お~い!元気しちょる?

#27 古沢勇人(声優)

お~い!元気しちょる?

23年11月1日(水) 20:00

古沢勇人さん(日南市出身)

 

0.1%―――

これは、ある業界で”成功者”と呼ばれる人たちの割合です。

 

港区赤坂のCREATORS HUBにいた今回の主人公、

古沢勇人さんは、日南市出身の声優です。

 

 

古沢さんは、2018年の第2回 キミコエ・オーディションで約12000人の中から準グランプリを獲得しました。

 

(古沢さん)

「嬉しいと同時にもっと頑張らなきゃなっていう。今のままじゃダメなんだなあというのは改めて実感しました。」

 

古沢さんは現在、事務所の声優仲間ユニット『FREVANG』メンバーと一緒に、

YouTubeやSNSで、ラジオや歌などを定期的に配信しています。

 

 

声優を目指すきっかけは?

 

(古沢さん)

「海外の映画が好きだったというのもあるんですけど、(声優を目指し始めた)当時、いろんな人に声をほめられたことで、

 自分の得意な部分・長所というのが、はじめて明確にわかった気がして・・・。」

 

(声優仲間・山田さん)

「(古沢さんは)元気いっぱいで、イタズラをやらかすようなキャラクター」

 

(声優仲間・南須原さん / 声優仲間・林さん)

「やんちゃな弟だね。」「でも、許せちゃうみたいな。」

 

(古沢さん)

「恵まれた環境で育っています(笑)」

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

高校時代、サッカー部の顧問をしていた竹田先生は、古沢さんから将来の話をきいて―――

 

(高校時代の恩師・竹田さん)

「正直、ビックリしました。心の中では、”お前無理だろう”と(思っていた)。

 ”何考えてるんだ”という気持ちでありながら、本人の夢をつぶすわけにはいかないので、

 『持ち前のチャレンジ精神でぜひ頑張ってみろよ』というようなアドバイスはしたかと思います。」

 

――――――――――――――――――――――――

 

古沢さんは、2020年、アニメ「啄木鳥探偵處」第十二首 星野達吉役でデビュー。

現在は、アニメや外国映画の吹き替えを担当。

中でも、韓国人気ドラマ「愛の不時着」の初級兵士役、クム・ウンドンの吹き替え役に抜擢されました。

 

 

(古沢さん)

「なんで俺なんだろうっていうのが、一番最初に(お話を)頂いたときに思いました。(家族も)すっごい喜んでくれましたね。

 自分の名前がのってるのを見て『泣いて喜んだぞ』って言ったのですごく嬉しかったです。」

 

(声優仲間・山田さん)

「(古沢さんの声は)すごい魅力的だと思います。この4人(FREVANG)で集まった時に、毛色が違う1人なんで。

 響きがあり、ちょっと渋めの。だからみんな羨ましがってますね。」

 

(古沢さん)

「嬉しいですね。親に感謝です。」

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

声優志望者は毎年新たに3万人以上。

プロを目指している人は30万人以上と言われる声優業界。

 

しかし、実際にプロになれるのは300人程。その確率は、わずか0.1%。

その上、人気声優と呼ばれるのは100人程度と、厳しい現実と闘っています。

 

週に1回、レッスンに通う古沢さん。今日も講師の星野さんから指導を受けます。

 

 

受講中、”演じ分け”について古沢さんは・・・

 

(古沢さん)

「(キャラクターが)太めの方だったら、声の重心を下において(演じ分けしている)。」

 

演じる人物に応じて声のトーンや重心を変えているようです。

 

(声優/講師・星野さん)

「(声優で生き残るためには)同じことをやっていても先輩には絶対に勝てないので、先輩がやらなさそうな事を。」

「ブルー・オーシャン(競争相手のいない未開拓の市場)を狙っていく(ことが必要。)」

「声質の幅をひろげることによって、そのオーシャンの数自体を増やしていくことですかね。」

 

(古沢さん)

「(目指している声優の仕事は)アクション系のワイルドな芝居に惹かれることがすごくあったので、そこでやっていきたいなというのはありますね。」

 

――――――――――――――――――――――――

 

高校時代、サッカー部のキャプテンを務めていた古沢さん。

1年生のとき、バセドウ病を発症し、部活を辞めようとしたことがありました。

 

(古沢さん)

「その時に、竹田先生に止めていただかなかったら、多分今の自分はなかったのかなと思います。」

 

古沢さんを救った言葉とは―――

 

”お前ならできる”

 

(高校時代の恩師・竹田さん)

「何よりもまず、その場で一生懸命やれと(声をかけた)。」

 

その言葉が、今の古沢さんを支えています。

 

そして手術を行い、バセドウ病を克服した古沢さん。

 

(古沢さん)

「辞めずに続けたから・・・結果、自分と向き合えたのかなって思いますね。」

 

 

若手声優が集まる舞台の稽古にお邪魔して、古沢さんの印象を聞いてみると―――

 

(声優・順能さん)

「最初は凄く”ウェ~イ”という感じでノリノリな方だと思っていたのですが、意外と丁寧。

 それでいて、ノリが悪いわけでもなく、キャラに乗って話を盛り上げたりもしてくださる方。」

 

 

(声優/講師・永吉さん)

「とにかく素直なところが、一番良いところだと思います。”声優をやる”って、すごく技術力がいるというか。画面を見て、台本を見て、相手役の人の声も聞いて、海外ドラマだったら耳から本国の声を聞いてっていう、いろんなことを一気にやらないといけないので。同じ声優の人たちの芝居を”よく感じる”、そういう感受性が必要なのかなと思います。(古沢さんは)すごくいろんな人の言葉をよく聞くし、そういう意味でとても良いと思います。」

 

――――――――――――――――――――――――

 

古沢さんにとって、声優とは・・・

 

(古沢さん)

「いろんな人に、希望や夢を届けることができる職業なのではないかなと思います。」

 

 

「これからも、いろいろ挑戦することは多いんですけれど、いろんな人の期待を胸に頑張っていきますので、ぜひ応援よろしくお願いいたします!」

#26 立川らく兵(落語家)

お~い!元気しちょる?

23年10月18日(水) 20:00

立川らく兵さん(宮崎市出身)

 

東京・北区にある梶原いろは亭に、今回の主人公の姿がありました。

立川らく兵さん。宮崎市出身で、立川流の落語家です。

 

 

落語は、巧みな話術としぐさが織りなす、伝統芸能。

先月、立川流の真打トライアルと呼ばれる昇格試験がおこなわれ、

らく兵さんは見事、落語家の最高峰である真打昇進を決めました。

 

(後輩)

「現場をお手伝いさせていただいて、直でらく兵さんの芸を見せていただいたときに、

”あ~ここまでならないと真打になれないんだな”と。震えましたね。」

 

(後輩)

「”芸に一途な先輩”という印象ですね。立川流はとても厳しいので。

まず芸が良くないと真打にはなれないので。尊敬できる先輩です。」

 

(立川らく兵さん)

「入門してまる17年ぐらいですかね。見習いから始まって、前座 二ツ目と頑張って、

真打に上がれることになりました。喜びもひとしおです。」

 

宮崎にいる友人も、喜びひとしおです。

 

(高校時代の友人・寺田さん)

「コイツ本当にやったんだなと思って。嬉しいですよ。

東京の友達も、みんな落語を観に行ってるし、私も行けるものならすぐに観に行きたいですね。」

 

らく兵さんは、立川志らくさんの弟子。

一見落語家とは思えないその風貌が、旧日本兵の雰囲気に似ていることが、名前の由来にもなりました。

 

真打昇進の条件は落語100席(種類)以上で、会場を満席にできる人気を身につけることでした。

 

(立川らく兵さん)

「(立川志らく師匠に)一通り落語を聞いてもらった後で、”二ツ目にしておく必要はない”という言い方をされました。」

 

 

 

苦節17年―――

らく兵さんは、師匠の自宅で日々稽古をつんできました。

 

(立川志らくさん)

「弟子は、辞めた弟子を含めると30人くらい来て、今18人か19人残ってるんですけど、

たくさんいる弟子の中で一番骨が折れたというか、手がかかったというか、問題がたくさんあったのは

良いも悪いも含めて、らく兵でしょうね。」

 

(立川らく兵さん)

「骨折り頂き通しの私であります。」

 

――――――――――――――――――――――――

 

元々お笑い好きだったらく兵さんは、福岡の大学を卒業後に上京。

友人とコンビを組んで芸人を目指しましたが、舞台に上がることなく解散してしまいました。

その後、落語家・立川志らくさんが開く塾に通い始め、この世界へ飛び込みました。

 

(立川らく兵さん:2013年撮影)

「他にやろうというものがない。そこしかやりたいものが(ない)。

結局何年か考えたんですけどやっぱりなかったので。」

 

 

 

師匠に、入門当初のらく兵さんについて聞いてみました。

(立川志らくさん)

「私としては普通だったが、周りが結構驚いていましたね。変わったやつが入ってきたぞと。

家元の(立川)談志も彼を初めて見たときにギョッとして”変なやつを弟子にとるんじゃない!コノヤロー”って。

“何でも弟子にすればいいってもんじゃねえだろう”って。話もしてないのに、見ただけで(言っていた)。」

 

 

宮崎にいる友人は落語の世界に入ったらく兵さんをどう感じていたのか―――

 

(高校時代の友人・寺田さん)

「やっぱりコイツ変わっているなと思いました(笑)

変な、シュールでおとなしい、人の目も見ないような落語家になるんだったら”人と違っていいんじゃないか”と思いましたよ。」

 

――――――――――――――――――――――――

 

厳しい徒弟制度の元、見習い→前座→二ツ目→真打と昇進していく落語界。

中でも、立川流の真打昇進の条件はほかの落語団体と違い、都々逸や日本舞踊などの古典芸能ができないと認められません。

 

(立川らく兵さん:2013年撮影)

「1日24時間、それこそ寝てる間も芸のことを考えているくらいじゃないととてもじゃないけど勝負できない世界なんだと。

没頭しなきゃいけないことを楽しめないヤツだったら、この世界には向いてないなというのを教わりました。」

 

入門して真打昇進までの17年。それはそれは波乱万丈でした。

 

二ツ目に昇進するも破門―――

 

(立川らく兵さん)

「(破門といわれた時は)お先真っ暗(だった)。ずっと死ぬまで続けるつもりで入ったので、自分の粗相でそういうことになって

これはえらいことになってしまったという心持ちでした。」

 

師匠・立川志らくさんのご自宅は、家元・立川談志さんの家をリフォームしたものです。

談志さんの書斎は、今も当時のまま。

立川流の伝統は、大切に受け継がれています。

 

らく兵さんにとって、ここでの修行はかけがえのない時間でした。

 

(立川らく兵さん)

「クビになって落語は実際にしゃべる機会はなかった時も、落語を聞き続けたり、師匠が好きな映画を真似して観てみたり

そういうのを続けていました。」

 

(立川志らくさん)

「出禁になって戻ってくるやつはいないですよね(普通は)。

彼の場合は、クビにしようが謹慎にしようが亭号をとろうがなんだろうが、ずっとくらいついてくるという。

それは落語に対する愛情がどっかにあるから、ちゃんと。」

 

 

 

破門後も努力を重ね、1年後 落語家として復帰を果たしたらく兵さん。

何より、師匠の志らくさんからもらった言葉が、心の支えとなっていました。

 

(立川らく兵さん)

「師匠から、”こいつは落語に向いている”というのが(心の支えになった)。」

 

 

師匠・志らくさんに、らく兵さんの落語の魅力を聞いてみると―――

 

(立川志らくさん)

「普通の人間じゃない。極端な話、犯罪者じゃダメですよ、

 普通の真面目な、ちゃんとした人の話を誰がお金を出して聞きたいんだということですよね。」

「落語という本当に馬鹿馬鹿しい、くだらない、だけれども人間の心理をグッとついたような日本ならではの芸能なわけですから。

やっぱりそれを語るには、普通のやつじゃ面白くないんですよね。」

 

 

らく兵さんにとって、落語とは―――

 

(立川らく兵さん)

「命そのものですかね。落語があるから生きている。」

 

#25 柳田周作(神はサイコロを振らない)

お~い!元気しちょる?

23年9月6日(水) 20:00

柳田周作さん(神はサイコロを振らない)

 

 

今回の主人公、宮崎市出身の柳田周作さんは、

4人組のロックバンド「神はサイコロを振らない」のボーカル。

 

2020年にメジャーデビューを果たし、CMやテレビドラマの主題歌に起用されるなど、今注目のロックバンドです。

 

この日は、東京都内のスタジオで夏フェスに向けたリハーサル。

 

パソコンに向かってひたすら作業をする柳田さん。

一体何をしているのでしょうか―――

 

(柳田さん)

「ライブの時に生ドラムだけでは出せない音を、これで出すんです。

 ライブのセットリストをこれ(PC)で組んじゃうみたいな。僕の仕事は非常に地味です(笑)」

「やっぱり一番面白いのはライブで、曲作りに関しては、9割苦しい、1割超楽しいみたいな。」

 

 

バンドメンバーに、柳田さんについて聞いてみると。

 

(ドラム・黒川さん)

「責任感のある、変態ですかね(笑)」

 

(ギター・吉田さん)

「こだわりがめちゃくちゃ強い。曲とか”自分がこうだ!”と思うものにならなかったら死ぬほど追及する感じですね。」

 

 

音楽漬けの日々を送る柳田さん。

小学校時代の恩師・柴田先生は、最初に柳田さんの音楽を聴いたときは衝撃だったといいます。

 

(柴田さん)

「え?周作くんが歌っているの?っていうのがあって。

 そして、作詞作曲も柳田周作って書いてあったから、なんでこういう才能がある!?なんて。

 逆に僕も未熟だなと。1年間も担任しててね、(気付かなかったから)。」

 

 

「神はサイコロを振らない」は福岡の大学時代に出会った仲間と2015年にバンドを結成。

激しさと静けさの両極を呼応させるような楽曲が特徴。

そして何より気になるのが、このユニークなバンド名「神はサイコロを振らない」。

名前の由来を聞いてみると―――

 

 

(柳田さん)

「物理学者のアインシュタインが遺した言葉の中に”神はサイコロを振らない”という言葉があって。

 物理学上においてはすべて法則が必ずあって、そのもとに成り立っている。

 とはいえ、僕らの生きる世界はめちゃくちゃ偶然的なことのほうが多い。必然的なことよりも。」

「”神サイ”って略すなよ。”神はサイコロを振らない”っていう言葉だろ(と思うけど)。

 気付いたら自分からいうようになっていましたね、神サイって。(笑)長いんですよね、バンド名が(笑)」

 

メジャーデビューまでの道のりは、決して順風満帆ではありませんでした。

 

 

(柳田さん)

「音楽をやっている人のあるあるだと思うんですけど、”まず親に反対される”っていう。僕も割とそうで。

 福岡の九産大(九州産業大学)でこの4人が出会ったんですけど、別に音楽がやりたくて大学に行ったわけじゃなくて、

 たまたま大学に行って出会って、たまたまバンドやろうぜってなってここまで来てはいる中でも…

 大学をやめてまで音楽をしたいって僕が言い出して。親父とかも”バカも休み休み言え”という感じで言われて」

 

そんな当時、恩師・柴田さんの元に柳田さんのご両親から連絡がありました。

 

(柴田さん)

「(柳田さんの)お母さんから電話がかかってきて。”大学を辞めるっていうんですけど”っていう話で。

 やっぱり僕は最後まで貫き通してもらいたいという気持ちがあったんですけど、大丈夫かな~という気持ちはしてました。

 だから、お母さんやお父さんはもっともっと不安が大きかったんじゃないかなと思いますけども。」

 

メジャーデビューへの夢を抱き、柳田さんは大学を中退、音楽の道へ。東京へ向かった4人。

しかし、現実は厳しく。。。

 

(柳田さん)

「東京を拠点にして、地方のライブハウスをまわる日々だったけど、なかなか…全然…というか、くすぶっていた。」

 

さらに追い打ちをかけたのが、新型コロナの感染拡大でした。

 

(柳田さん)

「いよいよ終わったぞ(って思った)。」

 

コロナ禍でのライブ活動が制限されていく中、SNSで神サイの曲が話題になります。

 

 

♪夜永唄

 

恋人への想いをつづったこの曲が、コロナ禍の若者たちの心に刺さります。

 

(柳田さん)

「コロナ禍で、リモートでメジャー契約を結んだのは僕らが初めてだったらしいので日本で。

 だからそういう意味でも、一個の希望になれたのかな(と思う)。」

 

様々な逆境を乗り越えて掴んだチャンスでした。

 

そして、逆境のなか、柳田さんが掴んだものはもうひとつ。

 

(柳田さん) -Zeppツアーファイナル東京公演にてファンに向けて-

 

「最初は、普通に俺たちはかっこいい音楽をやりたくてバンドをはじめたんですけど。

 もちろんかっこいいは(これからも)突き詰めていきますけど。

 それでも僕らの音楽をやる理由は、今となっては、もう、みんなのためです。

 みんなが、明日から、またしんどい日々が始まるかもしれないけど、それでも、なんとか、転んで、転んで、躓いて、躓いて、もう立ち上がれなくなっても、そっと僕らが起こしてあげられるような、そういうバンドというか、あんまり頼りないかもしれないですけど、この4人をどうか末永くよろしくお願いします。」

 

神はサイコロを振らないの曲が、多くの人に知れ渡るきっかけとなった曲。

 

♪修羅の巷

 

今年、TBS系列日曜劇場「ラストマン -全盲の捜査官-」挿入歌に抜擢。

 

(柳田さん)

「自分の中で作ったハードルは多分今までで一番高かったんですよ。

 それでこれを超えるためには、”こんな曲じゃダメだ”というふうに何曲も何曲もデモを作って、

 なんなら1枚のミニアルバムができるくらい作った」

 

この曲には、これまで生きてきた柳田さんの人生への想いが込められています―――

 

(柳田さん)

「どっちかというと、こう、”弱い者の味方でありたい”というか。」

 

 

「僕みたいな人っていうのは、周りに人がいたり、メンバーがいたり、チームがいたり、ファンがいたりしないと、

 ずっと堕ちていく一方というか。弱者のための、”反撃ののろし”じゃないですけど。

 胸の内から湧き上がってくる『なにくそ!』みたいな気持ちは忘れないでほしいなっていう。」

 

 

”お~い!げんきしちょる?”

恩師・柴田先生から柳田さんに贈ったものとは―――

 

霧島焼酎と、宮崎マンゴー。

 

(柴田さん)

「宮崎を代表するマンゴーよりも、有名になってもらいたいという気持ちを込めて(マンゴーを贈った)。」

 

(”マンゴーを切った後、サイコロに見える”ということもありマンゴーを贈った柴田さん。)

 

(柳田さん)

「おやじギャグってことですか(笑)」

「(柴田さんは、)今は小学校の先生じゃなくて、お年寄りの方のサポートをしているということで。

 やっぱり、いくつになってもカッコイイなと思いますね。」

 

 

ロックバンド・神はサイコロを振らない

9月27日には、2ndアルバム「心海」をリリース。

そして10月には、初の海外ライブが決定!

 

♪illumination

 

世界への扉を開ける”神サイ”。

ふるさと宮崎への思いとは―――

 

(柳田さん)

「お世話になった家族だったり、特にじいちゃん、ばあちゃんは特に足が悪いんですけど、

 ライブハウスはちょっと大変なので、いつかは宮崎市民文化ホールに大切な人たちを連れていきたいなと(思っている)。」

 

宮崎のわけもんへ―――

 

(柳田さん)

「これ絶対僕が絶対言いたいのは、『あきらめないでほしい』!

 それは、頑張るとかではなくて、自分の可能性をあきらめないでほしい。」

 

「「若者は、夢を見るべきだと思います。」」

 

#24 NOBU(シンガーソングライター)

お~い!元気しちょる?

23年8月2日(水) 20:00

NOBUさん(シンガーソングライター)

 

東京・渋谷のライブハウス eggman

ここにいたのが、今回の主人公、小林市出身のNOBUさん。

 

 

 

(NOBUさん)

「1年ぶりのワンマンライブなんですよ。

 ワンマンライブってやっぱり特別な思いがあるので、まず初日である今日の渋谷を、

 宮崎の風をわーっと吹かせて、大成功したいと思います!」

 

NOBUさんは2012年にメジャーデビュー。

2017年には、「いま、太陽に向かって咲く花」で日本レコード大賞の新人賞を受賞しました。

 

(ファン)

「心に響きます」

「全部にメッセージ性が入っている」

「メッセージ性がすごくストレート」

 

(元ウェザーキングオーナー・玉井さん)

「言葉にしていることが等身大。それをロックでやっちゃうんだ~という(衝撃)。」

 

ジャンルにとらわれない自由な音楽。自分の想いを等身大の言葉でつづります。

 

(ライブハウス eggman 溝口さん)

「地方から出てきていることを隠したり、なにかちょっとだけ悲観的に思ったりするのんじゃなくて、

 『宮崎全開!』『宮崎です!』って常に言って。逆に、宮崎から出たことが彼の強みになっていたりとか。」

 

 

音楽人生を振り返ると―――

 

(NOBUさん)

「波乱万丈というか。希望を持って(上京しに)来たんですけど、なかなか鳴かず飛ばずで。」

 

メジャーデビューして2年後、所属レコード会社を契約解除されました。

 

(元ウェザーキングオーナー・玉井さん)

「(契約解除は)芸能関係では当たり前のことだと思っていたが、ピュアな彼にとっては初めてのことだからショックが大きかったと思いますね。」

 

さらに、病がNOBUさんを襲います―――

 

 

日々の心身の疲労から、「適応障害」「パニック障害」の診断をうけ、現在も病と闘っています。

 

(NOBUさん)

「常に緊張している状態のような身体になってしまって、眠れなくなってしまったんです。やっと眠れて、起きたと思ったらパニックになってしまって。」

 

それでも、大好きな歌を歌い続けてきました。

 

 

♪ひかり ~命の灯火~

“苦労は力に 悩みは知恵に 悲しみは優しさに変わる

 無駄なことなんて一つとなくて 乗り越えた先に光が差す”

 

 

(NOBUさん)

「同じ思いの方って絶対いるだろうなと思って、このタイミングでさらけ出そうと思って。

 SNSを通して、実は自分もパニックを持ってたり睡眠障害を持っていたりとか。

 そうやって言うことによって自分がライブで頑張って歌っている姿を見て、(同じ境遇の人が)『NOBUさんも頑張って歌っているんだったら、僕も私ももっと頑張れるかも』

 という思いになってくれたらという思いで(歌っています)。」

 

 

今回のワンマンライブには、大切な仲間たちが参加しています。

 

その1人が、WATARUさんです。

 

(WATARUさん)

「多分、音楽の神様が彼に宿っているんだなと思ってて。それぐらい音楽に対して、『音楽バカ』って自分でタイトルつけて(曲を)出しているくらい(熱量がある)。

 すごくリスペクトできるなと。」

 

 

そして、ワンマンライブでは こんなサプライズも―――。

 

突然の音楽とともにステージ袖から出てきたのは、35歳を迎えたNOBUさんの誕生日ケーキ。

 

 

さらに、手話を使ってダンスを踊るNPO法人、舞はんど舞らいふの皆さんも登場!

舞はんど舞らいふ は、全日本選抜レスリング選手権でNOBUさんの曲を使用したダンスを披露しました。

 

(NOBUさん)

「(舞はんど舞らいふは)もうすっごいエネルギッシュで。耳が聞こえていないメンバーも何人もいる中で、しっかりと合図を出す。」

「逆に僕が勇気をもらって。自分がどんな上京であっても、希望を持ってやっていればこんなに人って輝けるんだと。」

 

 

そんなNOBUさんの楽曲で、今、SNSで人気沸騰中の曲があります。

 

♪たのしみなさい。

 

末期がんと闘う父にささげた曲です。

 

(NOBUさん)

「やっぱり僕、田舎に誇りが持てなかったんですよ。ずっと。」

「小林市っていうド田舎に生まれて・・・。

 地元の後輩たちに、『関係ないから!』って。『大自然の小林市 宮崎県に生まれたからこそ、こういう歌詞やメロデイー・思いが生まれたんだぞ』と。みんな田舎だからって、自然だからって、絶対にバカにしちゃいけない。こんな田舎でも、絶対に夢ってかなえられるんだなとか、こんな田舎から僕も私も世界へ羽ばたいていこうって思ってもらえたら。」

 

「宮崎をもっともっともっともっと、盛り上げていきましょう!!」

 

 

♪たのしみなさい。

 

“困難を挫折をたのしみなさい
 人生の全てをたのしみなさい
 最後の最後に咲かせなさい

 

 「あなたを産んで良かった」と


  僕を生んでくれてありがとう。

 

#23 明利英司(ミステリー作家)

お~い!元気しちょる?

23年7月12日(水) 20:00

明利英司さん(ミステリー作家)

 

東京・大手町にある紀伊國屋書店。

店内を奥に進んでいくと・・・

 

ここに、本日の主人公、明利さんが手がけたミステリー本がありました。

 

 

 

(明利さん)

「町のお魚屋さんが舞台になって、それにミステリーを絡めているという、

 ちょっと特殊な、お魚ミステリーと呼ばれるジャンルになっています。」

 

 

明利英司さんは、都城市出身。

2013年に、ミステリー文学新人賞で優秀作となり、

翌年、小説家デビューを果たしました。

 

これまでに8作の小説を出版。

5作品目の小説「憑きもどり」は2018年に映画化されました。

 

 

 

今回の出版本について、関係者に聞いてみると―――

 

(紀伊國屋 店長)

「特徴としては、ご本人の優しい人柄が出ています。ミステリーなのに優しい。

 人を傷つけないんですよ。唯一無二のミステリー小説だと思います。」

 

(出版社 編集担当)

「私が担当した作品の中で、人が亡くならなかったのは、この作品が

 初めてかなというぐらい。」

 

(明利さん)

「(編集担当は)普段厳しいんですよ。とにかくやり取りが多い。

 小説家が1人でぱっと書いてというのはめったにないことなので、打ち合せを積み上げていってようやくお店に並ぶ。ここにくるまでが一番大変。」

 

 

明利さんは、本を出版すると、必ず宮崎の恩師の元へ贈ります。

 

(恩師)

「私宛にサインをして、ぜひ読んでくださいと持ってくるんですよ。」

「まさか小説家になるとは思っていませんでしたね。」

 

 

明利さんの自宅へお邪魔しました

 

明利さんの作家活動に欠かせないのは、携帯電話。

 

 

携帯電話に文字を入力し、書き溜めたものが小説になります。

 

(明利さん)

「パソコンはあることはあるんですが、私自身苦手なので、(やはり執筆のメインは)携帯端末ですね。」 

「今でこそスマートフォンを使っていますけれど、つい先日(5月)までガラケーを使っていました。」

 

 

明利さんは高校を卒業後、東京の専門学校へ。

卒業後、アルバイトをしながら執筆活動をはじめました。

 

つらい時期もありましたが、中学時代の塾の恩師のエールが心の支えとなり、小説家デビューを果たすことができました。

 

(明利さん)

「(恩師は)デビュー前とか、”東京で1人でふらふらやっていますよ”と言っても、それでいいよと言ってくれるんですよね。”ちゃんとしっかりせんか!”ではなく。人の気持ちを考えながら大人目線のことが上手に言える人ですね。頭が上がらないですね。」

 

(恩師) 

「彼の良い性格が、本の中にも垣間見られていますね。」

 

 

実は明利さん、”3つの顔”を持つ、ミステリー作家なんです―――

 

 

(出版社 編集担当)

「作家には多才な人が結構多いんですが、(明利さんは)その中でもちょっと異色なんですよね。」

(紀伊國屋 店長)

「三刀流・・・というのかな。」

 

3つの顔。もちろん、1つ目は作家としての顔。

2つ目の顔とは・・・

 

向かった先は、東京・渋谷。

 

 

明利さんは、作家仲間と一緒にアマチュアバンドを組んでいます。

ボーカルは、40万部を超えるベストセラー作家の岡崎琢磨さん。

 

バンド結成の理由をきいてみると・・・

 

(明利さん)

「作家同士のお食事会で(岡崎さんと)偶然一緒になって。バンドを組んでいることが奇跡みたいなものです。」

 

(ドラム担当 ※公認会計士)

「普段は友達だったり、メンバーとして接しているが、本を読むと別人のよう。同じ人物が書いているとは思えない。そこはメンバーの特権だなと思います。」

 

今回出版された本の帯は、バンドメンバーの岡崎さんが書いています。

 

(岡崎さん)

「今回の作品もずっと書いているのを聞いていたが、なかなか刊行に至らなかったので、いつ出るんですかってずっと聞いていた。満を持して今回出版ということで、そこに帯で僕の名前を出してくれたのは非常に光栄でしたね。」

 

 

 

3つ目の顔は―――

 

 

明利さんは、無類の魚好き。好きすぎるあまり、独学で寿司の技術を学び、2020年に『居酒屋 明利』をスタートさせました。

 

好きな営業日に、キッチンとカウンターを借りられるシェアレストランで営業しています。

(明利さん)

「普段はフランス料理をしている店舗で”間借り営業”をおこなっています。」

 

寿司ネタはもちろん宮崎どれ。

主に日南市 目井津漁港から仕入れています。

 

(常連客)

「(寿司に)毎回ビックリさせられています。」

「(明利さんは)本当に多才な方。小説も書いて音楽も出来てお寿司も美味しくて。

 本当にすごい方だなと思います。」

 

(明利さん)

「魚だけでなく、醤油や味噌もすべて地元産にこだわっています。」

 

 

『元気しちょる~?』の想いを込めて。地元の恩師から東京の明利さんへ―――

 

(明利さん)

「宮崎の人で霧島焼酎もらって嬉しくない人、いないと思いますよ。

 おそらく、お酒が飲めなくても嬉しいんですよ。私は料理にも使いますからね。」

「応援してもらった分、宮崎・都城に恩返ししていきたいなと思います。」

 

明利さんの、今後の目標は?

 

(明利さん)

「小説家・寿司屋・音楽この3つを今やっているわけですけれど、これらの知名度を今後もっとあげていきたですね。

 みなさんの応援あってのことだと思いますので、この3つをもっと育てていきたいと思っています。」

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