お~い!元気しちょる?

#36 キイロイゾウサン(お笑い芸人)

お~い!元気しちょる?

24年8月14日(水) 20:00

キイロイゾウサン(宮崎県出身)

 

 

東京・新宿にある、吉本興業運営の漫才劇場「ルミネtheよしもと」。

多くの人気芸人が舞台にたち、お客さんに笑いを届けています。

 

そこで前説として登場したのが、お笑いコンビ「キイロイゾウサン」。今回の主人公です。

 

 

ボケ担当のSIZUKUさんとツッコミの黒木さん、ともに宮崎出身です。

 

 

 

まだ正式な劇場メンバーではないですが、お笑いドリームを掴むために、今は下積み生活を送っています。

 

そんな、「キイロイゾウサン」に縁のある方が、宮崎市にいました。

SIZUKUさんと高校時代にお笑いコンビを組んでいた佐多さんです。

 

(SIZUKUさん)

「(佐多さんとは)”一番おもしろいやつ同士が組んだら学校でナンバーワンになれる”っていうピュアなハートだけで一緒にやってみましたね。

 楽しかったです、すごく。それが(芸人を目指した)きっかけでもあります。」

 

(佐多さん)

「自分が一番面白いと思っていたので、SIZUKUさんから声がかかるとは思ってなくて嬉しかったですね」

 

佐多さんとコンビを組んだ経験が、SIZUKUさんのお笑いハートに火をつけたそうです。

 

 

2017年にはMRTの取材も受けたことのある2人。

しかし、佐多さんの就職が決まっていたこともあり、高校卒業を機に解散することに。

 

コンビを解散したSIZUKUさんは、お笑い芸人を目指して大阪へ。

そこで、大学進学で大阪に来ていた黒木さんと出会いました。

ふたりの出会いはSNS。同世代・同郷で、同じ場所を目指すふたりが打ち解けるには時間はかかりませんでした。

 

ふたりは「キイロイゾウサン」を結成し、大阪でフリーの芸人として活動した後、黒木さんの大学卒業に合わせて、3年前に上京。

吉本興業の養成所NSC東京校に入学しました。

 

(黒木さん)

「フリーの時と比べたら、オーディションの数ももちろん違いますし、先輩付き合いなども何十倍もありますね。(NSC東京校に)入ってよかったなと思います。」

 

NSC卒業後は、ライブやオーディションの合間に、近所の公園でネタの練習をしているんだそう。

 

 

 

(SIZUKUさん)

「(この公園は)家が近いっていうのと、(他にも)芸人がちらほら練習してるんですよ。」

 

(黒木さん)

「ステージっぽさもありますし、本番のイメージにもなるというか。」

 

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若手芸人の私生活を見せてもらうために黒木さんの自宅へ案内してもらいました。

 

(黒木さん)

「間取りは1Kですね。家賃は5万4000円です。」

 

この部屋でネタを考えることもしばしば。

 

(SIZUKUさん)

「僕が作ったネタを黒木くんになげて、黒木くんに訂正してもらうような流れです。」

「”早く見せたい”ってなった時は確定(に面白い)ですね。やっぱりウケたりします。」

 

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(SIZUKUさんの元相方・佐多さん)

「SNSで(キイロイゾウサンの)活動は結構見てたし、自分も何回かお笑い観に行かせてもらっています。

 順調にいっているようなので、頑張ってもらいたいと思っています。」

 

徐々にファンも増え、ファンレターが届くことも。

 

(ファンレター)

「キイロイゾウサンのおふたりならどこまでも行けると思います。

 私はそんなおふたりにどこまでもついていきます。ずっとずっと応援しています。」

 

(黒木さん)

「しんどい時とかは読んで励みにして、また頑張ろうと思えたりしますね。」

 

しかし、芸人としての収入は、月に1万円程度。

ほとんどの生活費は、アルバイトでまかなっています。

 

(黒木さん)

「僕はピザ配達をしていますね。」

 

取材の日、アルバイトの予定が入ってたSIZUKUさんに、ついて行ってみました。

 

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浅草橋にある創作和食のお店『酔壱や』。

ここで週に3回程度アルバイトをしています。

 

オーナーには、プライベートでもお世話になっているんだそう。

 

(SIZUKUさん)

「旅行も連れて行ってもらったり、店長とスナックに行ったり、めっちゃよくしてもらっています。」

 

(酔壱や店長・奥嶋さん)

「楽しく笑いながら仕事をしているので、ムードメーカーですね。

 宮崎のお父さんお母さんの代わりだと思ってビシビシやっている感じです。」

 

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バイト終わりにコンビで乾杯。

 

 

 

(SIZUKUさん)

「(ふたりで飲みには)たま~にですね。」

「M-1ももちろん決勝に行きたいですし、番組もって2人でラジオずっとやっていたいなとか。

 夢を語る時間もすごい好きですね。」

 

今年も2人はM-1グランプリにエントリー。頑張ってくださいね。

 

――――――――――――――――――――――――

 

翌日。2人の姿は、新宿のルミネtheよしもとにありました。

2人は、本公演の前の大事な仕事”前説”を任されています。

 

(黒木さん)

「開演前に、僕らが(ステージに)出て、観客を和ませて、最高の状態で始められるようにする感じですね。」

 

この日の出演者は、賞レースやテレビで活躍する豪華メンバーがズラリ。

2人は、開演前に10分間、会場の空気をあたためる役割です。

 

会場は、立ち見が出るほどの満席。

アドリブも交えながら会場を盛り上げます。

 

2人の前説を舞台袖から見守る男性がいました。

2009年のM-1王者、パンクブーブーのボケ担当、佐藤哲夫さんです。

 

(佐藤さん)

「(キイロイゾウサンのふたりは)NSCの時に僕の授業を受けたりして。NSCの頃からおしゃべりが非常にうまいコンビでしたよ。」

 

佐藤さんは、大分県出身。

キイロイゾウサンのことも、同じ九州出身として目にかけてくれています。

 

(佐藤さん)

「九州って、明るい土地なんですよ。みんなすごい楽しい土地なんで。」

「逆に言えば、みんなで楽しくみたいな気質があるので、ひとりでグッと面白くできる人って意外と少なかったりとか。」

「僕も大分出身ですからすぐ隣なので、何かすごい親近感が湧くのでね。」

「いつかは一緒に舞台に立てるように頑張ってほしいなと思います。」

 

 

(SIZUKUさん)

「まだ前説なので”赤い幕”の前なんですけど、希望を言えばもっと後ろの”マイクの前”で普通に漫才をやりたいなと。」

 

(佐多さん)

「(SIZUKUさんは)失敗を恐れないところが結構あるので、売れるまで絶対やめないタイプだと思います。いろんなテレビで活躍する姿を見たいです。」

 

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(SIZUKUさん)

「お笑いで世界を爆笑の渦にさせることが夢です。」

「一番面白いコンビになりたいです!」

 

 

わけもんを見ている宮崎県民のみなさんへ―――

 

「「これから僕らが、全国や宮崎の番組にどんどん出て、

  どんどんどんどん面白くなるので、目を離さず見てくれよな!」」

#35 仲道弘泰(前髪プロデューサー)

お~い!元気しちょる?

24年7月3日(水) 20:00

仲道弘泰さん(宮崎市出身)

 

 

今回の主人公は、東京・銀座にある「AFLOAT GINZA」のナンバーワンスタイリスト。

芸能人も訪れる、人気の美容室です。

 

仲道さんは、月の売上350万円以上を3か月連続で継続しないとなれない”トップスタイリスト”の1人です。

そんな仲道さんは、昨年、およそ40店舗あるAFLOATグループすべてのスタッフの中で個人の売上ナンバーワンを達成しました。

 

仲道さんをトップに押し上げたのは、自身のSNSで発信した”前髪プロデュース”の動画。

前髪に特化したスタイリングの提案はあまり前例がなく、”前髪プロデューサー”の異名で人気となりました。

 

(仲道さん)

「美容師さんが前髪を作るのはよっぽど似合う方じゃないと、結構断ったり、苦手意識を持っていて、”いや~前髪は作らないほうがいいですよ”と提案するスタッフが結構うちのスタッフでも多くて。」

「前髪・顔周りを変えただけですごく変わる人は結構多いので(美容師が避けつつある)。人が嫌がるジャンルに挑戦した感じですかね。」

 

 

仲道さんは、数々の動画をSNSで発信。そのスタイリングは、前髪に悩む女性・特に大人の女性のハートをつかみました。

中には、1千万回以上再生された動画も・・・!

 

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仲道さんの元には、連日、前髪に悩む女性が訪れます。

 

(60代女性)

「前髪が、いつ作ってもペタッとなってしまうので結局あげてしまう。それをあげずに保ちたい。」

「インスタを見て(来店した)。なかなか自分が納得するヘアスタイルに出会えなくて。」

 

(仲道さん)

「年齢があがるにつれて、”私の年齢で前髪は・・・”という変な概念があって。逆に顔周りがどんどん薄くなってきたりするので、前髪を作ることで厚みがでるからその薄さを解消できるんですよね。年齢を重ねたからこそ、前髪・顔周りを作るべきだと思います」

「たくさんの人を見させてもらった中で、人それぞれの”ここをもう少しこうしたほうがいい”等が瞬時に分かるようになりました。それを提案させてもらったり、そこをやりたくなるようなことを話して、それでお客様の表情がちょっとでも笑顔になれば”答え、合ってるな”と。」

 

 

この日、仲道さんに入っていた予約は、常連・新規合わせて15人。大忙しです。

貴重な休憩時間中のバックヤードをのぞいてみると・・・

 

(同僚・由梨さん)

「(仲道さんは)いつもお客さんのことや、先のことを考えていて、自分から発信する行動力を本当に尊敬しています」

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本日のお客様に、宮崎出身の方の姿が。

ファゴット奏者の黒木綾子さんです。

 

2人は中学の同級生。

 

(黒木さん)

「(中学時代の仲道さんは)めちゃ目立ってましたよ。このとおりイケメンなので当時から(目立ってました)。」

 

中学時代は野球少年だった仲道さん。

美容師を目指したのは、宮崎市で美容室を営む母・祚子さんの影響でした。

祚子さんは、70歳を超えた今でも現役美容師として続けています。

 

(仲道さん)

「(お母さんが)お客さんから”先生”と慕われている姿を見て”すごいな”と思っていたし、(自分が美容師になれば)喜んでもらえるかなと思い、親孝行の面もありました。」

 

当時、仲道さんの”美容師になりたい”という決意を聞いた祚子さんは・・・

(母・祚子さん)

「とても続かないんじゃないかなと思ってました。狭い世界だし、いつ帰ってくるのかな~と思っていました。」

 

(仲道さん)

「当時は何も続かなくて。全部途中で辞めてしまっていたので、心配してたと思います。」

 

祚子さんの心配をよそに、山野美容専門学校を卒業後AFLOATに就職した仲道さん。

アシスタント時代を経て、現在の”前髪プロデューサー”なる確固たる地位を築いたのでした。

 

そんな仲道さんの、新たな挑戦とは・・・

 

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仲道さんが東京・銀座にオープンしたAnge Reveは、前髪・顔周りに特化した専門店。

シャンプーなしのカットのみの営業にし、仲道さん1人で回しています。

 

 

実は、お店を訪れた祚子さんの髪を仲道さんがカットしたことも。

(母・祚子さん)

「楽しかったですよ。似合ってるように切ってくれたなと思いました。」

 

 

美容師なら誰もが夢見る”自分の店を持つ”という夢をかなえた仲道さん。

 

Q.次なる目標は?

 

(仲道さん)

「国内の主要都市で、前髪・顔周り専門店をフランチャイズ展開していけたら。」

「海外在住の日本人の方で、前髪を切る場所がないという声も聞くので、ゆくゆくは海外でも展開したいと思っています。」

「宮崎も、もちろん!」

#34 尾形春水(元モー娘。アイドルプロデューサー)

お~い!元気しちょる?

24年6月19日(水) 20:00

尾形春水さん(都城市生まれ)

 

 

本日の主人公は、元モーニング娘。の尾形春水さん。

人気アイドルグループのメンバーとして輝いていた彼女が、セカンドステージの目標に選んだものとは・・・

 

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尾形さんは、高校1年生の時に12期メンバーとして「モーニング娘。」に加入し、

”はーちん”の愛称で約4年間活動してきました。

 

(尾形さん)

「(活動していた期間の)記憶がないくらい忙しくて・・・。

 でも、普通に高校生やってたらできなかった生活ができたので、私が思ってた”普通の女の子”じゃない生活ができたのは、すごいいい経験だったと思ってます。」

 

大学進学のために「モーニング娘。」を卒業した尾形さん。

1年後にYouTubeの動画配信などを始め、活動を再開しました。

―――そんな尾形さんの新しい夢が、”アイドルのプロデュース”です。

 

2023年10月から2024年3月にかけて開催した”尾形春水プロデュース アイドルオーディション”には、340名以上の応募がありました。

 

(尾形さん)

「自分しかできないことってなんだろうと考えたときに、YouTubeとかいろんな制作をしてきた経験も全部活かせるのがアイドルプロデュースじゃないかなと思っていて。

 めちゃくちゃいい環境でみんなのことをサポートできるんじゃないかと思って(活動しています)」

 

オーディションに合格したのは、大学や専門学校に通う18~21歳の女性5人。

今年の夏以降のデビューを目指して、現在、ダンスレッスンやボイストレーニングなどをおこなっています。

 

(尾形さん)

「アイドルっていろいろやっていく中で、すごい大変なこともあるし、楽しいキラキラのステージじゃない所での基礎練習とかのレッスンの重要さを知っているし、アイドルに対する熱意や気持ちがないと続かないことなので、(オーディションでは)そこを一番聞かせてもらって選びました。」

 

 

Q.尾形さんはどんな人?

 

(オーディション合格者)

「肌から発光してる・・・!」

「めっちゃかわいい」

「こうやって、自分の経験を通して私たちにもそういう景色をみせてあげたいという気持ちとかがすごいうれしくて、そういう、素敵な人になりたいなって思います。」

 

そして、テレビ番組やYouTubeの制作を通して尾形さんが絶大な信頼を寄せているのが、宮崎県綾町出身で、数々の人気番組でディレクターを務めた許斐さんです。

 

(許斐 康公さん)

「(尾形さんは)そこにいるだけで、その場の人たちを温かくしてくれる人ですね。

 そう感じたことのある人ってほとんどいないんですけどね。

 たまたま同じ宮崎(出身)で。不思議なご縁だなというのをつくづく感じていますね。」

「宮崎でライブやりましょう!僕の夢でもあって。故郷に錦を飾る的なことはありますね。」

 

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レッスン終了後、尾形さんが向かったのは、東京・豊島区の九州酒場。

 

 

(尾形さん)

「私芋焼酎が一番好きで。(黒霧島ボトルが)おうちにもあります。

 おうちだと芋ソー(芋ソーダ)で飲んでいます(笑)」

 

黒霧島を片手にチキン南蛮を頬張る尾形さん、幸せな表情です。

 

尾形さんは、母の実家・都城で生まれ、大阪で育ちました。

 

(尾形さん)

「モーニング娘。に加入したときに、初の大阪出身メンバーだったから”大阪”っていうイメージが先行してて・・・

 そのあと、”実は宮崎なんです”ってチラホラ言ったり・・・

 宮崎でライブしたくて”宮崎行きたーい!”ってずっと言ってたので、”知ってる人は知ってる”状態です(笑)」

 

1歳の時に母親が大病を患った際、尾形さんを預かったのが、都城に住む叔母・彰子さんでした。

 

(叔母・福山彰子さん)

「1歳だから、親から離して連れて帰って泣いたらどうしようかと思っていたんですが、全然泣かなくて楽しそうでしたね。」

「1回も”お母さん”って泣いたことなかったと思います。子どもながらに分かっていたからかな。」

「今でも、私たち夫婦をパパママって呼んでくれます」

 

そして、尾形さんをモーニング娘。時代から応援しているのが、祖母の洋子さんです。

 

(祖母・野辺洋子さん)

「(たくさんの雑誌やグッズを広げて)これも全部春水が載ってるんです。

 ドキドキしながら見てました。(振りなどを)間違わなければいいがと思って。だけど楽しかったですよ。」

 

(尾形さん)

「(祖母は)モーニング娘。時代から、宮崎の宣伝隊長ってくらい、お友達にいっぱい宣伝してくれて。

 すごい熱量で応援してくれてました(笑)」

 

宮崎は尾形さんにとって、第2の故郷ともいえる、大切な場所です。

 

(尾形さん)

「九州の醤油で育ったから、ごはんとかも(九州味が好き)だし、多分焼酎が好きなのも宮崎の血が流れているからなのかなって思うくらい、(宮崎は)私のホームみたいな場所です。」

 

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尾形さんは、今でもオファーがあれば、昔の仲間たちと一緒に舞台に立っています。

 

(尾形さん)

「珍しく歌って踊る日なのでメッチャ緊張してるんですけど、頑張ります!」

 

この日も、久しぶりのステージ。小桃音まいさん主催のアイドルイベント「コトネの日」に出演しました。

 

 

(尾形さん)

「めっちゃファンの方が盛り上がってくれたり、コールしてくれたりしたので楽しかったです!自信はないけど、やってみると楽しいのでまた機会があればやりたいなと思うし、私がこういう所に出て行ってファンの方を連れて帰って、プロデュースするグループの子たちのことも知ってもらえたらいいなと思いました。」

 

ライブの後はファンとの交流の時間。

ファンの方が作ってくれたオリジナルののぼりなども飾られ、ご満悦の様子。

 

(ファン)

「モーニング娘。に入った時からファンでした」

「プロデュース業も頑張っていて、すごいなと思います!」

 

 

”お~い!元気しちょる?”

 

 

都城の祖母・洋子さんと叔母・彰子さんが、尾形春水さんに贈ったものとは・・・?

 

尾形さんも大好きな霧島焼酎と―――

 

―――尾形さんが初めて歩いたときに履いていた靴でした。

祖母の洋子さんが取っていたそうです。

 

 

 

(尾形さん・おふたりに向けて)

「東京で春水は頑張ってるよー!

 また帰ったら、ばばちゃん(洋子さん)お手製の茶碗蒸しを作ってもらいたいです♪」

 

尾形さんの描く、理想のアイドル像とは?

 

(尾形さん)

「私自身、アイドルになって自分が変わった経験があるので、それこそ、自分にコンプレックスがある子とか、観てるファンの方もだし、アイドル自身も”このアイドルに出会って”・”このアイドルになったから”人生が変わった、性格が変わった、みたいな世界が変わるようなグループにしたいなと思っています。」

 

#33 横音ひな(アイドル)

お~い!元気しちょる?

24年5月1日(水) 20:00

横音ひなさん(宮崎市出身)


現在、その数1万人ともいわれるアイドルの世界。
その中で光り輝くひとりの少女を追いました。


―――その日、少女がいたのは東京・池袋のライブ会場。

Shupinesは、「あなただけのかわいい私になりたい」をコンセプトに活動しているアイドルグループ。
今年6月にファーストシングルをリリースします。

今回の主人公、横音ひなさんは去年5月に追加メンバーとしてアイドル活動をスタートしました。



グループのメンバーに、ひなさんについて聞いてみました。

(メンバー)
「最年少で最強新メンバーみたいな。ひなちゃんが入ったことでシュピネスの明るさがぐんと増した!」
「起爆剤って感じだよね、シュピネスの。」
「宮崎愛めっちゃ強くない?マンゴーとか私が食べてると『あっ!宮崎だよ!!』って毎回言ってくる(笑)」

グループへの加入は一番最後でしたが、この一年でひなさん推しのファンは着実に増えています。

(ファン)
「自分自身が人見知りだったり、心が弱い部分があるんですけど、横音ひなさんを見てるとすごく元気になるんですよ。」
「元気よく明るく踊ってる姿に一目ぼれしまして、そこからずっと追っかけています。」


持ち前の明るさでファンを魅了するひなさん。
実は意外な経歴の持ち主なんです・・・!

―――それは、カヌー。



なんと、高校時代にカヌーの選手として日本一になったことがあるんです。

(横音ひなさん)
「結構きつくて辞めたいなみたいなこともあったんですけど、一緒に切磋琢磨する仲間がいて、みんなで成し遂げられた時とか前よりいいタイムが出た時とかに、達成感とかやりがいがあって、3年間やっててよかったと思って。それが今ではいい経験になってます。」

高校時代はカヌー第一の生活を送ったひなさん。
そんなひなさんが、アイドルを目指したきっかけとは―――?

(横音ひなさん)
「不注意でケガをしてしまって・・・」

左足じん帯断裂・半月板損傷、復帰まで1年の大けがでした。

(横音ひなさん)
「すごく落ち込んでいた時期でもあったので、ネットを見るしかなくて。その時に見つけた美容系のYouTuberさんがいて。自分が知ってる世界とは違うものを持ってる人がいっぱいいて、こういうのやってみたいな~とかが膨らんだのはあります。」

高校卒業後、個人でLIVE配信をはじめ、
自分を表現する活動を続けていた時、あるアイドルに出会いました。

―――事務所の先輩アイドル『ノタル』。
調べていくうちに、憧れをもつようになりました。

同じ事務所のオーディションを受ける決意を固めたひなさん。
しかし父・英則さんからの猛反対を受け・・・。

(父・英則さん)
「最初は『そんなの認めない!』というくらいの勢いで。私が知らない世界なので怖いというのもありました。」

(横音ひなさん)
「私が結構、思い立った時にいきなり言ってしまうタイプなので、驚かせてしまっって・・・。しっかり反対されました。(笑)」
「それでも、これだけ頑張りたいんだ、と伝えて。上京してやってみたい、挑戦してみたいと伝えたら、『やるんだったらしっかりやってこい』と送り出してもらえました。」

(父・英則さん)
「人を楽しませて笑顔にさせる職業なので、そうするにはまず自分が楽しまないと人を楽しませられないよと言いました。」

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そしてついに、事務所のオーディションに合格!シュピネスの一員となりました。

シュピネスのマネージャーを務める萩元さんに、ひなさんの合格の決め手を聞いてみました。

(萩元さん)
「カヌーの話をオーディションの時から結構してくれていて。『頑張ります』は(オーディションを受けている子)みんな言うんですけど、実際それをちゃんと『頑張れる』子はなかなかいないので、それが実績になって表れているのがすごいすてきだなと思ったので、そこをちゃんと見させてもらいました。」

(横音ひなさん)
「アイドル×カヌーは珍しいかなと思って、オーディションの時から結構言ってました(笑)」

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この日は、ひなさんが加入して2度目のワンマンライブの日。
Shupines ワンマンライブ ~カワイイだけがしゅぴじゃない!~



(横音ひなさん)
「めっっっちゃ緊張してます。もう、ありえないくらい緊張してて。予定してた時刻より早く起きて、朝からずっと心臓がドキドキしてます。」

観客数はおよそ350人。これまでで、一番の集客となりました。
ファンの声援に応えて全力で歌って踊る横音ひなさん。
およそ1時間半のステージを笑顔で駆け抜けました。





まだ、シュピネスのライブに行ったことがないという、父・英則さん。
(父・英則さん)
「もし宮崎で(ライブが)あったら最高ですけどね。観に行きたいです。」

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ひなさんのお気に入りの場所を教えてもらいました。

(横音ひなさん)
「帰り道とか夜中にみる、スカイツリーの夜景とか光が凄く好きで。私のメンバーカラーは青なんですけど、(スカイツリーを)ぱっと見たときに青だととてもテンションがあがるので、結構頻繁にみて「あっ!今日は自分のメンカラだ!」みたいなことをするのが凄く好きです。」



ひなさんの夢とは―――

(横音ひなさん)
「宮崎で凱旋ライブをすることです!」
「宮崎から応援してくださる方もたくさんいらっしゃるので、自分が育ってきた地元のみんなに見ていただきたいです。」

#32 寺島啓祐(料理人)

お~い!元気しちょる?

24年4月3日(水) 20:00

寺島啓祐さん(都城市出身)

  

朝7時、東京・恵比寿の繁華街に、今回の主人公・寺島さんの姿がありました。

 

 

昨年4月に料理人になったばかりの寺島さん。

駆け出しの、1年目です。

 

まだ誰もいないお店で下準備を黙々とこなしていきます。

 

(寺島さん)

「自分が思っていたより、すごく厳しい世界だなって思いました。」

 

寺島さんが働くお店”MONNALISA”は、恵比寿店・丸の内店ともに、

これまで何度もミシュラン一つ星を獲得しているフランス料理の名店です。

 

 

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MONNALISAのオーナー・河野シェフは、川南町出身です。

以前、「わけもん!」の凄腕料理人リレーでご出演いただいたことも。

 

河野シェフは、25歳の時に単身でフランスへ。

最高級フレンチレストラン タイユバン・ロブション(現 ジョエル・ロブション)にて初代日本人シェフを務めた、世界でも指折りの料理人です。

 

(河野シェフ)

「この場所にくるとは、夢にも思っていなかったけれど、できたのは、自分で夢を描いて、頑張ろう!と思って、”自分を信じてやってきた”からだと思います。」

 

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現在、寺島さんが任されている料理は、前菜―――アミュ―ズ・ブーシュ。

 

(寺島さん)

「(食材を)柔らかくして、ミキサーにかけて、ピューレを作ります」

 

素早く、そして繊細に仕上げていきます。

厳しい視線で見守る、河野シェフ。

 

味のチェックが入ります。

 

(河野シェフ)

「味はいい感じ」

「たいしたもんや」

 

評価は上々。寺島さんの表情にも、笑みがこぼれます。

 

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寺島さんが料理人を目指した理由とは―――

 

(寺島さん)

「お父さんの姿を見て、すごくかっこいいなと思って。

 自分がつくった料理でお客様を笑顔にできるってすごくいい仕事だなと思って。」

 

寺島さんの実家は、都城市にある”deja-vu”という、宮崎牛を扱ったレストラン。

啓祐さんは、幼いころから料理人になるのが夢でした。

 

(父・良幸さん)

「3~4歳の頃から”コックさんになる!”って(言っていた)。

 家族でバーベキューとか行くと私の上に乗って肉を一生懸命焼いてましたね。」

 

高校時代は、甲子園を目指しながら、福岡の名門・九産大九州で学びます。

高校卒業後上京し、辻料理師専門学校へ。

在学中にフランスへ留学し、本場のフランス料理を学びました。

 

就職活動をする中で、一目ぼれしたのがここ、”MONNALISA”でした。

 

(寺島さん)

「(MONNALISAの料理が)美しいなと思って。本当にただそれだけで、(MONNALISAに)入ろうって思いました。」

 

寺島さんが心を奪われたという、美しい料理がこちら。

 

 

父・良幸さんも、MONNALISAに行きたいという啓祐さんの想いに、驚いたといいます。

 

(父・良幸さん)

「(卒業後)どうするんだって話をしたら、”MONNALISAというお店で働きたい”って。

 私が20年くらい前に東京で修行していた当時でも、第一線のお店で。」

 河野シェフとは、お会いしたことはなかったですけど、有名な方だったのでもちろん名前は知っていて。

 そういうお店を選んだというのが驚いたし、嬉しかったですね。」

 

(河野シェフ)

「僕も宮崎出身なんで。彼もいつかは宮崎に帰って素晴らしいフレンチのフェアをやったりして、自分の名前を挙げていければいいかなと思っています。」

 

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この日、寺島さんは”あること”にチャレンジ。

 

”あること”とは―――

 

料理人たちが食べる”まかない”作り。

 

(寺島さん)

「麻婆豆腐を作ります。」

 

(先輩シェフ・河本さん)

「最初の方は仕事覚えるので手一杯なので、仕事に慣れてから徐々にまかないを作っていきます。」

 

まかないを作ることは、料理人にとって大切な学びの場でもあります。

先輩に教わりながらの調理です。

 

 

河野シェフにも、修行時代を振り返ってもらいました。

 

(河野シェフ)

「厳しい時代もじゃなくて、厳しい時代しかなかった。

 朝7時から仕事行って、休憩もないし、昼飯も食べていないし、夕方1食だけ。で、夜があると11時、12時前。

 家帰って、ばたんきゅーしたら目覚ましが聞こえない時代がいっぱいあった。」

 

河野シェフに、料理人に必要なことを聞いてみると。

 

(河野シェフ)

「出来の悪い子でも、コツコツやる子がのびる。」

「自分で選んだ職業だから続けなさい(と、いつも思っている)。」

 

 

するとここで、寺島さんのまかない料理が完成しました。

 

 

いざ、実食。

 

スタッフのみなさんから、”美味しい”という声が次々と聞こえてきます。

 

(河野シェフ)

「まかないが上手な人はみんな成功してる。」

 

――――――――――――――――――――――――

 

そしていよいよ、お店がオープン。

お客さんに料理をスムーズに提供するため、調理場は常に時間との闘いです。

 

(料理長・小暮さん)

「最初はできないのが当たり前なのでしんどいと思うけれど、それを乗り越えていくことが大事。(寺島さんの)これからが楽しみです。」

 

営業時間が終わり、後片付け。

家路に着くのは夜遅く・・・。

 

 

自宅には、こんなものが飾られていました。

 

”おこずかい がんばれ!けいすけ!”と書かれた紙。

 

(寺島さん)

「夏 帰省の時にお母さんからもらったお小遣いの中に手紙が入っていて。

 気持ちが沈んだ時に、これを見て”やろう”っていう気持ちになれるように貼っています。期待に応えたい気持ちはすごくあります。」

 

 

”お~い!元気しちょる?”

 

 

宮崎・都城のご家族から寺島さんに贈ったものとは。

 

(寺島さん)

「(霧島を手にもって)僕の家にも、実家にも置いています。」と笑顔。

 

 

そして・・・お肉の塊!?

 

 

(父・良幸さん)

「妻の実家が牧場をしていまして、そこの、宮崎牛のサーロインロースです!」

 

(寺島さん)

「(このお肉で)まかない作ります!!(笑)」

 

 

(寺島さん)

「みんなの声援が力になったというか、また一から気持ちを作り直して頑張っていきたいと思います」

 

 

寺島さんが目指す料理人とは―――

 

 

(寺島さん)

「お客様を笑顔にできる料理人になりたいです」

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