お~い!元気しちょる?
#11 松本 哲也さん(劇団 小松台東 主宰)
22年7月6日(水) 20:55
松本 哲也さん(45歳・宮崎市出身・劇団 小松台東 主宰)
東京都・新宿区。
とあるスタジオで行われていた舞台の稽古にお邪魔しました。
聞こえてきたのは・・・
“宮崎弁のセリフ”
この舞台の作・演出を手掛けるのが今回の主人公 松本哲也さん 宮崎市出身
東京の劇団 小松台東の主宰を務めています。

これは何という舞台?
(松本 哲也さん)
「タイトルは『山笑う』という。宮崎市にある兄妹がおりまして、女手一つで兄妹を育てたお母さんが亡くなりその通夜の晩の一夜のお話なんですけれども...東京で自由に暮らしていた妹が帰ってきたという。それでお兄ちゃんとの確執だったりそういうようなお話しですね。」
宮崎の家族をテーマにした舞台『山笑う』。
キャストは東京の劇団「ゴツプロ!」のメンバーを中心とした実力派俳優たち。
皆さん関東・関西の出身ですが・・・
(舞台セリフ)「遠慮せんで言ってくださいねぇ。お皿取り分けて持ってくることもできますから。」「いいっていっちょっちゃかい。」「じゃ、持ってきっちゃうがこっちん。」「大丈夫ですがぁ。」
宮崎弁お上手ですね!
こんな出演者も・・・
しずちゃん(南海キャンディーズ)こと山崎静代さん
久しぶりに宮崎に帰ってきた妹・菜々役を演じます。
最初このオファーを受けた時どういうお気持ちで?
(山崎 静代さん)
「いいんですか?って感じですごい嬉しくて。」
宮崎弁どうですか?
(山崎 静代さん)
「はい。あのー難しいですね。」
(松本 哲也さん)
「しずちゃんお上手ですよ。宮崎弁。」
2017年にも公演したという舞台『山笑う』
別の劇団から「ぜひ、一緒にやりたい」とオファーがあったんだそうです。
(松本 哲也さん)
「東京で活動しているゴツプロ!さんという団体が新しく企画・ユニットみたいな【BOND52】を立ち上げて、それの第1回目の公演ですね。」

プロジェクトを立ち上げたのがこちら!
“ゴツプロ!の俳優・浜谷 康幸さん”
(浜谷 康幸さん)
「普段のゴツプロ!がやっている舞台とは違うところと一緒に組んでやりたいなというところで、(山笑うの)台本を読ませていただいて、是非これでやりたいな。ということで。」
松本さんはどんな演出家ですか?
(浜谷 康幸さん)
「勉強になる所もありますし、なるほどなと思う所もいっぱい。」
(ゴツプロ!・塚原 大助さん)
「細かく辛抱強くやるっていうことが、やっぱまれにみる“演出の力”がある人ですね。」
松本さんの作品の多くは“宮崎弁”
脚本には宮崎県人なら共感できるような場面も
(舞台セリフ)「九州新幹線開通したと思ったらさ、宮崎通んないの。びっくりした。」
「大分だって通ってねぇが!」
宮崎弁にはとことんこだわります。
(松本 哲也さん)
「大分だって通ってねえが! “ねえが!”をもっと強く。」
(浜谷 康幸さん)
「(宮崎弁)難しいです。めちゃくちゃ難しいです。本番までには仕上げたいなと思います!」
淡々とかつ丁寧に演出する松本さん。
高校時代はどんな生徒でしたか?
(日大高校レスリング部・長倉監督)
「高校3年時にキャプテンをしていまして、メリハリのある練習計画を立てたりチームの輪づくりに貢献してくれました。」
レスリングに打ち込んだ高校時代
(松本 哲也さん)
「嫌いじゃなかったと思います。みんなをまとめたり引っ張っていくというのは。」

レスリングに打ち込んだ高校時代
高校卒業後は映画の専門学校に進むため上京を。
演劇をしたいから上京したんですか?
(松本 哲也さん)
「いや!なんにもないです。目的は無くただ漠然と東京に出たいってだけです。」
(日大高校レスリング部・長倉監督)
「若かったし、何度でもやり直しはきくかなと思って、(上京の)後押しはしました。お笑い芸人もやってたみたいですけど。」
(松本 哲也さん)
「外のオーディションでも受けてみたら?みたいなことを専門学校の講師の先生に言われたからそれで受けたら合格して、お笑い芸人として何年か活動させてもらって...」
しかし・・・
(松本 哲也さん)
「家が電気工事関連の会社を経営していまして、父が亡くなって宮崎に戻ってきたんですけど。東京に出たのも中途半端な気持ちで出てるからやっぱり戻ってきたし、戻ってきたときもそこまで覚悟を決めれずに戻ってきてるから、またすぐ(宮崎が)嫌になって東京に戻るんですけどね。」
26歳の時に再度上京
芸人時代の経験を活かし構成作家などとして活動します。
そして2010年 劇団「小松台東」を旗揚げ。本格的に演劇に取り組み始めました。
(松本 哲也さん)
「33歳から『これでダメだったらやめよう』くらいの覚悟で演劇を始めたので、ウソ偽りなく書ける脚本を書こうと思ったらそれが高校時代のレスリング部の話だったんですよ。ということは、必然的に宮崎弁。だから宮崎弁で芝居するし、“小松台東”でいいかなと思って。
地方をちゃんと背負った物語をとことん考えて脚本を書いていくべきなんじゃないかと思って、ずっと続けていこうと思います。宮崎弁での芝居は。」
(レスリング部)恩師の長倉先生も教え子の活躍に期待しています。
(日大高校レスリング部・長倉監督)
「郷土愛が強いからこそ宮崎弁の舞台をやる。宮崎に誇れる舞台にしてほしい。」

宮崎の皆さんへ
(松本 哲也さん)
「宮崎の皆さんにもっと作品を見てもらえる機会が増えるような劇団としても作家としても宮崎を題材としたドラマも作りたいと思いますので、楽しみに期待していただければと思います。どっかで皆さんに会えるのを楽しみにしております。」
#10 ニキ・リヤナゲさん(プロダンサー)
22年6月1日(水) 20:55
ニキ・リヤナゲさん(25歳・宮崎市出身・プロダンサー)
東京・豊島区。JR目白駅のすぐ近くにあるスタジオに
今回の主人公の姿がありました。

宮崎市出身の母とスリランカ出身の父との間に生まれたニキさん。
宮崎日大高校を卒業後、ダンスインストラクターなどを経て4年前に上京。
プロダンサーとし活動しています。
ダンスチームのメンバーでもあるニキさん。
週に5日、毎日8時間ダンスの練習に打ち込んでいます。
今は何に向けて練習しているんですか?
(ニキ・リヤナゲさん)
「今は、D.LEAGUE(ディー・リーグ)の最終戦に向けて練習している最中で...」
2021年1月に開幕した“D.LEAGUE”
ストリートダンスの発展・普及を目的とした世界初のプロダンスリーグです。
現在2シーズン目。11チームが参戦しています。
ニキさんが所属しているチームは
『LIFULL ALT-RHYTHM(ライフル アルトリズム)』
今シーズンからD.LEAGUEに参戦した”LIFULL ALT-RHYTHM“
チームのコンセプトは?
(ニキ・リヤナゲさん)
「コンテンポラリーとストリートダンスの融合という形でアルトリズムは進めています。
ジャンルの枠にとらわれない新しいアルトリズムだけのスタイルを作っていこうというチームになります。」

メンバーはディレクター・レギュラーダンサーの11人で構成。
個性的なダンサーが集まっています。
それぞれ得意なダンスがあるメンバーたち
ニキさんのスタイルは?
(ニキ・リヤナゲさん)
「私は、“フリースタイル”と言っていろいろブレイキンとかソウル、ポッピン、ロッキンみたいなジャンルをいろいろやってました。」
高校時代は宮崎でロッキンチーム「FUNKTION」として活動
ニキさんってどんなダンサーですか?
(ダンスリーダー calinさん)
「同じ振付けを踊っていても、一人光って見えるというか。上手いダンサーとかかっこいいダンサーは体に対しての顔のつけ方がすごい上手い・かっこいい人が多いんですけど、ニキはそんな気がします。」
(ディレクター・野口 量さん)
「お客さんであったりとか人がいることでスイッチがパチンと入る。いろんなタイプに化けられる素晴らしいダンサーです。」
その一方で・・・
(他メンバーから)「めっちゃ頑固です。負けず嫌い。」「信じられないくらい“天然”」「ムードメーカー的な存在で愛にあふれた人です。」
天真爛漫なニキさん。
幼いころから踊るのが大好きだったといいます。
(母・詩乃さん)
「音楽がかかったら体を動かして、父親と2人で一緒に踊っていたというのがあって、それで5年生になった時に一緒のクラスになった子の親御さんが一緒に始めないかと声をかけてくださって。それからはもう水を得た魚のようにもうバンバンとダンス一筋でいくようになりましたね。」
宮崎で多様なダンスを学んだニキさん。
県内外のコンテストにも出場するなど経験を積んできました。
2017年福岡県で行われたソロダンスバトルで優勝
(ニキ・リヤナゲさん)
「東京に出てくる前に、一度ソロバトルで優勝したんですけど福岡で。それ以外にもアーティストさんのバックダンサーを地方にいたけどやったり、いろいろして向こうにいながらも経験は自分なりにしていました。」
そして4年前大きな転機を迎えます。
(ニキ・リヤナゲさん)
「東京来る前にアメリカに行ってたんですけど、その時に“ダンスやっぱ楽しいな”と思って、自分のスキルを磨いたり知名度を上げたりというのを今したほうがいいかなと思ったから東京に上京しました。」
娘の決意にお母さんは...
(母・詩乃さん)
「あーもう行って行って!みたな感じですね。やっと行けるね!って感じですね。心配やないと?といろいろ周りから言われるんですけど、それはどこに行っても一緒ですわ。宮崎にいても東京にいてもニューヨークに行っても一緒だし。心配するのが私の役目でもあるわけやし。」

上京してからは、インストラクターやアーティストのバックダンサーなどを務めてたニキさん。そして去年「D.LEAGUE」という新たなステージへ。
(ニキ・リヤナゲさん)
「(D.LEAGUEは)レベルが高いが当たり前と思って見てたし、ラインを超えたところでも戦ってるというか、でもそこから更にどう自分をもっていけるか。みんな個人でも戦ってるし、チームでも戦ってるしというそういうイメージがあります。」
チーム練習を終え、やってきたのはガード下の空きスペース。
ここで何するんですか?
(ニキ・リヤナゲさん)
「ここでいつも練習やってます。何も気にしないで一人でずっと踊ってます。」
振付けなしのフリースタイル
音楽に合わせて自由に踊ります。
(ニキ・リヤナゲさん)
「“毎日もうひたすら自分は5時間練習します”みたいな人もいると思うんですけど、私はそれをしているとダンスが嫌いになっちゃいそうだなと。楽しいとずっと踊っちゃいます。」
本当にダンスが好きなんですね。
【プロとの葛藤】
(ニキ・リヤナゲさん)
「やばいダンス楽しくないかもと思った時期もめっちゃこの1年でありましたし、自分はこの踊りみたいなのを持ってる人が多かったから、やっぱ自分は今までいろんなジャンルをやってて、ちゃんと自分の魅力を出せてるのかな?みたいな。」
そんな娘にお母さんは?
(母・詩乃さん)
「なかなかアルトリズムの世界観の中で踊れるということはないだろうなと思って、それで十分頑張ってるっちゃが!って」
(ニキ・リヤナゲさん)
「やっぱお母さんに言われる言葉って安心するし、また元気もらえるっていうか。お母さんと電話する時はホロリ(涙)となることが多いですね。いつも。」

宮崎が大好きなニキさん。ふるさとへの思いは?
(ニキ・リヤナゲさん)
「宮崎で生まれて良かったなっていうのは凄いあります。すごいみんないいダンサーとかが多いんですよ宮崎。絶対みんなチャンスあるはずやし、自分で切り開いて進んでいく姿を見せることができればと思ってます。」
宮崎のお母さんから東京の娘へ
(母・詩乃さん)
「ダンサーとして生きて行ってくれることが私の誇りでもありますし、楽しみでもあります。頑張ってね!これからも!」
(ニキ・リヤナゲさん)
「本当にいつも応援してくれてありがとうございます。これからも自分らしく頑張っていくので、引き続き温かく見守っていてくれたらと思います。いつもありがとうございます。」
#9 谷口兄弟(ステーキ&バーSANKYU)
22年5月4日(水) 19:55
谷口 大輝(だいき)(40歳・串間市出身・ステーキ&バーSANKYU オーナー)
谷口 陽(よう)(31歳・串間市出身・ステーキ&バーSANKYU 調理担当)
東京・世田谷区の池尻大橋。
個性あふれる隠れ家的な飲食店が点在するエリアで兄弟で飲食店を切り盛りしています。

「ステーキ&バーSANKYU」
お店のコンセプトは?
(オーナー・谷口 大輝さん)
「気軽に宮崎牛が食べれるお店というか、お酒一杯だけでもお肉だけでもとかそんなフランクなお店ですかね。」
お店で出しているのは、二人の兄・兼光さんが育てた宮崎牛。
自慢のメニューは“宮崎牛のカルパッチョ”宮崎産の甘めの醤油がかかっています。

(調理担当・谷口 陽さん)
「牛のカルパッチョっていうのをたぶん皆さん食べたことない人が結構多いんで、シンプルに間違いない(味)ですね。めちゃくちゃ美味しい。」
“宮崎の炙り肉寿司”
(調理担当・谷口 陽さん)
「軽く炙るので、ほどよく脂もまた溶けて、小さめのシャリとお肉と、宮崎の刺身しょう油にとろみをつけて上にチョロっと。これだけ食べにくるお客様もいます。」
一番人気のメニューは?
(調理担当・谷口 陽さん)
「ランプ・サーロイン・フィレの3種盛です。」
“宮崎牛ステーキ3種盛り合わせ”
食べ応えのある赤身ランプ肉、脂が甘くとろけるサーロイン、さっぱりいただけると女性に大人気のフィレ。3種類の部位がリーズナブルに楽しめる人気メニューです。
(お客様)
「めっちゃ柔らかくてジューシー!」
(調理担当・谷口 陽さん)
「日本一なんで!宮崎牛は。みんなにもっと知ってもらいたいですね。」
スタッフの雨森さん。このお店に惚れ込みアルバイトするようになりました。
(アルバイト 雨森さん)
「テレビでたまたま、宮崎牛がクローズアップされている番組を見たことがあるんだけど、(東京では)すごく高いの。100グラムで1万円超えとか普通のステーキで。なのにここだと安いでしょ。そう考えるとすごい安く美味しいものをこうやって広げるために提供してくれてるんだなと、その気持ちがやっぱり伝わりました。」
(オーナー・谷口 大輝さん)
「松坂牛・佐賀牛とかと比べてブランド的にまだ弱いので、ただ物自体(肉質)は変わらないというか、もっと美味しいかもしれないし、そういう面では自信を持ってるんで、値段的にも安くして皆さんに気軽に宮崎牛を知っていただけたらなとは思ってました。」
ところで
なぜ、東京でお店を開いたのですか?
(オーナー・谷口 大輝さん)
「なんの根拠も自身もなく、勢いで出店しましたね。最初は。
オープンの1週間前か3日前に初めて親に電話して...実はこういうこと(出店すること)になったよ!というのが12年前ですね。(親は)びっくりしてたし、心配はしてましたね。」
(二人の兄・兼光さん)
「心配でした。東京でね、やっぱりすごい飲食店が並ぶとこで、そしてまた宮崎牛で勝負するっていうので、すごい期待もあったけど期待以上に心配の方が本当に大きかったです。」

お店をオープンしたのは、12年前(2010年3月)
その矢先2010年4月に口蹄疫が発生。宮崎の畜産業が窮地に陥っていました。しかし...
(オーナー・谷口 大輝さん)
「この池尻っていう街が、小っちゃい村というか小っちゃい街なんで、逆にそのオープンして来てくれた常連さんとかが(宮崎のことを)気にしてお店に来てくれたり、実際コロナの時も元々常連さんがついてくれていたり、そういう部分では助かりましたね。」
今では東京で4店舗を経営する大輝さん。
そんな兄を“支えたい”と弟の陽さんもお店で働くようになったといいます。
陽さんがやるとなってどうでしたか?
(オーナー・谷口 大輝さん)
「いや、うれしかったですよ。やっぱり!頑張ってくれるのを分かっていたので。」
陽さんにとって大輝さんはどんな存在ですか?
(オーナー・谷口 大輝さん)
「頼りになる兄貴というか...東京に兄弟が他にもいるので、東京のトップじゃないですけど」
他にも兄弟がいる!?3人兄弟では?
(二人の兄・次男 兼光さん)
「9人兄弟姉妹です!僕が2番目で大輝が3番目、陽が8番目ですね。男の中で一番下の末っ子です。7男2女ですね。野球チームができるって昔からほんと言われていました。」

兄弟姉妹の仲は?
(二人の兄弟・長男 大海さん)
「昔からなのですけど“年功序列”というか、兄が間違ったことを言ってもそれが正しくなってしまう家族でしたね。」
(オーナー・谷口 大輝さん)
「年の近い兄弟とケンカをよくするので、僕は次男の兼光と。高校で同じ野球部に入って寮に入ったので親元離れてことで兄のありがたさ・心強さをすごく感じました。」
7男2女の谷口兄弟姉妹。大人になった今では?
(調理担当・谷口 陽さん)
「一言でいうとみんな“仲のいい兄弟姉妹”」
(二人の兄・長男 大海さん)
「ほんとに仲いいですね。ひとりひとり誰かが辛い時はみんなが寄って来てくれるのがうちの兄弟姉妹ですかね。」
(オーナー・谷口 大輝さん)
「コロナ禍の最中でもしょっちゅう連絡きたり、心配してくれたり、応援してくれたり、他の人が言ってくれないことをちゃんと言ってくれたりとかもしてくれるので、兄弟姉妹の愛は感じます。」
離れていても兄弟姉妹“家族の絆”で繋がっています。
大輝さんと陽さんのこれからの夢は?
(調理担当・谷口 陽さん)
「SANKYUをもっと大きく、店舗も増やして。例えば飲食店だけじゃない事業ももしかしたらとか...その為にも兄貴のサポートなど、兄貴ができない事を僕ができたらなと。」
(オーナー・谷口 大輝さん)
「支えてくれている従業員とかスタッフもいっぱいいるので、目の前の近くにいる人たちから幸せに出来たらなというのはありますね。」
串間の家族へ
(オーナー・谷口 大輝さん)
「ほんと感謝しかないし、みんなのおかげでこっちも頑張れているのがあります。まだまだ僕に刺激をください。」
(調理担当・谷口 陽さん)
「帰った時は、9人きょうだい家族11人。みんなでまた宴会して楽しみましょう。」
串間市の家族から東京で暮らす兄弟へ
「大輝、陽、いまコロナ禍で大変ですけど、これからまた一緒に頑張っていきましょう。また兄弟みんなで集まれる日を楽しみにしています。待ってるよ~!」

#8 矢野瑛彦(あきひこ)さん(映画監督)
22年4月26日(火) 14:24
矢野瑛彦(あきひこ)さん(36歳・宮崎市出身・映画監督)

これまで5本の映画(卒業制作含む)を自主制作。
2016年に制作した『pinto』では、新人監督映画祭で長編部門グランプリを受賞。
福岡の大学に進学後、映画監督を志し12年前に上京。
東京の映像専門学校「ENBUゼミナール」で映画製作について学びました。
(矢野 瑛彦さん)
「専門学校を卒業してからは、TBSのドラマ美術スタッフをやったりとか
基本的にアルバイトで生計を立てて、お金を貯めて、自主製作で映画を製作するという形をずっと今でも続けている感じですね。」
自主制作のため資金のほとんどは監督が自ら調達します。
(矢野 瑛彦さん)
「アルバイトも基本的にはかけもちでやってますし、足りない部分は借金をして...
融通が利く、体を使うバイト(ゴミ収集やウーバーイーツなど)をしています。」
なぜそこまでして映画を撮るんですか?
(矢野 瑛彦さん)
「すごい辛いんですよ。何年もかけて撮るんで。映画の現場でも編集も大変だし、
これで最後だって何回も思うんですけど、もっとできる。まだまだできる。“もっともっと上に行きたい”という欲求ですかね。」
「もっと上に行きたい」常に高みを目指す矢野さんの性格。
昔からそうだった。と同級生の2人が話します。

(友人 榎園さん)
「中学校の時サッカー部だったんですけど、矢野くんがキャプテンをやってくれて。
結構個性の強いチームメイトが多かったんですけど、それを矢野くんが引っ張って中体連で優勝できました。サッカーしてる時はものすごい真面目で、ただ遊びにも全力。」
(矢野 瑛彦さん)
「あの時(サッカー部キャプテン)の経験がやっぱりものすごく役に立ってますね。撮影現場にいる人たち一人ひとりに気をつかう。」
(友人 榎園さん)
「事あるごとに面倒見がよくて、声かけてくれたりとか周りを巻き込んでいく力がすごくあったなと思います。」
しかし、親友にしか見せない一面も。
(友人 岩倉さん)
「20分くらい歩いて学校に行ってたんで、
ポロっと『ちょっといま苦しんだよね』みたいな。考え込んじゃう性格なのでいろいろ。」
この性格が、映画監督を志すきっかけに繋がります。
(矢野 瑛彦さん)
「大学生活が全然楽しくなくて、人間関係が煩わしかった。一言でいうと。
半引きこもり状態みたいな。することがなく映画を見始めたら止まらなくなっちゃって。」
(友人 榎園さん)
「最初によく話してたのは、北野武監督の映画に感動して、こんな映画を撮りたいと思ったみたいです。」
映画監督になると決意を決めた矢野さんでしたが、
(矢野 瑛彦さん)
「誰しもが映画監督なんて無理だ。とか言うんですけど、僕はやりたくない事を続ける方が無理なんですよ。」
ご両親の反応は?
(矢野 瑛彦さん)
「『あなたの好きなようにやりなさい』って。ただ映画監督に実際になって(両親に)聞いたら、『なれるわけがないと思ってた』みたいで。」

自宅での仕事も多い矢野さん。オン・オフの切り替えはどうしているのでしょうか?
(矢野 瑛彦さん)
「たぶん妻に聞いたほうが...(妻に)オン・オフある?俺。」
(妻)
「オン・オフ無いです。布団の中に入っててもオフじゃないかもしれないです。彼はずっと映画のこと考えちゃう。」
(矢野 瑛彦さん)
「(妻は)一番の理解者なので、妻も舞台の出演家やってまして、『岸田國士戯曲賞』という日本で一番トップといえる賞をいただいてるので、そうやってお互いに...」
“愛する人を大切に” という思いを込めて撮った映画があります。
去年(2021年)制作した新作映画「yes,yes,yes」自身の作品では、初の全編宮崎ロケ
(矢野 瑛彦さん)
「“死”を基盤に家族の崩壊と再生を描いた映画になってます。この映画を見て今身近にいる大切な人たちを大事に思ってもらえたらいいなと思える作品になっています」
映画には、こんな想いも
(矢野 瑛彦さん)
「何回も何回も『辞めちまおう』と『諦めちまおうと』と思うんですけど、頑張れる理由がやっぱり“親孝行”したいなという。僕が思う親孝行っていうのは、『生まれてきて良かった』って思えること。だから頑張れる。」
「次も宮崎で撮ろうとしています。“夢”をテーマに。夢にあこがれた時期っていうのが宮崎にいるときだったので、あの頃の思いを映画にしたい。」
矢野さんのこれからの夢は?
(矢野 瑛彦さん)
「世界三大国際映画祭には行きたいですね。」

ふるさとの友人へ
(矢野 瑛彦さん)
「僕がみんなにできる恩返しは、“映画を撮ること”しかないと思っています。
みやざきに帰ったときは、一緒に飲んでいただければとても嬉しいです。よろしくお願いします。」
#7 濱田健吾(経営者)
22年3月2日(水) 20:55
濱田健吾(44歳・小林市出身・経営者)
株式会社アクポニ 代表取締役

小松菜、ホウレンソウ、レタスなど、10種類以上の野菜を栽培しています。
神奈川県藤沢市にあるハウス、ちょっと普通と違うのです。
(濵田 健吾さん)
「魚がいるというのが一番の特徴になります。いまここには、ティラピア(アフリカ原産の淡水魚)と錦鯉がいます。」
野菜と魚が一緒に?これはどういうことですか?
(濵田 健吾さん)
「これは、アクアポニックスという農法で、魚を飼育して飼育水を循環させて、栄養豊富な水で野菜を育てましょうという循環型の農業になります。」
濱田さんが取り組んでいるのは、魚と野菜を一緒に育てるアクアポニックス。
アメリカ発祥の循環型農業システムです。

(濵田 健吾さん)
「いま、水槽(いけす)の上で、野菜・ハーブを育てています。下の水槽(いけす)に錦鯉を入れています。仕組みは、魚にエサをあげるとフンをしますよね、通常フンをした水は水換えで捨ててしまうのですけど、フンをしたあとの水をポンプで野菜の方に組み上げているのですね。常に水が野菜の方に供給されています。ここ(野菜の土壌)にあるのが、ハイドロボールという土を焼いて固めたセラミックボールなのですけど、ここに微生物がいっぱい住み着くのですよね、なので、魚のフンを微生物が分解して野菜の栄養に変えてくれます。野菜がそれを吸収して育って。」
魚のフンを微生物が分解し、野菜の栄養分に。そして浄化された水は再び水槽に戻る。循環させることで「もったいない」も無くなるということなのです。
(濵田 健吾さん)
「魚と植物と微生物が共生しているのですよ。小さい生態系をつくっているのですけど、まさに小さな地球がここにある、そういったものですね。」
小林市生まれの濵田さん。幼い時から自然の中で育ってきたといいます。しかも大の魚好き。
(濵田 健吾さん)
「僕、魚屋の長男で、魚釣りが大好きなのですね。釣りばっかりしていて、高校卒業まで、山・川・田んぼで遊んでいました。」
大学卒業後、オーストラリアで2年間、日本語教師を務めた濵田さん。帰国後は、専門商社に入社し、シンガポールやロシアで7年間新規事業の開発に携わりました。
その時の仕事仲間から言われた言葉がターニングポイントになったと言います。

(濵田 健吾さん)
「ロシア人の方に、『本当は魚の仕事がしたかった』と言ったら『今からやればいいじゃん』と言われて、そこで“確かに”“やろう”と思って。」
仕事仲間の言葉に後押しされ、いまの会社を起業。アクアポニックス発祥の地・アメリカを拠点に勉強に励みます。そしてこのシステムを日本でも広めようと、2年前、試験農場を開きました。
ここで育った野菜の味は?
(濵田 健吾さん)
「小松菜いただきます。味は僕が言うとあれなんですけど、日本大学と野菜の成分の共同研究を進めていまして、成分でわかっていることは、野菜の残留窒素が従来の農法と比べて低い、あとはビタミンCがより多いということはわかっています。」
残留窒素が少ないとどうなるのですか?
(濵田 健吾さん)
「野菜の“えぐみ”が少なくなるのですね。生で食べた時に食べやすい野菜になりますね。」
環境にも優しく、美味しい野菜が育つというアクアポニックス。その魅力を広めるため、家庭用のキットも開発しました。

今後期待することは?
(濵田 健吾さん)
「例えば、観光地や飲食店の隣に置いて、そこで育った野菜を食べていただくとか。宮崎出身ですし、地元に貢献したいという想いはすごく強いので、宮崎で導入したいという思いは常にあります。小林はチョウザメの養殖もやってますし、(アクアポニックスも)やってほしいと思っています。」
農場スタッフに濵田さんの人柄を聞いてみました。
(スタッフ)
「アグレッシブな感じですね。もともとの経歴もあると思うのですけど、自分でどんどん考えて行動する方だなと思いますし、見ていて刺激になりますね。」
ふるさとの家族へ
(濵田 健吾さん)
「いつも見守っていただいてありがとうございます。これからも一生懸命頑張っていきますので、よろしくお願いします。」
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