#18 倉沢よしえ(シンガーソングライター)
23年2月1日(水) 20:55
倉沢よしえさん(日向市出身・31歳)
東京・高田馬場にある音楽スタジオ。
ここに今回の主人公の姿がありました。
シンガーソングライターの『倉沢よしえ』さん 、31歳。
東京を拠点にライブやYouTube配信などを中心に活動。
メッセージ性の強い楽曲と力強い歌声で人気を集めているシンガーです。
こちらで今何をされているんですか?
(倉沢よしえさん)
「今日はアカペラグループ『JARNZΩ』の横浜ツアーファイナルのリハーサルです。
『JARNZΩ』という北海道出身のアカペラグループなんですけども、サポートという形で今力添えをしてる状態で。」
『JARNZΩ』はハモネプで優勝経験がある実力派のアカペラグループ。
よしえさんはサポートメンバーとして参加しています。
この日はライブにむけたリハーサルです。
JARNZΩでの活動について
(倉沢よしえさん)
「アカペラに関しては、やっぱり自分が弾き語りでやってた活動と全然違くて、声の出し方もそうですしボーカルとコーラスと全然違いますしハーモニーを重ねるごとに大変だった気持ちが楽しいっていう気持ちに変わったっていう感じです。」
よしえさんはどんな人?
(JARNZΩリーダー・ヒデさん)
「男性陣と一緒に歌ってもパワーが凄いんですよ。パワーが負けないボーカリストということで探した時によっぴー(よしえさん)はすごいんですよ。パワーが。」
(JARNZΩボーカル・C.Chanさん)
「歌はもちろんなんですけど、すごく笑わかせてくるんですよね。顔マネとかで。メンバーの顔マネをしてくれるんです。」
沖縄の大学を卒業後上京し今都内で一人暮らし。
東京での暮らしは?
(倉沢よしえさん)
「私は結構好きです。程よく放っといてくれる感じがすごい私は心地がいいなと思いますね。でも宮崎があるから東京で頑張れているっていうところがかなり大きいので。お母さんお父さんとか宮崎にいてくれるから東京で頑張れていますね。」
住んでいるのは歌ったり楽器の演奏ができる遮音性が高い防音マンション。
この部屋で曲作り・レコーディング・動画配信をしています。
曲作りはピアノとギターで・・・
これまで作った曲は100曲にものぼります。
音楽に目覚めたのは高校時代だったそうです。
(倉沢よしえさん)
「高校の時に『今度文化祭でバンドしたいんだけどドラムがいないんだよね』って言われて、高校2年生と3年生の時に(ドラムを)2回やったんですよ。そこから漠然とドラムをたたくのが好きになってて、大学に進学して音楽のサークルに入ってドラムを叩いててその流れで今度は弾き語りを始めてみたいな流れで音楽を始めました。」
(父)
「うれしかったというか、自分のやりたいことをやっと見つけたんだなっていう感じはしました。ただどうゆう方向に行くのかというのはちょっと分からなかったんですけど...」
この道で生きていこうと決めたきっかけは“東日本大震災のボランティア活動”でした。
(倉沢よしえさん)
「仮設住宅を何カ所もギターで歌って回るボランティアをしたんですね。お姉ちゃんと弟と妹の3姉弟がいたんですよ。その子たちの前で歌うっていうのを3日間くらい続けたんですよ。そしたら最後の方には一緒に歌えるようになって、歌ってくれるようになったりとかしてくれてたんですけど...そこの仮設住宅の方が『震災があってからあの子たちの笑顔を見たことがなかったんだけど、今日久しぶりにあの子たちが笑って歌って声出してるところを見ました。ありがとうございます。』と言いに来てくださった人がいて、なんかその出来事はすごく音楽の力を感じたというよりも自分の歌の力をすごい感じることができて、私にしか伝えられないメッセージってもしかしたらあるんじゃないかなみたいな。経験になって、すごく大きなきっかけになりましたね。」
3年前から始めたのがYouTubeなどでの生配信です。
現在ライブやCD販売・動画配信等で収入を得ながらメジャーデビューを目指しています。
よしえさんはオリジナル曲の他さまざまなアーティストの曲をカバー。
『ファイト!』はファンの働きかけであの中島みゆきさんから公認されているそうです。
(倉沢よしえさん)
「驚きの方が大きかったというか、たくさんの方が動いてくださって。すごく大尊敬している方の楽曲をカバーさせていただける機会をもらえたっていうのが自信につながった経験ではありました。」
♪『ファイト/倉沢よしえ』
(父)
「ライブとかにいくとですよ、応援してくださってる方が温かい声援を送ってくださってほんとに親としては感謝しかないですね。」
宮崎のご両親から東京のよしえさんへ
(父)
「これからも自分の信念に基づいて、恥ずかしくないように歌の道を頑張ってください。」
(母)
「頑張って~」
よしえさんから宮崎のご両親へ
(倉沢よしえさん)
「お父さん、お母さん。本当にいつも何も言わないで温かく見守ってくれてありがとうございます。東京にいても宮崎に私の活躍が届けられるように頑張りますので、これからも何も言わず応援してもらえたら嬉しいです。いつもありがとうございます。
ほんとに体には気を付けて長生きしてください。」
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