#26 立川らく兵(落語家)

お~い!元気しちょる?

23年10月18日(水) 20:00

立川らく兵さん(宮崎市出身)

 

東京・北区にある梶原いろは亭に、今回の主人公の姿がありました。

立川らく兵さん。宮崎市出身で、立川流の落語家です。

 

 

落語は、巧みな話術としぐさが織りなす、伝統芸能。

先月、立川流の真打トライアルと呼ばれる昇格試験がおこなわれ、

らく兵さんは見事、落語家の最高峰である真打昇進を決めました。

 

(後輩)

「現場をお手伝いさせていただいて、直でらく兵さんの芸を見せていただいたときに、

”あ~ここまでならないと真打になれないんだな”と。震えましたね。」

 

(後輩)

「”芸に一途な先輩”という印象ですね。立川流はとても厳しいので。

まず芸が良くないと真打にはなれないので。尊敬できる先輩です。」

 

(立川らく兵さん)

「入門してまる17年ぐらいですかね。見習いから始まって、前座 二ツ目と頑張って、

真打に上がれることになりました。喜びもひとしおです。」

 

宮崎にいる友人も、喜びひとしおです。

 

(高校時代の友人・寺田さん)

「コイツ本当にやったんだなと思って。嬉しいですよ。

東京の友達も、みんな落語を観に行ってるし、私も行けるものならすぐに観に行きたいですね。」

 

らく兵さんは、立川志らくさんの弟子。

一見落語家とは思えないその風貌が、旧日本兵の雰囲気に似ていることが、名前の由来にもなりました。

 

真打昇進の条件は落語100席(種類)以上で、会場を満席にできる人気を身につけることでした。

 

(立川らく兵さん)

「(立川志らく師匠に)一通り落語を聞いてもらった後で、”二ツ目にしておく必要はない”という言い方をされました。」

 

 

 

苦節17年―――

らく兵さんは、師匠の自宅で日々稽古をつんできました。

 

(立川志らくさん)

「弟子は、辞めた弟子を含めると30人くらい来て、今18人か19人残ってるんですけど、

たくさんいる弟子の中で一番骨が折れたというか、手がかかったというか、問題がたくさんあったのは

良いも悪いも含めて、らく兵でしょうね。」

 

(立川らく兵さん)

「骨折り頂き通しの私であります。」

 

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元々お笑い好きだったらく兵さんは、福岡の大学を卒業後に上京。

友人とコンビを組んで芸人を目指しましたが、舞台に上がることなく解散してしまいました。

その後、落語家・立川志らくさんが開く塾に通い始め、この世界へ飛び込みました。

 

(立川らく兵さん:2013年撮影)

「他にやろうというものがない。そこしかやりたいものが(ない)。

結局何年か考えたんですけどやっぱりなかったので。」

 

 

 

師匠に、入門当初のらく兵さんについて聞いてみました。

(立川志らくさん)

「私としては普通だったが、周りが結構驚いていましたね。変わったやつが入ってきたぞと。

家元の(立川)談志も彼を初めて見たときにギョッとして”変なやつを弟子にとるんじゃない!コノヤロー”って。

“何でも弟子にすればいいってもんじゃねえだろう”って。話もしてないのに、見ただけで(言っていた)。」

 

 

宮崎にいる友人は落語の世界に入ったらく兵さんをどう感じていたのか―――

 

(高校時代の友人・寺田さん)

「やっぱりコイツ変わっているなと思いました(笑)

変な、シュールでおとなしい、人の目も見ないような落語家になるんだったら”人と違っていいんじゃないか”と思いましたよ。」

 

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厳しい徒弟制度の元、見習い→前座→二ツ目→真打と昇進していく落語界。

中でも、立川流の真打昇進の条件はほかの落語団体と違い、都々逸や日本舞踊などの古典芸能ができないと認められません。

 

(立川らく兵さん:2013年撮影)

「1日24時間、それこそ寝てる間も芸のことを考えているくらいじゃないととてもじゃないけど勝負できない世界なんだと。

没頭しなきゃいけないことを楽しめないヤツだったら、この世界には向いてないなというのを教わりました。」

 

入門して真打昇進までの17年。それはそれは波乱万丈でした。

 

二ツ目に昇進するも破門―――

 

(立川らく兵さん)

「(破門といわれた時は)お先真っ暗(だった)。ずっと死ぬまで続けるつもりで入ったので、自分の粗相でそういうことになって

これはえらいことになってしまったという心持ちでした。」

 

師匠・立川志らくさんのご自宅は、家元・立川談志さんの家をリフォームしたものです。

談志さんの書斎は、今も当時のまま。

立川流の伝統は、大切に受け継がれています。

 

らく兵さんにとって、ここでの修行はかけがえのない時間でした。

 

(立川らく兵さん)

「クビになって落語は実際にしゃべる機会はなかった時も、落語を聞き続けたり、師匠が好きな映画を真似して観てみたり

そういうのを続けていました。」

 

(立川志らくさん)

「出禁になって戻ってくるやつはいないですよね(普通は)。

彼の場合は、クビにしようが謹慎にしようが亭号をとろうがなんだろうが、ずっとくらいついてくるという。

それは落語に対する愛情がどっかにあるから、ちゃんと。」

 

 

 

破門後も努力を重ね、1年後 落語家として復帰を果たしたらく兵さん。

何より、師匠の志らくさんからもらった言葉が、心の支えとなっていました。

 

(立川らく兵さん)

「師匠から、”こいつは落語に向いている”というのが(心の支えになった)。」

 

 

師匠・志らくさんに、らく兵さんの落語の魅力を聞いてみると―――

 

(立川志らくさん)

「普通の人間じゃない。極端な話、犯罪者じゃダメですよ、

 普通の真面目な、ちゃんとした人の話を誰がお金を出して聞きたいんだということですよね。」

「落語という本当に馬鹿馬鹿しい、くだらない、だけれども人間の心理をグッとついたような日本ならではの芸能なわけですから。

やっぱりそれを語るには、普通のやつじゃ面白くないんですよね。」

 

 

らく兵さんにとって、落語とは―――

 

(立川らく兵さん)

「命そのものですかね。落語があるから生きている。」