。
(日髙さん)
「やっぱ、ゆみさんの声を聞くと、すごいいろいろ思い出しますね。なんかわかんないですけど。
(長倉さんが)いつも言ってくるのは、”竜太らしくまっすぐに”っていう言葉なんですけど、
僕もそれは今でも大事にしてますね。」
宮崎から世界へ飛び出した竜太さん。
グループとして、個人として、これからも挑戦を続けます。
(日髙さん)
「やっぱり僕は宮崎大好きなんで、なんかこう、宮崎をもっともっと盛り上げられるようにとか。
自分が活躍することで、きっと少しでも盛り上がると思いますし、
宮崎っていう町が知られる、少しでも何かきっかけになればいいなと思うんで頑張ります。」

#56 青木香奈子(プロゴルファー)
26年4月1日(水) 20:00
青木香奈子さん(宮崎市出身)
一見どこにでもいそうな普通の女性。
でも実は―――
彼女は宮崎市出身のプロゴルファー、青木香奈子選手。

取材D) クラブの得意不得意はあるんですか?
青木選手)あります。私アイアンが好きなんですよ。
5番アイアンまで入れてたんですけど、トーナメントのグリーンの硬さの関係上、
やっぱ球を上から落としたいなっていうのが去年の課題でもあったので、その面を含めて
5番アイアンを抜いて、ユーティリティの方が球が高いので、ユーティリティを一本増やそうかなっていう。
ゴルフの世界で”プロ”と名が付くのは二つ。
一つはゴルフスクールや練習場でアマチュアに指導するティーチングプロ。
そしてもう一つが、国内外で開催されるトーナメントに出場し、賞金を稼ぐツアープロ。
青木選手はツアープロとしてトーナメントに出場しています。
現在、東京を拠点に各地で行われる試合に参加している青木選手。
オフシーズンの2月上旬は、室内でコーチとのトレーニングに励んでいました。
(武井コーチ)
「彼女の場合、結構思い切りがあるところはすごい魅力かなと思います。
やっぱり飛距離が出る分だけ他の選手にない、そういう長いクラブでのアグレッシブさがあって、
長い番手での調子がいいときのゴルフは本当すごいと思います。」
女子プロゴルファーのドライバーの平均飛距離が230ヤード前後と言われる中、青木選手の飛距離は264.6ヤード。
しかし―――
(青木選手)
「ショットの調子が命です。フットが良ければパターも入るようにしちゃう。」
飛距離だけでは勝てないプロの世界。青木選手は、最新のゴルフ機器を取り入れてトレーニングをしています。
持ってきたのは、体重計の様な板2枚。スイスのメーカーが開発した、足にかかる圧力を計測する機械です。

(青木選手)
「全て数値化です。ノー感覚。」
(武井コーチ)
「どこに体重がいってて、どういう動きをしてるのかとか、それぞれの足のパーセンテージ・割合だったりとか、
あとはどこにそれぞれのピークが来てるのかとかっていうのをちょっと見ながら(練習しています)」
―――
青木選手はミレニアム世代と言われる2000年生まれの25歳。
子供の頃から運動は好きだったものの、ゴルフに触れたのは小学生からでした。
(青木選手)
「(クラブを)初めて握ったのは10歳で、真剣にゴルフ1本で始めたのは15歳ぐらいですね。
ゴルフを始めたきっかけは、祖父がクラブを買ってくれてって感じだったんですけど。
でもそっからゴルフが好きで始めていくにつれて何となくプロになりたいなって思っていった感じですかね。」
プロゴルファーを目指し、中学卒業後は多くのプロを輩出している宮崎日大へ進学。
2024年にプロテストに合格し、プロゴルファーに。
オフシーズンはスイングだけでなく、肉体改造にも取り組んでいました。
取材時、体重は55キロだと明かした青木選手。
昨シーズン終了時の50キロからは5キロ増量となりました。
(青木選手)
「この歳で増量なんて言いづらい部分でもあるんですけど、でもやっぱ結構、みんなオフは大きくするので。
徐々にシーズン終わるにつれて減っちゃう。できるだけ重たい方が体力的にも(良い)。」
普通ならためらってしまいそうな話も飾らずに話してくれる青木選手は、ゴルフ界でも人気者。
プロになる前にYouTubeのゴルフチャンネルに出演すると、その美しいスイングと明るいキャラクターで
”アオカナ”として瞬く間に注目を集め、SNSのフォロワーも急増。
現在、インスタグラムのフォロワーは11万人を超えています。
(青木選手)
「(フォロワーが増えるのは)純粋に嬉しい気持ちの方が大きかったと思います。
やっぱり、注目されるっていうのは変なプレッシャーももちろんある中で、
今ももちろんその気持ちもあるんですけど、でもその分、味方っていう方に考えた方が
自分的にもいい方向に繋がっていくと思うので、”味方が多い”っていう考え方にしています。」

プロとして2シーズン目を迎える青木選手。
しかし、高校卒業後すぐにプロになれたわけではありませんでした。
その当時のことを知る人が宮崎にいます。
名門 フェニックスカントリークラブのメンバー福森さんです。
(福森さん)
「(青木選手が)19歳の頃、(私が)プレ-する時にキャディーでついたのが最初です。
もうだから6年ぐらい前ですかね。」
プロを目指していた青木選手は、研修生兼キャディーとして勤務。
年に1回行われるプロテストに臨んでいました。

(福森さん)
「(交流が続くことは)めったにないんですけど、プロを目指してるっていうことで、
その後に一緒にラウンドをしようという話になってラウンドしたっていう感じですかね。
本当にプロになりたいんだということで、一生懸命ここの研修生としてトレーニングもされて。」
(青木選手)
「(プロになろうと思ったのは)進路を決めるときですね。
大学行くか、プロになるかっていう段階で、大学行く場合はもうゴルフをほとんどしないっていう選択だったので、
そのときに、やっぱ大学よりもフェニックスで研修生してプロを目指したいなって思っていましたかね。
最初は後悔は結構ありました。最初のプロになれない時期は、やっぱり大学生楽しそうだなって思ったことも
結構ありましたし、4年ぐらいは後悔してたんですけど...。」
合格率3%という厳しいプロテスト。
青木選手はゴルフを離れていた時期もあったそうです。
(福森さん)
「(青木選手から)苦しいっていう思いは聞いたことありますけど、
辞めるかもって聞いたのはそれ1回だけですかね。」
その後、自分を追い込むため東京へ拠点を移した青木選手は、6回目の挑戦で見事合格。
10代の合格者も多い中、遅咲きのプロ生活をスタートさせました。
(福森さん)
「いやもう本当嬉しかったですね。スマホで結果を見ながらずっと追いかけてたんですけど、
多分最終組が終わるまで結果がわからなかったんですよ。
最終組が終わったときに”プロに受かった”っていうことですぐ連絡をさせていただいたら、
すぐ”やりました!”と(連絡が)返ってきましたね。」
―――
今では全国各地を飛び回る日々。
プライベートを一緒に過ごすことが多いのは、高校時代からの親友、木下夏帆さんです。
二人のディナーに同行すると、女子トーク満載で楽しそうな話が止まりません。

取材D) 本当にずっと喋ってますね。
青木選手)やばいんですよ。本当どうでもいい(話ばかり)。
TikTokを見出したら逆に(話が)止まらないんですよ。
取材D) ゴルフの話はしないんですか?
青木選手)まじでしないです。全然しないですよ。
木下さん)(ゴルフの話を)するときってさ、どっちかが試合のときとかじゃない?
木下さんは、自身もプロを目指しながら、青木選手のキャディーも務めています。
(木下さん)
「私が結構聞いてることが多いです。技術的な問題で。”バンカーどうやって打ってる?”とか。」
そんな木下さんから見た青木選手の強さとは?
(木下さん)
「一瞬、終わって車に乗って落ち込む、黙ってる、とかはあるんですけど、黙りながら涙をぽろっと流して。
私もそれはわかってるから何も言わず、向こうこっちが喋るまで待つ。
それが、本当5分とかで。そこで何か切り替えてんだろうなと思って。」
(青木選手)
「なんか一瞬(涙を)流したら終わるんですよ。逆に流さなくてずっと何か(ずーんと)やってると延々続くんで、
もう一瞬垂らして、”よし行こう!”みたいな感じ。」
オンとオフを切り替えて、青木選手はプロの世界に挑戦しています。
”お~い!元気しちょる?”
全国各地で頑張る青木選手に、宮崎からエールを送る福森さんからの贈り物。
(青木選手)
「SUZU KIRISHIMA!私も結構オフシーズンのときはよく実家で飲みます。霧島。ちなみに紙パックで。(笑)」

福森さんからのビデオレターにも笑顔いっぱいの青木選手。
そして、3月末に宮崎で行われたアクサレディスゴルフトーナメント。
地元の歓声を受け、青木選手はのびのびとプレーをしていました。
(青木選手)
「味方というかすごい応援してくださる方が多いので、楽しく1日プレーできたと思います。」
トッププロを目指して、青木選手の挑戦は続きます。
#55 藤原詠巳(声優 ナレーター)
26年3月4日(水) 20:00
藤原詠巳さん(宮崎出身)
出身大学は東京大学。
少し前までは外資系企業で働いていた彼女。今の職業は「声優 ナレーター」です。
(藤原さん)
「いろんなキャラクターの人生を演じることができたりだとか、
あとは私自身を通してできる表現って何なんだろうとか、無限にある表現の中から”自分だけのものを探す”とか、
”正解がないエンタメ”だからこそ広がってる可能性を探すのが楽しいですね。」
輝かしい経歴から一転、エンタメの世界へ。
無限の可能性の中から、彼女が見つけようとしている”自分だけの声優像”とは?
―――
今回の主人公は、声優 ナレーターの藤原詠巳さん。

この世界に飛び込んでおよそ1年。様々な声の仕事で活躍しています。
(藤原さん)
「一応、声優 ナレーター業と言われる全ジャンルはさせていただいてて、
アニメーション映画、外国映画の吹き替え、ゲーム、ナレーション、あとは朗読劇、舞台系とか。
1年間で、それぐらいのことをさせていただきました。」
藤原さんが出演した朗読劇『マスターピース』。
”リーディングシアターライブ”と呼ばれ、動く漫画”モーションコミック”にセリフを当てて、
耳だけでなく五感で体感する、新しい形のエンタメとして今注目されています。
取材当日は、そのマスターピースのモーションコミックに合わせたアフレコ収録。

藤原さんは、演劇部の元天才子役の城内羊苹(しろうち・ようへい)を演じます。
藤原さんのアフレコを見守るのが、声優ナレーターとして第一線で活躍し、事務所の社長も務める西村俊樹さんです。
演技指導もおこないます。
(西村さん)
「この(藤原さんの)経歴、彼女のストーリーっていうのは、もう唯一無二なんですよね。
うちの業界どれだけ広いって言っても、全く同じっていうのは見たことがないので、
やっぱタレント性が抜群だと(思います)。」
―――
藤原さんの高校時代の恩師が日向市の高校にいます。
現在、日向高校の校長を務める鬼束美和さんです。
(恩師・鬼束さん)
「藤原詠巳さんは、大変お勉強ができて。
女子のリーダー的な位置にいたということは間違いなかったと思うんですけども。」
藤原さんの東大進学を後押しした鬼束さん。声優への転身には当初、驚いたそうですが・・・。
(恩師・鬼束さん)
「おそらく彼女のことですから、冷静に状況を判断して、そして自分の得意不得意とかいうことも分析した上で、
その道に飛び込むと思うので、私達が考えるレベルを超えて成功していくんじゃないかなと期待しています。」
(藤原さん)
「高校1年生のときに、東京大学行きたいなと思ってたんですけど、
残り3年間でどれぐらい実現可能なのかみたいなところでちょっと諦めようと思ってたときもあったんですけど、
鬼束先生から”いや、東大受けてみていいと思う!チャレンジしていいと思う!”っていうのを言っていただいて
その後押しがあって3年間、勉強できました。」
東大から外資系企業と順風満帆なコースを歩んでいた藤原さん。
エンタメの世界を選んだ理由とは?
(藤原さん)
「私はあんまり小中高と、アニメーションとか漫画をほとんど見たことがなかったんですけど、
『呪術廻戦』という作品に出会って、”今のアニメーションってこんなにすごいんだ”って衝撃を受けて、
声優になると、声のお仕事だけじゃなくて、歌手活動だったりタレントだったりエンタメ幅広く関われると思って、
これは面白いお仕事だなと思ったので声優になりたいと思って転向しました。」
声優だけでなく、ナレーターとしても活動する藤原さん。
そんな彼女の武器は、日本語だけでなく、英語・韓国語・中国語などを話すことができるクワドリンガルであること。
(藤原さん)
「英語は受験勉強で頑張って、韓国語は元々めちゃめちゃ韓流が好きだったので、
曲聞いたりとか、あとドラマとか...エンタメで覚えました(笑)
せっかくなんで、外国語も日本人が日本人の感性を持って外国語のセリフ言えたらいいなっていうのがあるので。」
時には”宮崎弁”でナレーションする姿も。
そんな藤原さんの才能に、事務所の社長、西村さんは―――。
(西村さん)
「本当にもう話しきれないぐらい、(藤原さんには)いろんな要素があって、ポテンシャルがあって。
全てがもうタレント力、そして声優 ナレーターに全部繋がるのがもうこの子なので、
この子一つの新しい時代の声優 ナレーター像、アイコンっていうところで据えて、うちの藤原中心に、
何か業界が大きく動くような、何かそんな存在になってほしいなっていうのは思ってます。」
多くのポテンシャルを秘める藤原さん。
その一つが”歌”。しかも英語・韓国語のラップを歌いこなします。

(西村さん)
「今はそれこそ声優さんって”歌って踊る”って当たり前じゃないですか。
でも歌って踊れて、ラップができるっていうのは今までなかったんですよ。」
さらに、藤原さんの才能は言語やラップだけにとどまりません。
(藤原さん)
「歌のレコーディングと同様に歌手活動とかもしたいので、その時にKPOPアイドルのようなパフォーマンスが
しっかりできるような楽曲とか、そういうステージにも立ちたいと思ってるので。」
「声だけでは本当に戦えないような、そういう時代にもなってきているので、
一つでも二つでも、もういくつでも武器は多い方がいいなと思ってます。」
”お~い!元気しちょる?”
宮崎にいる鬼束先生からSUZU KIRISHIMAの贈り物。

(藤原さん)
「すごいキラキラ!かわいいです。嬉しい!ありがとうございます!」
「飲みやすくて美味しいです!でも、キリッとしている。
けどマイルド。美味しい、ありがとうございます!いっぱい飲みます!」
恩師・鬼束さんからのビデオメッセージに、嬉しく、改めて背筋が伸びる気持ちと話す藤原さん。
マルチな才能を発揮する藤原さんの、これからの夢は?
(藤原さん)
「”世界で認知される”が一番の夢かもしれないですね。あともう一つはちょっと違う角度なんですけど、
宮崎とか、そういうちょっとエンタメからはもしかしたら縁がないなとか、距離が遠いかもしれないと
思ってる皆さんに、全然エンタメて飛び込める世界だし、いろいろな可能性が広がってるよっていうところを
お伝えできるような、そういうシンボルになれたらいいなっていうのもあります。」
#54 萩原天晴(漫画原作者)
26年2月4日(水) 20:00
萩原天晴さん(宮崎市出身)
「早ければ1日、2日で終わっちゃうこともあります。
でも、難航すると1週間とか下手するとかかっちゃうときもありますけど」
東京都内某所。原稿用紙と向き合うのは、今回の主人公、萩原天晴(てんせい)さん。職業、漫画原作者。

(萩原さん)
「これ面白いの書けそうと思って、こう書いていくじゃないですか。
ただ、途中まで結構書いてたところで、”あれ?これ駄目だ”ってなることもあって、
それを全部ボツにしてまた1からみたいなこともあります。別の話を考えるみたいな。」
書いているのは、現在ヤングマガジンで連載中の萩原さんの代表作『1日外出録ハンチョウ』。
萩原さんは原作担当として、ストーリーや大まかなコマ割り・セリフの書かれた”漫画の設計図”である”ネーム”を制作。

この萩原さんの”ネーム”が作画担当の2人に送られ、出版されることになります。
1日外出録ハンチョウは大人気漫画カイジのスピンオフ作品。
カイジでは敵キャラだった『ハンチョウ』こと大槻が主人公となり、24時間という限られた時間の中で、
グルメ・旅行・サウナといった究極の休日ライフハックを楽しむ様子が描かれた漫画です。
取材D) 作風と萩原さんの見た目がちょっとギャップがありますね
萩原さん)どんなイメージでした?
取材D) もうちょっとおじさんだと思ってました
萩原さん)おじさん漫画ですからね。いやでもそれはよく言われますね、会う人に。
(萩原さん)
「本当はメディアで顔とか出したくなくて。
それは何か、自分の漫画に書いている人のイメージをあまり持たれたくないというか、
持ち込まれたくないっていうのがあったんですけど。
宮崎地元なので地元(のテレビ)なら、ちょっと両親も喜ぶかなと思い(取材を受けました)。」
萩原さんは子供の頃から漫画は好きだったものの、今の仕事に就くとは思っていませんでした。
(萩原さん)
「スポーツばっかしてたんすけど、高3の、進路を決めなきゃなっていうときに、
なんかこのまま勉強して大学行って就職してっていうのがなんかこう、本当にそっちなのかなっていうのが
漠然とあって。そんなときに友達の家に行ってGANTZっていう漫画を読んで。もうめちゃくちゃ面白くて、
なんかすげえなと思って、その場で友達に”俺漫画家になるわ~”って言ったら、”おう!”みたいな。
そのまま家に帰って、親にも”ちょっと俺漫画家を目指してみようと思う”(と伝えた)。」

そんな萩原さんの唐突な決意表明を聞いたのが、宮崎在住の親友、広瀬亨樹さんです。
(親友・広瀬さん)
「”広瀬、俺、漫画家になるわ。”って、急にぽつっとつぶやいて。
僕としては”おう~”ってちょっとびっくりして、あっけに取られたんですが、
その後、急に美術部に入って絵を描き始めて、美大受験するわって言って美大を受験して、
京都の美大に合格して、そのまま漫画の道に進んでいったっていう。」
今でも定期的に宮崎に帰省している萩原さん。
連載中の『ハンチョウ』には宮崎ネタが度々登場します。
例えば、主人公ハンチョウの側近、宮崎出身の沼川と食事するシーンでは、
ハンチョウ)沼川、出身は?
沼川) 九州の宮崎ですが
ハンチョウ)なるほど。お前が食べたいものはズバリ・・・チキン南蛮!
…なんて場面や、さらには宮崎出身者同士で方言を話す場面も。
「てげうめえ」「ごつ」や、イントネーションを巧みに表現するなど、宮崎弁満載。
他にも登場する店名が、宮崎ゆかりのものであったりと、宮崎人ならニヤリとする場面もたくさん登場します。
これに対してネットでは...「ハンチョウの宮崎ネタはガチすぎる!」といった反応も。
これ宮崎の人しかわからんやろみたいな。何書いてんのみたいな感じとかでしたけど。ギャゼットとか。
東京の人はなんだろう?って、宮崎の人以外分かんないだろうなみたいに思いながら書いたりとか。
大学時代、講談社の漫画賞を受賞したことで、本格的に漫画の世界に飛び込んだ萩原さんですが、
その漫画人生は順風満帆ではなかったといいます。
(萩原さん)
「本当に1年2年何も書けない時期とかありました。牛丼屋の深夜バイトで牛丼作って、
四畳半の自分の部屋に帰って寝るみたいな日々をしてた時期もあります。その時期は本当つらかったですね。」
取材D) その当時の経験とかも漫画に書いてますよね?
萩原さん)書いてます。
(萩原さん)
「当時めちゃくちゃつらかったんですけど、今思うとその時期があったおかげで書けることとか、
今の自分があるんで、よかったなというか、何があるかわかんないなとは思いますね」
日常の些細な出来事をアイディアにする萩原さんの漫画。編集者と話しながらストーリーを固めていきます。
(萩原さん)
「今日は連載中の『1日外出録ハンチョウ』っていう漫画の次の話の打ち合わせですね。」
~打ち合わせ中~
萩原さん)前回、森くんと話したやつなんですけど、書いてみたんですけど、なんかちょっと弱いなと思ってあれが。
地下での就労期が終わって、もうあと1週間ぐらいで出るというときのそのおっさんの話っていうか
っていうのが、ちょっと良さそうかなと思っててなんだろう民主主義になった弊害の
自由のせいで苦しんでる現代人みたいなものの共感が得られたらいいなみたいな。

(ヤングマガジン編集部・濱中さん)
「こういう出来事があったとか、昔こういうことをやってたっていう。
その物事に対して、自分どう思ったのかみたいな、その感情をしっかり客観視というか、それがすごいできてる人。」
(ヤングマガジン編集部・森さん)
「その日常を読者の皆さんにすごい共感してもらえる形で切り取るのがすごい上手だなっていうふうに思っていて。
主人公もやっぱおじさんたちですけど、女性とか子供とかでも共感できることがいっぱい入ってるというか。」
萩原さんの連載デビューは2014年、その最初の連載が終了した頃 飛び込んできたのが、
大人気漫画『カイジ』のスピンオフ作品『中間管理録トネガワ』の話でした。
(萩原さん)
「担当に就いてくれてた方がその企画を”ちょっとあるんだけどどう?”って声をかけてくれて
ちょっと書いてみますということで書いたら”OKいけます”ってことで始まったって感じです。」
「結構トントン拍子にババっと決まって、もう5月に一番上に乗りますみたいな
なんか”え?もうそうなんですか”みたいな。”わかりました”みたいな。全く実感がないまま始まった感じでしたね。」
『トネガワ』は発表されると瞬く間に評判となり、
2017年には「このマンガがすごい!2017」のオトコ編で1位に選ばれます。
さらに、『カイジ』スピンオフとして『ハンチョウ』『イチジョウ』の連載も開始。
特に『ハンチョウ』はスピンオフ作品としては異例の20巻を突破。
有名人にもファンが多く、企業コラボも行うなど、スピンオフという枠にとどまらない人気漫画となりました。
その活躍に、親友の広瀬さんは―――。
(親友・広瀬さん)
「最初は信じられなかったですね。これ本当に萩原くんの作品なのかなと思ってずっと見てたんですが。
作品の中でも結構宮崎のことが登場するシーンが多いので、
やっぱり今でも宮崎を忘れてないんだなという思いはしますね。」
―――
『カイジ』原作者である福本伸行先生に憧れていたという萩原さん。
憧れ先生のスピンオフ作品を担当することについて、萩原さんの想いを聞きました。
(萩原さん)
「僕の父が家に(持っていた)『銀と金』っていう福本先生の漫画があって、それをもう小学生の頃から読んでて
難しくてわかんない部分もほとんどなんだけど、そのキャラクターとかの立ち具合とか、
もうセリフのうまさとかで十分面白いっていう。」
『金と銀』は、福本伸行作品の中でもファンが非常に多く、裏社会を舞台にしたサスペンス漫画です。
(萩原さん)
「(福本先生に)会うと、すごい褒めてくださったりとかもして、もう本当ありがたいなと。
僕にとってはもう神様みたいな存在なので、福本先生は。
当時読んでた高校生の頃の自分に”君、トネガワが主人公の漫画書いてるよ”とか言っても
多分信じてくれないだろうなとは思います。」
『ハンチョウ』などの『カイジ』スピンオフシリーズは、
福本先生は協力という形で、内容は萩原さんに任せられているんだそう。
(萩原さん)
「任せると言っていただいて。
それは本当にめちゃくちゃありがたいことだし、なので下手な漫画は書けないなとは思ってますね。」
”おーい!元気しちょる?”
学生時代、一緒に漫画を読んでいた親友・広瀬さんから、霧島焼酎の贈り物。
(萩原さん)
「うちの父が(霧島焼酎が)大好きなので、今度東京来たときに一緒に飲もうかと思います!」
広瀬さんからのビデオメッセージに少し照れくさそうな萩原さん。
ふとしたことで志した漫画道。
取材D) 漫画家になるってやっぱ難しいですよね。
萩原さん)難しいと思います。僕はもう完全に運が良かったなと思います。タイミングとか巡り合わせとか。
でもやってないと多分そのチャンスもなかったんだろうなみたいなのがあるんで。
諦めるタイミングが何回もあったんで、諦めないで良かったなって感じですかね。

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