#32 寺島啓祐(料理人)

お~い!元気しちょる?

24年4月3日(水) 20:00

寺島啓祐さん(都城市出身)

  

朝7時、東京・恵比寿の繁華街に、今回の主人公・寺島さんの姿がありました。

 

 

昨年4月に料理人になったばかりの寺島さん。

駆け出しの、1年目です。

 

まだ誰もいないお店で下準備を黙々とこなしていきます。

 

(寺島さん)

「自分が思っていたより、すごく厳しい世界だなって思いました。」

 

寺島さんが働くお店”MONNALISA”は、恵比寿店・丸の内店ともに、

これまで何度もミシュラン一つ星を獲得しているフランス料理の名店です。

 

 

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MONNALISAのオーナー・河野シェフは、川南町出身です。

以前、「わけもん!」の凄腕料理人リレーでご出演いただいたことも。

 

河野シェフは、25歳の時に単身でフランスへ。

最高級フレンチレストラン タイユバン・ロブション(現 ジョエル・ロブション)にて初代日本人シェフを務めた、世界でも指折りの料理人です。

 

(河野シェフ)

「この場所にくるとは、夢にも思っていなかったけれど、できたのは、自分で夢を描いて、頑張ろう!と思って、”自分を信じてやってきた”からだと思います。」

 

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現在、寺島さんが任されている料理は、前菜―――アミュ―ズ・ブーシュ。

 

(寺島さん)

「(食材を)柔らかくして、ミキサーにかけて、ピューレを作ります」

 

素早く、そして繊細に仕上げていきます。

厳しい視線で見守る、河野シェフ。

 

味のチェックが入ります。

 

(河野シェフ)

「味はいい感じ」

「たいしたもんや」

 

評価は上々。寺島さんの表情にも、笑みがこぼれます。

 

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寺島さんが料理人を目指した理由とは―――

 

(寺島さん)

「お父さんの姿を見て、すごくかっこいいなと思って。

 自分がつくった料理でお客様を笑顔にできるってすごくいい仕事だなと思って。」

 

寺島さんの実家は、都城市にある”deja-vu”という、宮崎牛を扱ったレストラン。

啓祐さんは、幼いころから料理人になるのが夢でした。

 

(父・良幸さん)

「3~4歳の頃から”コックさんになる!”って(言っていた)。

 家族でバーベキューとか行くと私の上に乗って肉を一生懸命焼いてましたね。」

 

高校時代は、甲子園を目指しながら、福岡の名門・九産大九州で学びます。

高校卒業後上京し、辻料理師専門学校へ。

在学中にフランスへ留学し、本場のフランス料理を学びました。

 

就職活動をする中で、一目ぼれしたのがここ、”MONNALISA”でした。

 

(寺島さん)

「(MONNALISAの料理が)美しいなと思って。本当にただそれだけで、(MONNALISAに)入ろうって思いました。」

 

寺島さんが心を奪われたという、美しい料理がこちら。

 

 

父・良幸さんも、MONNALISAに行きたいという啓祐さんの想いに、驚いたといいます。

 

(父・良幸さん)

「(卒業後)どうするんだって話をしたら、”MONNALISAというお店で働きたい”って。

 私が20年くらい前に東京で修行していた当時でも、第一線のお店で。」

 河野シェフとは、お会いしたことはなかったですけど、有名な方だったのでもちろん名前は知っていて。

 そういうお店を選んだというのが驚いたし、嬉しかったですね。」

 

(河野シェフ)

「僕も宮崎出身なんで。彼もいつかは宮崎に帰って素晴らしいフレンチのフェアをやったりして、自分の名前を挙げていければいいかなと思っています。」

 

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この日、寺島さんは”あること”にチャレンジ。

 

”あること”とは―――

 

料理人たちが食べる”まかない”作り。

 

(寺島さん)

「麻婆豆腐を作ります。」

 

(先輩シェフ・河本さん)

「最初の方は仕事覚えるので手一杯なので、仕事に慣れてから徐々にまかないを作っていきます。」

 

まかないを作ることは、料理人にとって大切な学びの場でもあります。

先輩に教わりながらの調理です。

 

 

河野シェフにも、修行時代を振り返ってもらいました。

 

(河野シェフ)

「厳しい時代もじゃなくて、厳しい時代しかなかった。

 朝7時から仕事行って、休憩もないし、昼飯も食べていないし、夕方1食だけ。で、夜があると11時、12時前。

 家帰って、ばたんきゅーしたら目覚ましが聞こえない時代がいっぱいあった。」

 

河野シェフに、料理人に必要なことを聞いてみると。

 

(河野シェフ)

「出来の悪い子でも、コツコツやる子がのびる。」

「自分で選んだ職業だから続けなさい(と、いつも思っている)。」

 

 

するとここで、寺島さんのまかない料理が完成しました。

 

 

いざ、実食。

 

スタッフのみなさんから、”美味しい”という声が次々と聞こえてきます。

 

(河野シェフ)

「まかないが上手な人はみんな成功してる。」

 

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そしていよいよ、お店がオープン。

お客さんに料理をスムーズに提供するため、調理場は常に時間との闘いです。

 

(料理長・小暮さん)

「最初はできないのが当たり前なのでしんどいと思うけれど、それを乗り越えていくことが大事。(寺島さんの)これからが楽しみです。」

 

営業時間が終わり、後片付け。

家路に着くのは夜遅く・・・。

 

 

自宅には、こんなものが飾られていました。

 

”おこずかい がんばれ!けいすけ!”と書かれた紙。

 

(寺島さん)

「夏 帰省の時にお母さんからもらったお小遣いの中に手紙が入っていて。

 気持ちが沈んだ時に、これを見て”やろう”っていう気持ちになれるように貼っています。期待に応えたい気持ちはすごくあります。」

 

 

”お~い!元気しちょる?”

 

 

宮崎・都城のご家族から寺島さんに贈ったものとは。

 

(寺島さん)

「(霧島を手にもって)僕の家にも、実家にも置いています。」と笑顔。

 

 

そして・・・お肉の塊!?

 

 

(父・良幸さん)

「妻の実家が牧場をしていまして、そこの、宮崎牛のサーロインロースです!」

 

(寺島さん)

「(このお肉で)まかない作ります!!(笑)」

 

 

(寺島さん)

「みんなの声援が力になったというか、また一から気持ちを作り直して頑張っていきたいと思います」

 

 

寺島さんが目指す料理人とは―――

 

 

(寺島さん)

「お客様を笑顔にできる料理人になりたいです」