お~い!元気しちょる?

#56 青木香奈子(プロゴルファー)

お~い!元気しちょる?

26年4月1日(水) 20:00

青木香奈子さん(宮崎市出身)

 

一見どこにでもいそうな普通の女性。

でも実は―――

 

彼女は宮崎市出身のプロゴルファー、青木香奈子選手。

 

 

取材D) クラブの得意不得意はあるんですか?

青木選手)あります。私アイアンが好きなんですよ。

     5番アイアンまで入れてたんですけど、トーナメントのグリーンの硬さの関係上、

     やっぱ球を上から落としたいなっていうのが去年の課題でもあったので、その面を含めて

     5番アイアンを抜いて、ユーティリティの方が球が高いので、ユーティリティを一本増やそうかなっていう。

 

ゴルフの世界で”プロ”と名が付くのは二つ。

 

一つはゴルフスクールや練習場でアマチュアに指導するティーチングプロ。

そしてもう一つが、国内外で開催されるトーナメントに出場し、賞金を稼ぐツアープロ。

 

青木選手はツアープロとしてトーナメントに出場しています。

 

現在、東京を拠点に各地で行われる試合に参加している青木選手。

オフシーズンの2月上旬は、室内でコーチとのトレーニングに励んでいました。

 

(武井コーチ)

「彼女の場合、結構思い切りがあるところはすごい魅力かなと思います。

 やっぱり飛距離が出る分だけ他の選手にない、そういう長いクラブでのアグレッシブさがあって、

 長い番手での調子がいいときのゴルフは本当すごいと思います。」

 

女子プロゴルファーのドライバーの平均飛距離が230ヤード前後と言われる中、青木選手の飛距離は264.6ヤード。

 

しかし―――

 

(青木選手)

「ショットの調子が命です。フットが良ければパターも入るようにしちゃう。」

 

飛距離だけでは勝てないプロの世界。青木選手は、最新のゴルフ機器を取り入れてトレーニングをしています。

持ってきたのは、体重計の様な板2枚。スイスのメーカーが開発した、足にかかる圧力を計測する機械です。

 

 

(青木選手)

「全て数値化です。ノー感覚。」

 

(武井コーチ)

「どこに体重がいってて、どういう動きをしてるのかとか、それぞれの足のパーセンテージ・割合だったりとか、

 あとはどこにそれぞれのピークが来てるのかとかっていうのをちょっと見ながら(練習しています)」

 

―――

 

青木選手はミレニアム世代と言われる2000年生まれの25歳。

子供の頃から運動は好きだったものの、ゴルフに触れたのは小学生からでした。

 

(青木選手)

「(クラブを)初めて握ったのは10歳で、真剣にゴルフ1本で始めたのは15歳ぐらいですね。

 ゴルフを始めたきっかけは、祖父がクラブを買ってくれてって感じだったんですけど。

 でもそっからゴルフが好きで始めていくにつれて何となくプロになりたいなって思っていった感じですかね。」

 

プロゴルファーを目指し、中学卒業後は多くのプロを輩出している宮崎日大へ進学。

2024年にプロテストに合格し、プロゴルファーに。

 

オフシーズンはスイングだけでなく、肉体改造にも取り組んでいました。

 

取材時、体重は55キロだと明かした青木選手。

昨シーズン終了時の50キロからは5キロ増量となりました。

 

(青木選手)

「この歳で増量なんて言いづらい部分でもあるんですけど、でもやっぱ結構、みんなオフは大きくするので。

 徐々にシーズン終わるにつれて減っちゃう。できるだけ重たい方が体力的にも(良い)。」

 

普通ならためらってしまいそうな話も飾らずに話してくれる青木選手は、ゴルフ界でも人気者。

プロになる前にYouTubeのゴルフチャンネルに出演すると、その美しいスイングと明るいキャラクターで

”アオカナ”として瞬く間に注目を集め、SNSのフォロワーも急増。

現在、インスタグラムのフォロワーは11万人を超えています。

 

(青木選手)

「(フォロワーが増えるのは)純粋に嬉しい気持ちの方が大きかったと思います。

 やっぱり、注目されるっていうのは変なプレッシャーももちろんある中で、

 今ももちろんその気持ちもあるんですけど、でもその分、味方っていう方に考えた方が

 自分的にもいい方向に繋がっていくと思うので、”味方が多い”っていう考え方にしています。」

 

 

プロとして2シーズン目を迎える青木選手。

しかし、高校卒業後すぐにプロになれたわけではありませんでした。

 

その当時のことを知る人が宮崎にいます。

 

名門 フェニックスカントリークラブのメンバー福森さんです。

 

(福森さん)

「(青木選手が)19歳の頃、(私が)プレ-する時にキャディーでついたのが最初です。

 もうだから6年ぐらい前ですかね。」

 

プロを目指していた青木選手は、研修生兼キャディーとして勤務。

年に1回行われるプロテストに臨んでいました。

 

 

(福森さん)

「(交流が続くことは)めったにないんですけど、プロを目指してるっていうことで、

 その後に一緒にラウンドをしようという話になってラウンドしたっていう感じですかね。

 本当にプロになりたいんだということで、一生懸命ここの研修生としてトレーニングもされて。」

 

(青木選手)

「(プロになろうと思ったのは)進路を決めるときですね。

 大学行くか、プロになるかっていう段階で、大学行く場合はもうゴルフをほとんどしないっていう選択だったので、

 そのときに、やっぱ大学よりもフェニックスで研修生してプロを目指したいなって思っていましたかね。

 最初は後悔は結構ありました。最初のプロになれない時期は、やっぱり大学生楽しそうだなって思ったことも

 結構ありましたし、4年ぐらいは後悔してたんですけど...。」

 

合格率3%という厳しいプロテスト。

青木選手はゴルフを離れていた時期もあったそうです。

 

(福森さん)

「(青木選手から)苦しいっていう思いは聞いたことありますけど、

 辞めるかもって聞いたのはそれ1回だけですかね。」

 

その後、自分を追い込むため東京へ拠点を移した青木選手は、6回目の挑戦で見事合格。

10代の合格者も多い中、遅咲きのプロ生活をスタートさせました。

 

(福森さん)

「いやもう本当嬉しかったですね。スマホで結果を見ながらずっと追いかけてたんですけど、

 多分最終組が終わるまで結果がわからなかったんですよ。

 最終組が終わったときに”プロに受かった”っていうことですぐ連絡をさせていただいたら、

 すぐ”やりました!”と(連絡が)返ってきましたね。」

 

―――

 

今では全国各地を飛び回る日々。

プライベートを一緒に過ごすことが多いのは、高校時代からの親友、木下夏帆さんです。

 

二人のディナーに同行すると、女子トーク満載で楽しそうな話が止まりません。

 

 

取材D) 本当にずっと喋ってますね。

青木選手)やばいんですよ。本当どうでもいい(話ばかり)。

     TikTokを見出したら逆に(話が)止まらないんですよ。

取材D) ゴルフの話はしないんですか?

青木選手)まじでしないです。全然しないですよ。

木下さん)(ゴルフの話を)するときってさ、どっちかが試合のときとかじゃない?

 

木下さんは、自身もプロを目指しながら、青木選手のキャディーも務めています。

 

(木下さん)

「私が結構聞いてることが多いです。技術的な問題で。”バンカーどうやって打ってる?”とか。」

 

そんな木下さんから見た青木選手の強さとは?

 

(木下さん)

「一瞬、終わって車に乗って落ち込む、黙ってる、とかはあるんですけど、黙りながら涙をぽろっと流して。

 私もそれはわかってるから何も言わず、向こうこっちが喋るまで待つ。

 それが、本当5分とかで。そこで何か切り替えてんだろうなと思って。」

 

(青木選手)

「なんか一瞬(涙を)流したら終わるんですよ。逆に流さなくてずっと何か(ずーんと)やってると延々続くんで、

 もう一瞬垂らして、”よし行こう!”みたいな感じ。」

 

オンとオフを切り替えて、青木選手はプロの世界に挑戦しています。

 

 

”お~い!元気しちょる?”

 

 

全国各地で頑張る青木選手に、宮崎からエールを送る福森さんからの贈り物。

 

(青木選手)

「SUZU KIRISHIMA!私も結構オフシーズンのときはよく実家で飲みます。霧島。ちなみに紙パックで。(笑)」

 

 

福森さんからのビデオレターにも笑顔いっぱいの青木選手。

 

そして、3月末に宮崎で行われたアクサレディスゴルフトーナメント。

地元の歓声を受け、青木選手はのびのびとプレーをしていました。

 

(青木選手)

「味方というかすごい応援してくださる方が多いので、楽しく1日プレーできたと思います。」

 

トッププロを目指して、青木選手の挑戦は続きます。

#55 藤原詠巳(声優 ナレーター)

お~い!元気しちょる?

26年3月4日(水) 20:00

藤原詠巳さん(宮崎出身)

 

 

出身大学は東京大学。

少し前までは外資系企業で働いていた彼女。今の職業は「声優 ナレーター」です。

 

(藤原さん)

「いろんなキャラクターの人生を演じることができたりだとか、

 あとは私自身を通してできる表現って何なんだろうとか、無限にある表現の中から”自分だけのものを探す”とか、

 ”正解がないエンタメ”だからこそ広がってる可能性を探すのが楽しいですね。」

 

輝かしい経歴から一転、エンタメの世界へ。

無限の可能性の中から、彼女が見つけようとしている”自分だけの声優像”とは?

 

―――

 

今回の主人公は、声優 ナレーターの藤原詠巳さん。

 

 

この世界に飛び込んでおよそ1年。様々な声の仕事で活躍しています。

 

(藤原さん)

「一応、声優 ナレーター業と言われる全ジャンルはさせていただいてて、

 アニメーション映画、外国映画の吹き替え、ゲーム、ナレーション、あとは朗読劇、舞台系とか。

 1年間で、それぐらいのことをさせていただきました。」

 

藤原さんが出演した朗読劇『マスターピース』。

”リーディングシアターライブ”と呼ばれ、動く漫画”モーションコミック”にセリフを当てて、

耳だけでなく五感で体感する、新しい形のエンタメとして今注目されています。

 

取材当日は、そのマスターピースのモーションコミックに合わせたアフレコ収録。

 

 

藤原さんは、演劇部の元天才子役の城内羊苹(しろうち・ようへい)を演じます。

 

藤原さんのアフレコを見守るのが、声優ナレーターとして第一線で活躍し、事務所の社長も務める西村俊樹さんです。

演技指導もおこないます。

 

(西村さん)

「この(藤原さんの)経歴、彼女のストーリーっていうのは、もう唯一無二なんですよね。

 うちの業界どれだけ広いって言っても、全く同じっていうのは見たことがないので、

 やっぱタレント性が抜群だと(思います)。」

 

―――

 

藤原さんの高校時代の恩師が日向市の高校にいます。

現在、日向高校の校長を務める鬼束美和さんです。

 

(恩師・鬼束さん)

「藤原詠巳さんは、大変お勉強ができて。

 女子のリーダー的な位置にいたということは間違いなかったと思うんですけども。」

 

藤原さんの東大進学を後押しした鬼束さん。声優への転身には当初、驚いたそうですが・・・。

 

(恩師・鬼束さん)

「おそらく彼女のことですから、冷静に状況を判断して、そして自分の得意不得意とかいうことも分析した上で、

 その道に飛び込むと思うので、私達が考えるレベルを超えて成功していくんじゃないかなと期待しています。」

 

(藤原さん)

「高校1年生のときに、東京大学行きたいなと思ってたんですけど、

 残り3年間でどれぐらい実現可能なのかみたいなところでちょっと諦めようと思ってたときもあったんですけど、

 鬼束先生から”いや、東大受けてみていいと思う!チャレンジしていいと思う!”っていうのを言っていただいて

 その後押しがあって3年間、勉強できました。」

 

東大から外資系企業と順風満帆なコースを歩んでいた藤原さん。

エンタメの世界を選んだ理由とは?

 

(藤原さん)

「私はあんまり小中高と、アニメーションとか漫画をほとんど見たことがなかったんですけど、

 『呪術廻戦』という作品に出会って、”今のアニメーションってこんなにすごいんだ”って衝撃を受けて、

 声優になると、声のお仕事だけじゃなくて、歌手活動だったりタレントだったりエンタメ幅広く関われると思って、

 これは面白いお仕事だなと思ったので声優になりたいと思って転向しました。」

 

声優だけでなく、ナレーターとしても活動する藤原さん。

そんな彼女の武器は、日本語だけでなく、英語・韓国語・中国語などを話すことができるクワドリンガルであること。

 

(藤原さん)

「英語は受験勉強で頑張って、韓国語は元々めちゃめちゃ韓流が好きだったので、

 曲聞いたりとか、あとドラマとか...エンタメで覚えました(笑)

 せっかくなんで、外国語も日本人が日本人の感性を持って外国語のセリフ言えたらいいなっていうのがあるので。」

 

時には”宮崎弁”でナレーションする姿も。

そんな藤原さんの才能に、事務所の社長、西村さんは―――。

 

(西村さん)

「本当にもう話しきれないぐらい、(藤原さんには)いろんな要素があって、ポテンシャルがあって。

 全てがもうタレント力、そして声優 ナレーターに全部繋がるのがもうこの子なので、

 この子一つの新しい時代の声優 ナレーター像、アイコンっていうところで据えて、うちの藤原中心に、

 何か業界が大きく動くような、何かそんな存在になってほしいなっていうのは思ってます。」

 

多くのポテンシャルを秘める藤原さん。

その一つが”歌”。しかも英語・韓国語のラップを歌いこなします。

 

 

(西村さん)

「今はそれこそ声優さんって”歌って踊る”って当たり前じゃないですか。

 でも歌って踊れて、ラップができるっていうのは今までなかったんですよ。」

 

さらに、藤原さんの才能は言語やラップだけにとどまりません。

 

(藤原さん)

「歌のレコーディングと同様に歌手活動とかもしたいので、その時にKPOPアイドルのようなパフォーマンスが

 しっかりできるような楽曲とか、そういうステージにも立ちたいと思ってるので。」

「声だけでは本当に戦えないような、そういう時代にもなってきているので、

 一つでも二つでも、もういくつでも武器は多い方がいいなと思ってます。」

 

 

”お~い!元気しちょる?”

 

 

宮崎にいる鬼束先生からSUZU KIRISHIMAの贈り物。

 

 

(藤原さん)

「すごいキラキラ!かわいいです。嬉しい!ありがとうございます!」

「飲みやすくて美味しいです!でも、キリッとしている。

 けどマイルド。美味しい、ありがとうございます!いっぱい飲みます!」

 

恩師・鬼束さんからのビデオメッセージに、嬉しく、改めて背筋が伸びる気持ちと話す藤原さん。

マルチな才能を発揮する藤原さんの、これからの夢は?

 

(藤原さん)

「”世界で認知される”が一番の夢かもしれないですね。あともう一つはちょっと違う角度なんですけど、

 宮崎とか、そういうちょっとエンタメからはもしかしたら縁がないなとか、距離が遠いかもしれないと

 思ってる皆さんに、全然エンタメて飛び込める世界だし、いろいろな可能性が広がってるよっていうところを

 お伝えできるような、そういうシンボルになれたらいいなっていうのもあります。」

#54 萩原天晴(漫画原作者)

お~い!元気しちょる?

26年2月4日(水) 20:00

萩原天晴さん(宮崎市出身)

 

「早ければ1日、2日で終わっちゃうこともあります。

 でも、難航すると1週間とか下手するとかかっちゃうときもありますけど」

 

東京都内某所。原稿用紙と向き合うのは、今回の主人公、萩原天晴(てんせい)さん。職業、漫画原作者。

 

 

(萩原さん)

「これ面白いの書けそうと思って、こう書いていくじゃないですか。

 ただ、途中まで結構書いてたところで、”あれ?これ駄目だ”ってなることもあって、

 それを全部ボツにしてまた1からみたいなこともあります。別の話を考えるみたいな。」

 

書いているのは、現在ヤングマガジンで連載中の萩原さんの代表作『1日外出録ハンチョウ』。

萩原さんは原作担当として、ストーリーや大まかなコマ割り・セリフの書かれた”漫画の設計図”である”ネーム”を制作。

 

 

この萩原さんの”ネーム”が作画担当の2人に送られ、出版されることになります。

 

1日外出録ハンチョウは大人気漫画カイジのスピンオフ作品。

カイジでは敵キャラだった『ハンチョウ』こと大槻が主人公となり、24時間という限られた時間の中で、

グルメ・旅行・サウナといった究極の休日ライフハックを楽しむ様子が描かれた漫画です。

 

取材D) 作風と萩原さんの見た目がちょっとギャップがありますね

萩原さん)どんなイメージでした?

取材D) もうちょっとおじさんだと思ってました

萩原さん)おじさん漫画ですからね。いやでもそれはよく言われますね、会う人に。

 

(萩原さん)

「本当はメディアで顔とか出したくなくて。

 それは何か、自分の漫画に書いている人のイメージをあまり持たれたくないというか、

 持ち込まれたくないっていうのがあったんですけど。

 宮崎地元なので地元(のテレビ)なら、ちょっと両親も喜ぶかなと思い(取材を受けました)。」

 

萩原さんは子供の頃から漫画は好きだったものの、今の仕事に就くとは思っていませんでした。

 

(萩原さん)

「スポーツばっかしてたんすけど、高3の、進路を決めなきゃなっていうときに、

 なんかこのまま勉強して大学行って就職してっていうのがなんかこう、本当にそっちなのかなっていうのが

 漠然とあって。そんなときに友達の家に行ってGANTZっていう漫画を読んで。もうめちゃくちゃ面白くて、

 なんかすげえなと思って、その場で友達に”俺漫画家になるわ~”って言ったら、”おう!”みたいな。

 そのまま家に帰って、親にも”ちょっと俺漫画家を目指してみようと思う”(と伝えた)。」

 

 

そんな萩原さんの唐突な決意表明を聞いたのが、宮崎在住の親友、広瀬亨樹さんです。

 

(親友・広瀬さん)

「”広瀬、俺、漫画家になるわ。”って、急にぽつっとつぶやいて。

 僕としては”おう~”ってちょっとびっくりして、あっけに取られたんですが、

 その後、急に美術部に入って絵を描き始めて、美大受験するわって言って美大を受験して、

 京都の美大に合格して、そのまま漫画の道に進んでいったっていう。」

 

今でも定期的に宮崎に帰省している萩原さん。

連載中の『ハンチョウ』には宮崎ネタが度々登場します。

 

例えば、主人公ハンチョウの側近、宮崎出身の沼川と食事するシーンでは、

 

ハンチョウ)沼川、出身は?

沼川)   九州の宮崎ですが

ハンチョウ)なるほど。お前が食べたいものはズバリ・・・チキン南蛮!

 

…なんて場面や、さらには宮崎出身者同士で方言を話す場面も。

 

「てげうめえ」「ごつ」や、イントネーションを巧みに表現するなど、宮崎弁満載。

他にも登場する店名が、宮崎ゆかりのものであったりと、宮崎人ならニヤリとする場面もたくさん登場します。

 

これに対してネットでは...「ハンチョウの宮崎ネタはガチすぎる!」といった反応も。

 

これ宮崎の人しかわからんやろみたいな。何書いてんのみたいな感じとかでしたけど。ギャゼットとか。

東京の人はなんだろう?って、宮崎の人以外分かんないだろうなみたいに思いながら書いたりとか。

 

大学時代、講談社の漫画賞を受賞したことで、本格的に漫画の世界に飛び込んだ萩原さんですが、

その漫画人生は順風満帆ではなかったといいます。

 

(萩原さん)

「本当に1年2年何も書けない時期とかありました。牛丼屋の深夜バイトで牛丼作って、

 四畳半の自分の部屋に帰って寝るみたいな日々をしてた時期もあります。その時期は本当つらかったですね。」

 

取材D) その当時の経験とかも漫画に書いてますよね?

萩原さん)書いてます。

 

(萩原さん)

「当時めちゃくちゃつらかったんですけど、今思うとその時期があったおかげで書けることとか、

 今の自分があるんで、よかったなというか、何があるかわかんないなとは思いますね」

 

日常の些細な出来事をアイディアにする萩原さんの漫画。編集者と話しながらストーリーを固めていきます。

 

(萩原さん)

「今日は連載中の『1日外出録ハンチョウ』っていう漫画の次の話の打ち合わせですね。」

 

~打ち合わせ中~

萩原さん)前回、森くんと話したやつなんですけど、書いてみたんですけど、なんかちょっと弱いなと思ってあれが。

     地下での就労期が終わって、もうあと1週間ぐらいで出るというときのそのおっさんの話っていうか

     っていうのが、ちょっと良さそうかなと思っててなんだろう民主主義になった弊害の

     自由のせいで苦しんでる現代人みたいなものの共感が得られたらいいなみたいな。

 

 

(ヤングマガジン編集部・濱中さん)

「こういう出来事があったとか、昔こういうことをやってたっていう。

 その物事に対して、自分どう思ったのかみたいな、その感情をしっかり客観視というか、それがすごいできてる人。」

 

(ヤングマガジン編集部・森さん)

「その日常を読者の皆さんにすごい共感してもらえる形で切り取るのがすごい上手だなっていうふうに思っていて。

 主人公もやっぱおじさんたちですけど、女性とか子供とかでも共感できることがいっぱい入ってるというか。」

 

 

萩原さんの連載デビューは2014年、その最初の連載が終了した頃 飛び込んできたのが、

大人気漫画『カイジ』のスピンオフ作品『中間管理録トネガワ』の話でした。

 

(萩原さん)

「担当に就いてくれてた方がその企画を”ちょっとあるんだけどどう?”って声をかけてくれて

 ちょっと書いてみますということで書いたら”OKいけます”ってことで始まったって感じです。」

「結構トントン拍子にババっと決まって、もう5月に一番上に乗りますみたいな

 なんか”え?もうそうなんですか”みたいな。”わかりました”みたいな。全く実感がないまま始まった感じでしたね。」

 

『トネガワ』は発表されると瞬く間に評判となり、

2017年には「このマンガがすごい!2017」のオトコ編で1位に選ばれます。

 

さらに、『カイジ』スピンオフとして『ハンチョウ』『イチジョウ』の連載も開始。

特に『ハンチョウ』はスピンオフ作品としては異例の20巻を突破。

有名人にもファンが多く、企業コラボも行うなど、スピンオフという枠にとどまらない人気漫画となりました。

 

その活躍に、親友の広瀬さんは―――。

 

(親友・広瀬さん)

「最初は信じられなかったですね。これ本当に萩原くんの作品なのかなと思ってずっと見てたんですが。

 作品の中でも結構宮崎のことが登場するシーンが多いので、

 やっぱり今でも宮崎を忘れてないんだなという思いはしますね。」

 

―――

 

『カイジ』原作者である福本伸行先生に憧れていたという萩原さん。

憧れ先生のスピンオフ作品を担当することについて、萩原さんの想いを聞きました。

 

(萩原さん)

「僕の父が家に(持っていた)『銀と金』っていう福本先生の漫画があって、それをもう小学生の頃から読んでて

 難しくてわかんない部分もほとんどなんだけど、そのキャラクターとかの立ち具合とか、

 もうセリフのうまさとかで十分面白いっていう。」

 

『金と銀』は、福本伸行作品の中でもファンが非常に多く、裏社会を舞台にしたサスペンス漫画です。

 

(萩原さん)

「(福本先生に)会うと、すごい褒めてくださったりとかもして、もう本当ありがたいなと。

 僕にとってはもう神様みたいな存在なので、福本先生は。

 当時読んでた高校生の頃の自分に”君、トネガワが主人公の漫画書いてるよ”とか言っても

 多分信じてくれないだろうなとは思います。」

 

『ハンチョウ』などの『カイジ』スピンオフシリーズは、

福本先生は協力という形で、内容は萩原さんに任せられているんだそう。

 

(萩原さん)

「任せると言っていただいて。

 それは本当にめちゃくちゃありがたいことだし、なので下手な漫画は書けないなとは思ってますね。」

 

 

”おーい!元気しちょる?”

 

 

学生時代、一緒に漫画を読んでいた親友・広瀬さんから、霧島焼酎の贈り物。

 

(萩原さん)

「うちの父が(霧島焼酎が)大好きなので、今度東京来たときに一緒に飲もうかと思います!」

 

広瀬さんからのビデオメッセージに少し照れくさそうな萩原さん。

 

ふとしたことで志した漫画道。

 

取材D) 漫画家になるってやっぱ難しいですよね。

萩原さん)難しいと思います。僕はもう完全に運が良かったなと思います。タイミングとか巡り合わせとか。

     でもやってないと多分そのチャンスもなかったんだろうなみたいなのがあるんで。

     諦めるタイミングが何回もあったんで、諦めないで良かったなって感じですかね。

 

#53 REO(RefRise)

お~い!元気しちょる?

26年1月7日(水) 20:00

REOさん(宮崎市出身)

 

「今日も仕事頑張ろうとか、つらい事があったけど乗り越えていかなきゃなという覚悟になるような

 頑張れる、一歩踏み出せるような楽曲をテーマに掲げて作ることが多いです。」

「子どもたちの夢を応援したいというのが、今のRefRiseの主なテーマです。」

 

こう話すのは、今回の主人公REOさん。

RefRiseというハートフルボーカルデュオで、福岡を拠点に活動しています。

 

 

(REOさん)

「元々は、『芸能人』というか、戦隊ヒーローになりたくて。オーディションを、100回近く色々なものを受けて

 ほとんど落ちて、3年目でやっとジュノンボーイというものに受かって。」

 

そして高校卒業後、俳優になるために福岡に拠点を移したREOさん。

しかし、夢を叶えることはできませんでした。

 

そんな時、REOさんが新たに見つけたものが―――。

 

(REOさん)

「ヒーローって子どもたちの夢じゃないですか。というのを考えたときに、

 じゃあ自分は、”音楽で子どもたちと関われるんじゃないかな”と思って、独学で音楽を始めました。」

 

RefRiseは、家族愛や応援をテーマにした楽曲を歌い続けています。

また、一昨年には福岡市民会館に1700人を超える観客を集め、特別支援学校の生徒などを無料招待しました。

 

 

♪繋

僕のこの一歩であなたを救えるなら 迷わずに進むさ

僕とあなたと 一緒に繋いでいこう

 

―――

 

そんなREOさんの夢を後押ししてくれた恩師が、宮崎にいます。

高校3年間、REOさんの担任を務めた、天神哲也さんです。

 

(恩師・天神さん)

「(高校時代のREOさんは)明るくて、元気で、笑顔を絶やさずに毎日学校生活を楽しく送っていて、

 オールマイティーにあらゆる面でリーダー的な立場に立って頑張っている生徒だった印象です。」

 

入学当時は進学を希望していましたが、俳優になる夢を選んだREOさん。

天神先生も、当初は反対だったそうですが...。

 

(恩師・天神さん)

「エンターテインメント業界はなかなか大変だなというイメージがあったので、本当にそれでいいのか?

 というところを本人にもいろいろ語る機会があったんですけれども、

 自分でその道に行くということを模索し始めて色々チャレンジしていたので、

 ”ああこの子は本当にそっちの方に行きたいんだ”と思って、担任としても応援していました。」

 

(REOさん)

「先生のおかげで今の自分が音楽をできていますし、芸能活動というものへの意識もしっかり高められたのは、進学校でありながら芸能に進む道を支えてくださった先生のおかげだったのというのは今すごく思っています。」

 

―――

 

取材当日、REOさんの姿は福岡市の東福岡特別支援学校にありました。

今日は出張コンサート。同じ場所でコンサートをおこなうのはこの日で3回目です。

 

(REOさん)

「僕の妹が障がいをもっているということもあって、そういった、障がいをもった子どもたちが

 心から楽しめる空間というか、子どもたちに、ライブ――音楽というのを、肌で感じてもらうことができますし、

 僕らに会ったことで、夢とか目標に向かって頑張るキッカケになればいいなと思って。」

 

♪family

かけがえないfamily 笑ったり泣いたり

躓く度に手をとって歩いてきた

少し長い旅にさあ出かけようか

もう一人のストーリーじゃないんだから My family

 

 

(東福岡特別支援学校・野口校長)

「子どもたちがすごく(RefRiseに)愛情を感じているみたいなんですよね。

 RefRiseも子どもたちにすごくたくさん愛情をかけてくださる。

 そのつながりが、(子どもたちが)これから社会に出ていった時にきっと役に立つ。

 共生社会に生きる力になると思っているので、とてもいいライブだと思っています。」

 

♪HOME

目を閉じればいつも 浮かぶ景色が今ここにある

僕らの帰る場所みんなの帰る場所

ただいまとおかえり

 

愛し愛されることを 思うままにあなたが誰かに

あなたの根にあるその優しさを重ねて包み込むように

ただいま(おかえり) おかえり(ただいま)

血の繋がりがなくても関係ない 僕らはファミリーだから

 

(生徒)

「(RefRiseのことが)はい、好きです。」

「本当にRefRiseはすばらしく最高です」

「RefRiseは歌がうまくてカッコいいところ(が好き)です。」

 

―――

 

取材日の夜。

出張コンサートを終えたRefRiseのお二人の姿は、福岡市の「はかた魚宴」にありました。

 

 

(REOさん)

「(出張コンサートを振り返って)子どもたちの素直さというか、

 ああいう真っ直ぐな子どもたちが社会で傷つけられてしまうのが俺は許せない。

 こういう子たちを守っていきたいなと。未来を守っていきたいなという気持ちに(ライブをすると)なるよね。」

 

(RYOMAさん)

「なる。やっぱり、ステージに立っていて思うこともあるし、俺らってライブをいっぱいやってるけど、

 1回しかステージで歌っていない曲を今日改めてまた歌ったらみんな口ずさんでて。

 ”覚えてるんだ””聴いてくれてるんだ””家帰って練習してるんだ”みたいな気持ちになることってあんまりないから、

 そこをすごくやっぱり感じる。」

 

今年7月に10周年を迎えるRefRise。

その記念すべき年に、二度目のZepp福岡でのライブが決定しました。

 

(REOさん)

「もちろん前回を超えるステージ、歌、音楽。たくさんの仲間を連れてライブできたらいいなと思います。」

 

(RYOMAさん)

「Zepp福岡は、やっぱりなかなか取れないステージなんですけど、

 あそこにまた立たせていただけるチャンスをいただけたので、全力で取り組めたらなと思っています。」

 

”続けよう!”と二人で熱い乾杯。

 

RefRiseとして活動を続けておよそ10年。

REOさんの私生活にも大きな変化がありました。

 

結婚。そして長女音華ちゃんの誕生です。

 

(REOさん)

「子どもが出来たことで、やっぱり音楽でちゃんとご飯を食べられないと子どもも好きなことをさせられないなと。

 そこが一番じゃないですかね。今は。」

 

家族ができて、REOさんが作る楽曲にも影響が出てきたそうです。

 

(REOさん)

「やっぱり曲で家族の歌を歌う時に、今までよりも一層感情がのせられるようになって、

 届く人の範囲も広がったのかなというのはすごく感じます。」

 

―――

 

(恩師・天神さん)

「高校時代のREOくんのクラスでの様子を改めて思い返すと、みんなを勇気づけて元気づけるような人柄だったので

 そういったものを大事にしながら表現しているんだなと思って、本当に嬉しくなりました。」

 

”お~い!元気しちょる?”

 

宮崎にいる天神先生から、霧島焼酎の贈り物。

天神先生からのビデオメッセージに泣きそうになるREOさん。

 

(REOさん)

「あの頃の仲間と、あの頃と変わらない先生で、またみんなで集まれたら嬉しいです!

 その時は、一緒に乾杯しましょう!」

 

 

紅白出場が夢だというREOさん。

夢の実現のために一歩一歩進みながらたくさんの人たちの夢を応援し続けます。

 

(REOさん)

「目の前にいる方々に届かないものって、多分第三者には届かないと思っているので、

 一人一人目の前にいる人への感謝だとか、届けたいという思いを忘れずに音楽を続けていくことなのかなと思ってて、

 そこを忘れずに音楽を続けていきたいなというのは常に心にとめています。」

#52 吉原馬雀(落語家)

お~い!元気しちょる?

25年12月3日(水) 20:00

吉原馬雀さん(宮崎市出身)

 

 

(吉原馬雀さん)

「着物を着た人間が一人で、何の舞台設備もなくおしゃべりをする。

 それで、いろんな世界観をお客様にお伝えして、それが伝わるんですよね。可能性がある芸事だなと思いますね。」

 

東京、池袋。

宮崎市出身の落語家、吉原馬雀(よしわら・ばじゃく)。

 

 

現代の風景や世情を汲んだ創作落語を得意としています。

 

大学卒業後、27歳で落語の世界へ足を踏み入れた馬雀さん。

三遊亭天歌として活躍していましたが、当時の師匠とのトラブルが原因で活動休止を余儀なくされました。

その後、現在の師匠・吉原朝馬さんに再入門して、今年9月に念願の真打に昇進しました。

 

(馬雀さん)

「私一人では、多分、今こうやって真打興行はできていないですね。

 やっぱりお客様の声、そしてなにより、私をまた噺家として拾ってくださった今の師匠である吉原朝馬のおかげ、

 そのほか、業界関係者いろんな方に心配していただきましたけど、助けていただきました。」

 

今年の9月から、都内5か所で真打披露の興行をおこなっている馬雀さん。

この日は池袋での興行なのですが...取材陣との待ち合わせ場所はカラオケボックス!?

 

(馬雀さん)

「落語家の稽古っていろんなタイプがあると思うんですけど、私の場合は、ウチだとご近所に迷惑がかかるので、

 ちゃんと声出してお稽古するときにはカラオケに来るんですよね。結構いると思いますね。こういう噺家さんは。」

 

 

  落語家は―――。

 

  まず、修業期間の【前座】から始まり、その後【二ツ目】に昇進。

  そして最後に【真打】となり、寄席のトリを務めたり、弟子をとったりすることもできるようになります。

 

 

練習が終わって、池袋演芸場へ。

 

(馬雀さん)

「基本的には、一流の人たちが出演をされて、うちの師匠も出ますし。

 特別なプログラムの披露口上というものがありまして、それは幹部のみなさんが私の人となりとか、

 これまでの経歴を紹介してくれるんですけれど。」

 

披露口上。落語家が真打に昇進した際に行われる重要な儀式です。

この日の披露口上には師匠も出演し、弟子の門出を祝います。

 

(吉原朝馬師匠)

「(馬雀さんと付き合って)2年経ちますけど、だいぶ変わりましたよ。落語が。

 声もすごく出るようになったし、明るくなったし。期待しております。」

 

朝馬師匠の期待の言葉に、柔らかくも身の引き締まる表情の馬雀さん。

 

そして、馬雀さんを応援する声は、ここにも―――。

 

 

この日の寄席の高座に掛けられていた後ろ幕。馬雀さんの真打昇進祝いとして贈られたものです。

 

贈り主は、馬雀さんと中学高校で同級生だった伊藤麻子さん。

伊藤さんは、同級生たちと「吉原馬雀日向学院後援会」を結成しました。

 

(伊藤さん)

「今までの努力が実を結んで、同級生として嬉しいな、誇らしいなと思っています。」

 

馬雀さんが落語家を目指すきっかけとなったエピソードを教えてくれました。

 

(伊藤さん)

「当時の担任の先生がラジカセを持ってきて、みんなで落語を聞こうという日があったんですよね。

 馬雀さんも一緒に教室で落語のテープを聞いて、それがきっかけで落語に興味をもったと聞いています。」

 

(馬雀さん)

「それまでの私の中での落語というのが、ちょっと古い、名人の落語ばっかり車から聞こえてくるような、

 そういう環境だったので、(教室で落語をきいて)こういう面白い落語があるのかっていう。

 それがファーストインパクトでしたね。」

 

―――

 

取材当日の披露口上には、馬雀さんを見守ってきたファンも駆けつけました。

 

(ファン)

「彼が前座から二ツ目になるくらいの頃から噺をずっと聴いていて。あんまり上手くはなっていないですよね(笑)

 だけれども、一生懸命さが全然変わらないし、本当に彼は落語が好きなんだなって、そんな気がします。」

「飲み屋さんの二階で小さな落語会をやっていて、その頃から応援していました。

 いつかは、という気持ちがあったので、今日ここに来られて本当にうれしかったなあと、心から思っています。」

 

(馬雀さん)

「お客さんに支えられてこその商売だなというのを、大変痛感しましたね。

 お客さんとの呼吸をどう合わせようかなというのがすごい課題だったんですけど、

 細かいギャグとかもすごい笑っていただけたので、ありがたかったなと思います。」

 

―――

 

新宿の飲食店「宮崎みやこんじょ」。

 

この日は、馬雀さんのことを良く知る先輩・柳家さん花さんと、後輩・桂南楽さんとお食事です。

 

 

(柳家さん)

「(馬雀さんは)まじめだったから。いい意味で。なんか、楽屋でしくじると高座の裏を走っていって

 『俺のバカ!』って言って自分を殴ってたから、すごいなあ!と。」

(桂さん)

「大変なこともあったじゃないですか。その中でも真打になって、いろんな人に祝福されて。

 兄さん(馬雀さん)の人柄なんだなって。」

 

桂さんは宮崎市出身。

来年の1月18日に宮崎市民プラザで開催される【吉原馬雀 真打昇進披露】に桂南楽さんもご出演されるんだそう。

 

 

 

”お~い!元気しちょる?”

 

 

宮崎から馬雀さんを応援する、伊藤さんからの贈り物。

 

 

そして、伊藤さん、日向学院の田村校長、当時の担任・濱田教頭3人からのビデオメッセージも。

 

3人の激励に思わず笑顔の馬雀さん。

 

(馬雀さん)

「(授業で落語のテープを流した)濱田先生は、私が落語家になったことに対して

 若干責任を感じている部分も感じましたけど(笑)

 とにかく元気に頑張っていますので!おかげ様です!ありがとうございます!」

 

最後に、宮崎の皆さんにメッセージ。

 

(馬雀さん)

「普段は東京で落語をしておりますけれども、年に4、5回くらいは宮崎に戻って、

 公民館や小さな会場で巡業させていただいております。

 宮崎の人にとって身近な存在になれるような落語家を目指しておりますので

 これからも応援よろしくお願いいたします!」

 

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