#1 黒木渚さん(シンガーソングライター)

お~い!元気しちょる?

21年9月1日(水) 20:55

黒木渚さん(日向市出身・シンガーソングライター)

2012年「あたしの心臓あげる」でデビュー
2014年 ソロ活動スタート、

      すべての楽曲の作詞作曲を手掛ける
2015年 小説家デビュー
2021年 7月7日 ニューアルバム

      「死に損ないのパレード」リリース




黒木渚さんってどんな人?

中高一貫校を卒業後、福岡の大学へ進学。
大学院卒業後の就職先は、福岡県内の市役所でした。
そこで働きながらバンド活動を行っていたといいます。

(黒木渚さん)
「ワンマンライブをやって
 その時私たちが集められた精一杯100人の

 ライブハウスでライブをしたときに、
 すごく高まったものがあって。自分の中に。
 この100人を、もし九州から引っ張り出して
 武道館に連れていくことができたら

 すごく楽しいかもしれないっていう、
 そのひらめきで、その場で言っちゃったんですよ、

 “みんなで武道館に行こうよ。
 連れていくから見ててね”って約束して。

 それを実現するために、地方で活動してるんじゃ
 勝てないと思って東京で勝負しようと。

 すごくガツガツした気持ちで上京してきていたので
 すべてが新鮮でした。

 公務員という仕事からいきなり
 クリエイティブな世界に飛び込んできたので

 昨日まで真面目に(市役所で)事務をやってたので、
 今日MV撮影で頭の上から大量の血のりを浴びている
 みたいなギャップがすごくて」




作曲は主にギターで行っています。
曲作りには秘訣があるそうです。

(黒木渚さん)
「主要なワンフレーズができたら
 そのまま寝ちゃうんですよ。記録せずに。
 それで、次の日の朝思い出せたら良い曲」

これまで4枚フルアルバムをはじめ、
多くの楽曲と小説を世に出してきた渚さん。
しかし2016年、
ミュージシャン生命を脅かす病に侵されます。
発声障害で声が出なくなったのです。

(黒木渚さん)
「一度降参のポーズをとりました。
 粘って粘ってダメだったとき、しばらく腐って、
 そのあともうダメだってなって。

 周りの人たちが“あなたはステージから降りちゃダメ”と
 引き留めてくれたり、その場を動かずにちゃんと
 待っていてくれたファンのみんな。

 声を失ったシンガーに義理立てする必要ってなくて、
 待っていなくていいのに、

 きちんと待っている人がいるというので、
 それが立ち直るきっかけでした」




ファンに支えられ、挫折を乗り越えて作った曲
「心がイエスと言ったなら」

(黒木渚さん)
「私自身が2016年から喉を病んで、それ以降
 頑張っている人に対しての入れ込みようがすごくて、
 応援できるような気持にも、ようやく私が挫折から
 這い上がって
いま誰かを応援したり抱きしめたり
 することができる余裕が出てきたので、
そういうものを
 作ろうかなって。」



渚さんにとってふるさと宮崎は心のよりどころ

(黒木渚さん)
「やっぱり地方から出てきて
 東京で勝負するっていう人たちが持っているふるさと、
 お守りみたいなものだと思うんですけど。
 戦う理由とか戦いにもし敗れたとしても帰る場所がある
 という安心感そのものだと思います。」




ミュージシャンになるといった時の家族の反応は?

(黒木渚さん)
「母は割とあなたが決めたんだったら
 しょうがないという感じ。」


しかし、渚さんの祖母は、2,3日寝込んだといいます。

(黒木渚さん)
「上京してきてから半年くらいは電話かけられなかった
 です、おばあちゃんには。申し訳なくて。

 そうこうしているときに全国区のテレビの仕事が入って
 きて、それ見てちょっと安心したみたいで。

 今は全力で応援してくれていますね。」



東京で活躍する娘を日向から応援するお母さん。
新曲のCDについている
渚さんデザインのTシャツを日替わりで着ています。


渚さんからお母さんへ

(黒木渚さん)
「不安いっぱいの中で旅立った私ですが、
 東京で9年目、音楽と小説で仕事ができています。
 周りにもたくさん支えてくれる人ができて、
 幸せにやっています。
 必ずお母さんを武道館に連れていきたいなと思っている
 ので、
これからも応援よろしくお願いします。」