#11 松本 哲也さん(劇団 小松台東 主宰)
22年7月6日(水) 20:55
松本 哲也さん(45歳・宮崎市出身・劇団 小松台東 主宰)
東京都・新宿区。
とあるスタジオで行われていた舞台の稽古にお邪魔しました。
聞こえてきたのは・・・
“宮崎弁のセリフ”
この舞台の作・演出を手掛けるのが今回の主人公 松本哲也さん 宮崎市出身
東京の劇団 小松台東の主宰を務めています。
これは何という舞台?
(松本 哲也さん)
「タイトルは『山笑う』という。宮崎市にある兄妹がおりまして、女手一つで兄妹を育てたお母さんが亡くなりその通夜の晩の一夜のお話なんですけれども...東京で自由に暮らしていた妹が帰ってきたという。それでお兄ちゃんとの確執だったりそういうようなお話しですね。」
宮崎の家族をテーマにした舞台『山笑う』。
キャストは東京の劇団「ゴツプロ!」のメンバーを中心とした実力派俳優たち。
皆さん関東・関西の出身ですが・・・
(舞台セリフ)「遠慮せんで言ってくださいねぇ。お皿取り分けて持ってくることもできますから。」「いいっていっちょっちゃかい。」「じゃ、持ってきっちゃうがこっちん。」「大丈夫ですがぁ。」
宮崎弁お上手ですね!
こんな出演者も・・・
しずちゃん(南海キャンディーズ)こと山崎静代さん
久しぶりに宮崎に帰ってきた妹・菜々役を演じます。
最初このオファーを受けた時どういうお気持ちで?
(山崎 静代さん)
「いいんですか?って感じですごい嬉しくて。」
宮崎弁どうですか?
(山崎 静代さん)
「はい。あのー難しいですね。」
(松本 哲也さん)
「しずちゃんお上手ですよ。宮崎弁。」
2017年にも公演したという舞台『山笑う』
別の劇団から「ぜひ、一緒にやりたい」とオファーがあったんだそうです。
(松本 哲也さん)
「東京で活動しているゴツプロ!さんという団体が新しく企画・ユニットみたいな【BOND52】を立ち上げて、それの第1回目の公演ですね。」
プロジェクトを立ち上げたのがこちら!
“ゴツプロ!の俳優・浜谷 康幸さん”
(浜谷 康幸さん)
「普段のゴツプロ!がやっている舞台とは違うところと一緒に組んでやりたいなというところで、(山笑うの)台本を読ませていただいて、是非これでやりたいな。ということで。」
松本さんはどんな演出家ですか?
(浜谷 康幸さん)
「勉強になる所もありますし、なるほどなと思う所もいっぱい。」
(ゴツプロ!・塚原 大助さん)
「細かく辛抱強くやるっていうことが、やっぱまれにみる“演出の力”がある人ですね。」
松本さんの作品の多くは“宮崎弁”
脚本には宮崎県人なら共感できるような場面も
(舞台セリフ)「九州新幹線開通したと思ったらさ、宮崎通んないの。びっくりした。」
「大分だって通ってねぇが!」
宮崎弁にはとことんこだわります。
(松本 哲也さん)
「大分だって通ってねえが! “ねえが!”をもっと強く。」
(浜谷 康幸さん)
「(宮崎弁)難しいです。めちゃくちゃ難しいです。本番までには仕上げたいなと思います!」
淡々とかつ丁寧に演出する松本さん。
高校時代はどんな生徒でしたか?
(日大高校レスリング部・長倉監督)
「高校3年時にキャプテンをしていまして、メリハリのある練習計画を立てたりチームの輪づくりに貢献してくれました。」
レスリングに打ち込んだ高校時代
(松本 哲也さん)
「嫌いじゃなかったと思います。みんなをまとめたり引っ張っていくというのは。」
レスリングに打ち込んだ高校時代
高校卒業後は映画の専門学校に進むため上京を。
演劇をしたいから上京したんですか?
(松本 哲也さん)
「いや!なんにもないです。目的は無くただ漠然と東京に出たいってだけです。」
(日大高校レスリング部・長倉監督)
「若かったし、何度でもやり直しはきくかなと思って、(上京の)後押しはしました。お笑い芸人もやってたみたいですけど。」
(松本 哲也さん)
「外のオーディションでも受けてみたら?みたいなことを専門学校の講師の先生に言われたからそれで受けたら合格して、お笑い芸人として何年か活動させてもらって...」
しかし・・・
(松本 哲也さん)
「家が電気工事関連の会社を経営していまして、父が亡くなって宮崎に戻ってきたんですけど。東京に出たのも中途半端な気持ちで出てるからやっぱり戻ってきたし、戻ってきたときもそこまで覚悟を決めれずに戻ってきてるから、またすぐ(宮崎が)嫌になって東京に戻るんですけどね。」
26歳の時に再度上京
芸人時代の経験を活かし構成作家などとして活動します。
そして2010年 劇団「小松台東」を旗揚げ。本格的に演劇に取り組み始めました。
(松本 哲也さん)
「33歳から『これでダメだったらやめよう』くらいの覚悟で演劇を始めたので、ウソ偽りなく書ける脚本を書こうと思ったらそれが高校時代のレスリング部の話だったんですよ。ということは、必然的に宮崎弁。だから宮崎弁で芝居するし、“小松台東”でいいかなと思って。
地方をちゃんと背負った物語をとことん考えて脚本を書いていくべきなんじゃないかと思って、ずっと続けていこうと思います。宮崎弁での芝居は。」
(レスリング部)恩師の長倉先生も教え子の活躍に期待しています。
(日大高校レスリング部・長倉監督)
「郷土愛が強いからこそ宮崎弁の舞台をやる。宮崎に誇れる舞台にしてほしい。」
宮崎の皆さんへ
(松本 哲也さん)
「宮崎の皆さんにもっと作品を見てもらえる機会が増えるような劇団としても作家としても宮崎を題材としたドラマも作りたいと思いますので、楽しみに期待していただければと思います。どっかで皆さんに会えるのを楽しみにしております。」
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