
#25 柳田周作(神はサイコロを振らない)
23年9月6日(水) 20:00
柳田周作(神はサイコロを振らない)
今回の主人公、宮崎市出身の柳田周作さんは、
4人組のロックバンド「神はサイコロを振らない」のボーカル。
2020年にメジャーデビューを果たし、CMやテレビドラマの主題歌に起用されるなど、今注目のロックバンドです。
この日は、東京都内のスタジオで夏フェスに向けたリハーサル。
パソコンに向かってひたすら作業をする柳田さん。
一体何をしているのでしょうか―――
(柳田さん)
「ライブの時に生ドラムだけでは出せない音を、これで出すんです。
ライブのセットリストをこれ(PC)で組んじゃうみたいな。僕の仕事は非常に地味です(笑)」
「やっぱり一番面白いのはライブで、曲作りに関しては、9割苦しい、1割超楽しいみたいな。」
バンドメンバーに、柳田さんについて聞いてみると。
(ドラム・黒川さん)
「責任感のある、変態ですかね(笑)」
(ギター・吉田さん)
「こだわりがめちゃくちゃ強い。曲とか”自分がこうだ!”と思うものにならなかったら死ぬほど追及する感じですね。」
音楽漬けの日々を送る柳田さん。
小学校時代の恩師・柴田先生は、最初に柳田さんの音楽を聴いたときは衝撃だったといいます。
(柴田さん)
「え?周作くんが歌っているの?っていうのがあって。
そして、作詞作曲も柳田周作って書いてあったから、なんでこういう才能がある!?なんて。
逆に僕も未熟だなと。1年間も担任しててね、(気付かなかったから)。」
「神はサイコロを振らない」は福岡の大学時代に出会った仲間と2015年にバンドを結成。
激しさと静けさの両極を呼応させるような楽曲が特徴。
そして何より気になるのが、このユニークなバンド名「神はサイコロを振らない」。
名前の由来を聞いてみると―――
(柳田さん)
「物理学者のアインシュタインが遺した言葉の中に”神はサイコロを振らない”という言葉があって。
物理学上においてはすべて法則が必ずあって、そのもとに成り立っている。
とはいえ、僕らの生きる世界はめちゃくちゃ偶然的なことのほうが多い。必然的なことよりも。」
「”神サイ”って略すなよ。”神はサイコロを振らない”っていう言葉だろ(と思うけど)。
気付いたら自分からいうようになっていましたね、神サイって。(笑)長いんですよね、バンド名が(笑)」
メジャーデビューまでの道のりは、決して順風満帆ではありませんでした。
(柳田さん)
「音楽をやっている人のあるあるだと思うんですけど、”まず親に反対される”っていう。僕も割とそうで。
福岡の九産大(九州産業大学)でこの4人が出会ったんですけど、別に音楽がやりたくて大学に行ったわけじゃなくて、
たまたま大学に行って出会って、たまたまバンドやろうぜってなってここまで来てはいる中でも…
大学をやめてまで音楽をしたいって僕が言い出して。親父とかも”バカも休み休み言え”という感じで言われて」
そんな当時、恩師・柴田さんの元に柳田さんのご両親から連絡がありました。
(柴田さん)
「(柳田さんの)お母さんから電話がかかってきて。”大学を辞めるっていうんですけど”っていう話で。
やっぱり僕は最後まで貫き通してもらいたいという気持ちがあったんですけど、大丈夫かな~という気持ちはしてました。
だから、お母さんやお父さんはもっともっと不安が大きかったんじゃないかなと思いますけども。」
メジャーデビューへの夢を抱き、柳田さんは大学を中退、音楽の道へ。東京へ向かった4人。
しかし、現実は厳しく。。。
(柳田さん)
「東京を拠点にして、地方のライブハウスをまわる日々だったけど、なかなか…全然…というか、くすぶっていた。」
さらに追い打ちをかけたのが、新型コロナの感染拡大でした。
(柳田さん)
「いよいよ終わったぞ(って思った)。」
コロナ禍でのライブ活動が制限されていく中、SNSで神サイの曲が話題になります。
♪夜永唄
恋人への想いをつづったこの曲が、コロナ禍の若者たちの心に刺さります。
(柳田さん)
「コロナ禍で、リモートでメジャー契約を結んだのは僕らが初めてだったらしいので日本で。
だからそういう意味でも、一個の希望になれたのかな(と思う)。」
様々な逆境を乗り越えて掴んだチャンスでした。
そして、逆境のなか、柳田さんが掴んだものはもうひとつ。
(柳田さん) -Zeppツアーファイナル東京公演にてファンに向けて-
「最初は、普通に俺たちはかっこいい音楽をやりたくてバンドをはじめたんですけど。
もちろんかっこいいは(これからも)突き詰めていきますけど。
それでも僕らの音楽をやる理由は、今となっては、もう、みんなのためです。
みんなが、明日から、またしんどい日々が始まるかもしれないけど、それでも、なんとか、転んで、転んで、躓いて、躓いて、もう立ち上がれなくなっても、そっと僕らが起こしてあげられるような、そういうバンドというか、あんまり頼りないかもしれないですけど、この4人をどうか末永くよろしくお願いします。」
神はサイコロを振らないの曲が、多くの人に知れ渡るきっかけとなった曲。
♪修羅の巷
今年、TBS系列日曜劇場「ラストマン -全盲の捜査官-」挿入歌に抜擢。
(柳田さん)
「自分の中で作ったハードルは多分今までで一番高かったんですよ。
それでこれを超えるためには、”こんな曲じゃダメだ”というふうに何曲も何曲もデモを作って、
なんなら1枚のミニアルバムができるくらい作った」
この曲には、これまで生きてきた柳田さんの人生への想いが込められています―――
(柳田さん)
「どっちかというと、こう、”弱い者の味方でありたい”というか。」
「僕みたいな人っていうのは、周りに人がいたり、メンバーがいたり、チームがいたり、ファンがいたりしないと、
ずっと堕ちていく一方というか。弱者のための、”反撃ののろし”じゃないですけど。
胸の内から湧き上がってくる『なにくそ!』みたいな気持ちは忘れないでほしいなっていう。」
”お~い!げんきしちょる?”
恩師・柴田先生から柳田さんに贈ったものとは―――
霧島焼酎と、宮崎マンゴー。
(柴田さん)
「宮崎を代表するマンゴーよりも、有名になってもらいたいという気持ちを込めて(マンゴーを贈った)。」
(”マンゴーを切った後、サイコロに見える”ということもありマンゴーを贈った柴田さん。)
(柳田さん)
「おやじギャグってことですか(笑)」
「(柴田さんは、)今は小学校の先生じゃなくて、お年寄りの方のサポートをしているということで。
やっぱり、いくつになってもカッコイイなと思いますね。」
ロックバンド・神はサイコロを振らない
9月27日には、2ndアルバム「心海」をリリース。
そして10月には、初の海外ライブが決定!
♪illumination
世界への扉を開ける”神サイ”。
ふるさと宮崎への思いとは―――
(柳田さん)
「お世話になった家族だったり、特にじいちゃん、ばあちゃんは特に足が悪いんですけど、
ライブハウスはちょっと大変なので、いつかは宮崎市民文化ホールに大切な人たちを連れていきたいなと(思っている)。」
宮崎のわけもんへ―――
(柳田さん)
「これ絶対僕が絶対言いたいのは、『あきらめないでほしい』!
それは、頑張るとかではなくて、自分の可能性をあきらめないでほしい。」
「「若者は、夢を見るべきだと思います。」」

#24 NOBU(シンガーソングライター)
23年8月2日(水) 20:00
NOBUさん(シンガーソングライター)
東京・渋谷のライブハウス eggman
ここにいたのが、今回の主人公、小林市出身のNOBUさん。
(NOBUさん)
「1年ぶりのワンマンライブなんですよ。
ワンマンライブってやっぱり特別な思いがあるので、まず初日である今日の渋谷を、
宮崎の風をわーっと吹かせて、大成功したいと思います!」
NOBUさんは2012年にメジャーデビュー。
2017年には、「いま、太陽に向かって咲く花」で日本レコード大賞の新人賞を受賞しました。
(ファン)
「心に響きます」
「全部にメッセージ性が入っている」
「メッセージ性がすごくストレート」
(元ウェザーキングオーナー・玉井さん)
「言葉にしていることが等身大。それをロックでやっちゃうんだ~という(衝撃)。」
ジャンルにとらわれない自由な音楽。自分の想いを等身大の言葉でつづります。
(ライブハウス eggman 溝口さん)
「地方から出てきていることを隠したり、なにかちょっとだけ悲観的に思ったりするのんじゃなくて、
『宮崎全開!』『宮崎です!』って常に言って。逆に、宮崎から出たことが彼の強みになっていたりとか。」
音楽人生を振り返ると―――
(NOBUさん)
「波乱万丈というか。希望を持って(上京しに)来たんですけど、なかなか鳴かず飛ばずで。」
メジャーデビューして2年後、所属レコード会社を契約解除されました。
(元ウェザーキングオーナー・玉井さん)
「(契約解除は)芸能関係では当たり前のことだと思っていたが、ピュアな彼にとっては初めてのことだからショックが大きかったと思いますね。」
さらに、病がNOBUさんを襲います―――
日々の心身の疲労から、「適応障害」「パニック障害」の診断をうけ、現在も病と闘っています。
(NOBUさん)
「常に緊張している状態のような身体になってしまって、眠れなくなってしまったんです。やっと眠れて、起きたと思ったらパニックになってしまって。」
それでも、大好きな歌を歌い続けてきました。
♪ひかり ~命の灯火~
“苦労は力に 悩みは知恵に 悲しみは優しさに変わる
無駄なことなんて一つとなくて 乗り越えた先に光が差す”
(NOBUさん)
「同じ思いの方って絶対いるだろうなと思って、このタイミングでさらけ出そうと思って。
SNSを通して、実は自分もパニックを持ってたり睡眠障害を持っていたりとか。
そうやって言うことによって自分がライブで頑張って歌っている姿を見て、(同じ境遇の人が)『NOBUさんも頑張って歌っているんだったら、僕も私ももっと頑張れるかも』
という思いになってくれたらという思いで(歌っています)。」
今回のワンマンライブには、大切な仲間たちが参加しています。
その1人が、WATARUさんです。
(WATARUさん)
「多分、音楽の神様が彼に宿っているんだなと思ってて。それぐらい音楽に対して、『音楽バカ』って自分でタイトルつけて(曲を)出しているくらい(熱量がある)。
すごくリスペクトできるなと。」
そして、ワンマンライブでは こんなサプライズも―――。
突然の音楽とともにステージ袖から出てきたのは、35歳を迎えたNOBUさんの誕生日ケーキ。
さらに、手話を使ってダンスを踊るNPO法人、舞はんど舞らいふの皆さんも登場!
舞はんど舞らいふ は、全日本選抜レスリング選手権でNOBUさんの曲を使用したダンスを披露しました。
(NOBUさん)
「(舞はんど舞らいふは)もうすっごいエネルギッシュで。耳が聞こえていないメンバーも何人もいる中で、しっかりと合図を出す。」
「逆に僕が勇気をもらって。自分がどんな上京であっても、希望を持ってやっていればこんなに人って輝けるんだと。」
そんなNOBUさんの楽曲で、今、SNSで人気沸騰中の曲があります。
♪たのしみなさい。
末期がんと闘う父にささげた曲です。
(NOBUさん)
「やっぱり僕、田舎に誇りが持てなかったんですよ。ずっと。」
「小林市っていうド田舎に生まれて・・・。
地元の後輩たちに、『関係ないから!』って。『大自然の小林市 宮崎県に生まれたからこそ、こういう歌詞やメロデイー・思いが生まれたんだぞ』と。みんな田舎だからって、自然だからって、絶対にバカにしちゃいけない。こんな田舎でも、絶対に夢ってかなえられるんだなとか、こんな田舎から僕も私も世界へ羽ばたいていこうって思ってもらえたら。」
「宮崎をもっともっともっともっと、盛り上げていきましょう!!」
♪たのしみなさい。
“困難を挫折をたのしみなさい
人生の全てをたのしみなさい
最後の最後に咲かせなさい
「あなたを産んで良かった」と
僕を生んでくれてありがとう。

#23 明利英司(ミステリー作家)
23年7月12日(水) 20:00
明利英司さん(ミステリー作家)
東京・大手町にある紀伊國屋書店。
店内を奥に進んでいくと・・・
ここに、本日の主人公、明利さんが手がけたミステリー本がありました。
(明利さん)
「町のお魚屋さんが舞台になって、それにミステリーを絡めているという、
ちょっと特殊な、お魚ミステリーと呼ばれるジャンルになっています。」
明利英司さんは、都城市出身。
2013年に、ミステリー文学新人賞で優秀作となり、
翌年、小説家デビューを果たしました。
これまでに8作の小説を出版。
5作品目の小説「憑きもどり」は2018年に映画化されました。
今回の出版本について、関係者に聞いてみると―――
(紀伊國屋 店長)
「特徴としては、ご本人の優しい人柄が出ています。ミステリーなのに優しい。
人を傷つけないんですよ。唯一無二のミステリー小説だと思います。」
(出版社 編集担当)
「私が担当した作品の中で、人が亡くならなかったのは、この作品が
初めてかなというぐらい。」
(明利さん)
「(編集担当は)普段厳しいんですよ。とにかくやり取りが多い。
小説家が1人でぱっと書いてというのはめったにないことなので、打ち合せを積み上げていってようやくお店に並ぶ。ここにくるまでが一番大変。」
明利さんは、本を出版すると、必ず宮崎の恩師の元へ贈ります。
(恩師)
「私宛にサインをして、ぜひ読んでくださいと持ってくるんですよ。」
「まさか小説家になるとは思っていませんでしたね。」
明利さんの自宅へお邪魔しました
明利さんの作家活動に欠かせないのは、携帯電話。
携帯電話に文字を入力し、書き溜めたものが小説になります。
(明利さん)
「パソコンはあることはあるんですが、私自身苦手なので、(やはり執筆のメインは)携帯端末ですね。」
「今でこそスマートフォンを使っていますけれど、つい先日(5月)までガラケーを使っていました。」
明利さんは高校を卒業後、東京の専門学校へ。
卒業後、アルバイトをしながら執筆活動をはじめました。
つらい時期もありましたが、中学時代の塾の恩師のエールが心の支えとなり、小説家デビューを果たすことができました。
(明利さん)
「(恩師は)デビュー前とか、”東京で1人でふらふらやっていますよ”と言っても、それでいいよと言ってくれるんですよね。”ちゃんとしっかりせんか!”ではなく。人の気持ちを考えながら大人目線のことが上手に言える人ですね。頭が上がらないですね。」
(恩師)
「彼の良い性格が、本の中にも垣間見られていますね。」
実は明利さん、”3つの顔”を持つ、ミステリー作家なんです―――
(出版社 編集担当)
「作家には多才な人が結構多いんですが、(明利さんは)その中でもちょっと異色なんですよね。」
(紀伊國屋 店長)
「三刀流・・・というのかな。」
3つの顔。もちろん、1つ目は作家としての顔。
2つ目の顔とは・・・
向かった先は、東京・渋谷。
明利さんは、作家仲間と一緒にアマチュアバンドを組んでいます。
ボーカルは、40万部を超えるベストセラー作家の岡崎琢磨さん。
バンド結成の理由をきいてみると・・・
(明利さん)
「作家同士のお食事会で(岡崎さんと)偶然一緒になって。バンドを組んでいることが奇跡みたいなものです。」
(ドラム担当 ※公認会計士)
「普段は友達だったり、メンバーとして接しているが、本を読むと別人のよう。同じ人物が書いているとは思えない。そこはメンバーの特権だなと思います。」
今回出版された本の帯は、バンドメンバーの岡崎さんが書いています。
(岡崎さん)
「今回の作品もずっと書いているのを聞いていたが、なかなか刊行に至らなかったので、いつ出るんですかってずっと聞いていた。満を持して今回出版ということで、そこに帯で僕の名前を出してくれたのは非常に光栄でしたね。」
3つ目の顔は―――
明利さんは、無類の魚好き。好きすぎるあまり、独学で寿司の技術を学び、2020年に『居酒屋 明利』をスタートさせました。
好きな営業日に、キッチンとカウンターを借りられるシェアレストランで営業しています。
(明利さん)
「普段はフランス料理をしている店舗で”間借り営業”をおこなっています。」
寿司ネタはもちろん宮崎どれ。
主に日南市 目井津漁港から仕入れています。
(常連客)
「(寿司に)毎回ビックリさせられています。」
「(明利さんは)本当に多才な方。小説も書いて音楽も出来てお寿司も美味しくて。
本当にすごい方だなと思います。」
(明利さん)
「魚だけでなく、醤油や味噌もすべて地元産にこだわっています。」
『元気しちょる~?』の想いを込めて。地元の恩師から東京の明利さんへ―――
(明利さん)
「宮崎の人で霧島焼酎もらって嬉しくない人、いないと思いますよ。
おそらく、お酒が飲めなくても嬉しいんですよ。私は料理にも使いますからね。」
「応援してもらった分、宮崎・都城に恩返ししていきたいなと思います。」
明利さんの、今後の目標は?
(明利さん)
「小説家・寿司屋・音楽この3つを今やっているわけですけれど、これらの知名度を今後もっとあげていきたですね。
みなさんの応援あってのことだと思いますので、この3つをもっと育てていきたいと思っています。」

#22 Ayane(R&Bシンガー)
23年6月7日(水) 20:00
Ayaneさん(R&Bシンガー)
日比谷フェスティバル会場に今回の主人公の姿がありました。
今回の主人公は、R&Bユニット ILU GRACEのAyaneさん。
Ayaneさんは延岡市出身。
2010年にドラマーのKazuさんとILUGRACEを結成し、東京を拠点にライブ活動をおこなっています。
ライブはどうでしたか?
(Ayaneさん)
「ドキドキしました。東京で(ファンと距離の)近い感じのライブは久々だったので。」
宮崎はどうですか?
(Ayaneさん)
「宮崎めちゃめちゃ帰りたいです。
毎年年始に、『今年の目標は宮崎に帰ること』って言ってるんですけど、毎年叶っていなくて。」
今年2月にはフランスのマルセイユで開催されたイベントに参加。
R&Bの世界で今注目のアーティストです。
Ayaneさんが歌手を目指したのは8歳のとき。
(母)
「(歌うことが)好きでしたね。(当時から)歌手になると言っていたと思います。」
(Ayaneさん)
「最初は安室ちゃんが歌っているのをテレビで見て、『私も歌手になる!』と思っていました。一度もブレることなくここまできました。」
大学は、東京の青山学院大学に進学。
(Ayaneさん)
「音楽だけをやっていても価値観は広がらないので
まったく違うことを勉強するというのは、自分の人生にプラスになったと思います。」
大学卒業後、ミュージシャンの道へ―――
(Ayaneさん)
「(父は)めちゃめちゃ応援してくれていますね。
子どもの時に歌手になりたいと言ったら、歌手は食べていけんぞ~って言われて。」
(父)
「しょうがないですよね。僕もやりっぱなしだったから・・・。」
(母)
「(Ayaneさんと父・孝男さんの)性格は、似ています。」
お父さんの背中を見て育ったAyaneさん。
そんなAyaneさんに、お母さんのことを聞いてみると・・・。
(Ayaneさん)
「もともとは、ちょっと反対していたと思う。
(今は応援してくれているので)心強いです。」
そんなAyaneさんの、人生の転機となった出会い―――
同じ宮崎市出身で、ドラマーのKazuさんとの出会いが、ILU GRACE結成のきっかけとなりました。
(Kazuさん)
「彼女の歌を聴いて、めちゃくちゃ感動して。」
「(Ayaneさんは)ソウルフルな声質と、あまり聴いたことがない声だったんですよね。」
2010年に、R&B ILU GRACEが誕生します。
そしてもうひとつの、人生の転機―――
Ayaneさんの師匠、クライド・ウィリアムズJrさん。
アメリカ出身のクライドさんと出会い、英語での曲作りが始まりました。
英語の発音など、ボイストレーニングの指導を受けています。
Ayaneさんの魅力を聞いてみると・・・
(クライドさん)
「いっぱいありすぎ。すごい声が細かい。」
「テクニックをたくさん使っているが、テクニックを使っているように聞こえない声。」
(Ayaneさん)
「(クライドさんに出会って)人生変わりました。
本当にちゃんとしたR&Bを教えてもらって、声の出し方もふくよかになった。」
Ayaneさんが作詞作曲したShutterという曲には、これまで生きてきた想いが込められています。
(Ayaneさん)
「自分の信念を貫くことはすごく大事で、強い気持ちを持っていないと足元をすくわれたり、足をひっぱられたり、良くないフィーリングになることもある。」
「でもそれに邪魔されずに、しっかり地に足をつけて信念を持つことを大事にして信じているものを貫く。」
これからの目標は―――
(Ayaneさん)
「後世に残る音楽を絶対に残したい。時代が変わっても、『あの時代にあの曲があった』という曲を残しておくことが目標。」
「(自分にとって音楽とは)自分自身を形成している軸。」

#21 MAKOTO/JABBERLOOP(クラブジャズバンド)
23年5月3日(水) 20:00
MAKOTOさん(JABBERLOOPメンバー)
宮崎市にあるショットバー「BASHAYA×potrillo」
今回の主人公のキーマン松田慎介さん(BASHAYA×potrilloのオーナー)
今回の主人公もよく来ているんですか?
(松田慎介さん/BASHAYA×potrilloオーナー)
「そうですね。イベントとか宮崎に来られた時に寄っていただいたり、ここで演奏していただいたりとか。」
その方はどこで何をされているんでしょうか?
(松田慎介さん/BASHAYA×potrilloオーナー)
「東京でトランペットを吹いています。」
東京・渋谷のライブハウス。
今回の主人公JABBERLOOPの「MAKOTO」さん。
JABBERLOOP(ジャバループ)は2004年に結成されたクラブジャズバンド。
これまで数多くのCMソングや番組テーマソングを提供し、国内ジャズ部門で年間最優秀アルバム賞を受賞するなど日本を代表するジャズバンド。
JABBERLOOP のMAKOTOさんとBASHAYA×potrilloの松田さん、この2人は意外な出会いからスタートしました。
(MAKOTOさん/JABBERLOOP)
「とりあえず宮崎の繁華街でストリートライブをしてみようみたいな感じで、当時ハイエースで移動してたんですけど...」
宮崎で初めておこなったストリートライブ中に・・・
(MAKOTOさん/JABBERLOOP)
「とあるおじさまが現れて怒られると思ったんですけど、“こんなとこでやってないでライブハウスとかでやればいいじゃないか”ってすごく褒めてくれたんですよ。今から(ライブハウスに)電話すると。僕らとしてはいきなりそんな電話しても迷惑じゃないかなって。電話をかけた先にいたのがBASHAYA×potrilloの『松田さん』だった。」
(松田慎介さん/BASHAYA×potrilloオーナー)
「商店街の先輩が電話をかけてきて“すげぇバンドがいるぞ!”って言われたのがそもそもの出会い。」
松田さんとの出会いがきっかけで宮崎国際ストリート音楽祭で演奏することに。
(松田慎介さん/BASHAYA×potrilloオーナー)
「高千穂出身ということで、宮崎つながりで盛り上がって。あとは演奏がすごく力強くて、インストゥルメンタルバンドって歌もののバンドと違って人集めるのが難しいかなと思ってたんですが、そんなことなく本当にたくさんのお客さんが集まるバンドだったんで凄いバンドなんだなって最初から思っていました。」
素敵なご縁ですね。電話1本で。
(MAKOTOさん/JABBERLOOP)
「いやーだから本当にそういう所も宮崎のなんか温かいとこだなぁと。」
この日は久しぶりのライブ。会場はファンで満員の賑わいに・・・。
(MAKOTOさん/JABBERLOOP)
「音楽も最高だし、やっぱライブって最高っすね。やっとこういう時間がかえってきたって感じです。みんなコロナで大変だったと思いますが、こんな素敵な日々が帰ってきました。」
MAKOTOさんがトランペットを始めたのは小学3年生の時。
すぐにその魅力に惹かれました。
(MAKOTOさん/JABBERLOOP)
「迷いなくトランペットを選んだと思います。(他には)目もくれなかったっていう感じですかね。」
トランペットとの出会いが人生を変えたMAKOTOさん。
しかしこれまで決して順風満帆ではありませんでした。
(MAKOTOさん/JABBERLOOP)
「その頃は環境を恨んでいた。なんで中学・高校に吹奏楽がないんだって。」
当時高千穂の中学・高校には吹奏楽部がありませんでした。
周りの友達は自然と楽器から離れていきます。
しかしMAKOTOさんは・・・
(MAKOTOさん/JABBERLOOP)
「“これしかない”というか“これが大好きだ”それをやっぱり自分が納得いくまで辞めてたくないという一心でしたね。」
『JABBERLOOP(ジャバループ)』との出会い
(MAKOTOさん/JABBERLOOP)
「完全に人生の転機というか本当に最高のメンバーに巡り会えた。」
MAKOTOさんのことをメンバーに聞いてみると・・・
(DAISUKEさん/JABBERLOOP・サックス担当)
「出会った頃からこのままで、明るくて楽しくて。なんどろう意外と正義感が強いんですよね。意外と失礼ですね。」
『三宅伸治さん』との出会い
三宅伸治(宮崎市出身)忌野清志郎に師事し、甲本ヒロト・斎藤和義・山崎まさよしなど様々なアーティストとライブ活動を行う。
MAKOTOさんは宮崎出身が縁で三宅伸治さんのバンドグループに加入。
(MAKOTOさん/JABBERLOOP)
「宮崎っていう縁が繋いでくれて、出会って10年くらいなんですけど、なんかとっても大きなものをいただいています。」
(三宅伸治さん)
「高千穂から出てきてすごく人気があるし活躍してくれてるんで、頼りにしてますよ。」
BASHAYA×potrilloのオーナー松田慎介さんからMAKOTOさんへ
(松田慎介さん/BASHAYA×potrilloオーナー)
「まこっちゃん!コロナ禍で宮崎になかなか来ていただくことが少なくて会えてませんでしたけど、トランペットソロプレイヤーとしての活躍、そしてJABBERLOOPメンバーとしての活躍本当に楽しみにしています。これからですねどんどんまた宮崎に帰ってくる機会を増やしていただいて、素晴らしい演奏を楽しみにしております。待ってるよ!」
最後にこれからの目標を聞きました。
(MAKOTOさん/JABBERLOOP)
「必ず宮崎へ音や魂を届けに行くので、是非とも皆さんに待っていてください。」
MAKOTOさんにとってふるさと宮崎とは?
(MAKOTOさん/JABBERLOOP)
「自分が自分でいられる場所です。」