お~い!元気しちょる?

#17 馬場健(華道家・同志社大学 経済学部3年)

お~い!元気しちょる?

23年1月11日(水) 20:55

馬場健さん(延岡市北浦町出身・21歳)

 

 

今回の主人公は延岡市北浦町出身。

11年前 ひかり児童館でその“道”に出会いました。

 

その道とは・・・『華道』。

 

主人公の師匠である華道家元池坊の夏田勝子先生。

お弟子の主人公はどちらで何を?

(師匠・夏田勝子さん)

「京都の大学に行って、“イケノボーイズ”になっています。」

 

“イケノボーイズ“とは?

 

主人公に出会うため京都へ・・・。

聖徳太子が587年に創建した「六角堂」。

ここ、六角堂は『華道発祥の地』敷地の中に池坊会館があります。

この建物の中で華を生けてる方が今回の主人公、馬場健さん。

 

馬場さんは宮崎の第一高校を卒業し現在同志社大学の3年生。

大学の学業とは別に『華道』を学んでいます。

 

華道の魅力は?

(馬場健さん)

「1ミリ動かしただけで作品全体が変わってしまう所が、難しさでもあり魅力なのかなと思いますね。」

 

 

少しだけ“華道の基本”を教えてもらいました。

 

(馬場健さん)

「やっぱり水際(花器から花が立つ部分)っていうところがあるんですけど、そこが重要になってきて、正面から見た時に水際が綺麗であることが1つの掟というかルールみたいな感じで。花はもうあからさまに角度があるので、向きによって印象が変わってくると思ってて、蕾もどうやって生かそうかなってことは考えながら生けてますね。」

 

京都に来てからは、池坊華道会の徳持拓也先生の指導を受けています。

『先生の指摘を理解し実行する』この繰り返しで上達するんだそうです。

 

先生に馬場さんのことをお聞きしました。

(先生・德持さん)

「21歳の男性でここまで江戸時代中・後期からうまれてきたこの形を工夫しながらまとめていける力があるというのは、大した者だと思いますね。」

 

(馬場健さん)

「これからの稽古で自然と手が動くようになるまで頑張っていけたらなと思ってます。」

 

しかし、なぜ小学3年生の時に華道を始めようと思ったのか...。

(馬場健さん)

「ただ何となくやってみたいなっていう直感なのか分からないんですけど、自分でやってもちょっと不格好な感じになってしまうんですけど、先生がちょっと動かしただけで作品全体が変わっていって、“わーすごいな!魔法使いみたいだな”と思って魔法みたいだなと思ったときにその花の魅力だったりとか、ワクワクしたのを今でも覚えてますね。」

 

っと、ここで思い出すのが夏田先生の一言。

 

「イケノボーイズになってます。」

 

イケノボーイズとは・・・?

(馬場健さん)

「(花を)いけるメンズでイケノボーイズ。“いけメングループ”と言われるやつなんですけど...」

 

【IKENOBOYS(イケノボーイズ)】

元池坊に所属する全国の若手華道家から選抜され結成されたユニット。

馬場さんは2年前からそのメンバーに!

 

IKENOBOYのイベントが開催されました。

場所は京都、舞台は・・・“清水寺”。

陶芸家集団「うつわ男子」とのコラボ企画です。

陶芸家が造った器にあわせてIKENOBOYが花をいける展示会です!

 

馬場さんの作品は“青色の器から深海をイメージ”して生けたんだそう。

 

今回のイベントの一番の見どころは経堂の縁側での生け花パフォーマンス!

陽が落ちてライトアップする中、多くの観客の前で花を生けるのです。

 

 

舞台が舞台なだけに流石に緊張しそう・・・。

 

(馬場健さん)

「まぁ緊張するんですけど、華道してると集中力がすごく高まる瞬間があるなって思って、いて、その瞬間に入れば緊張はなくなると思います。舞台に上がる前が一番緊張するのかなと。」

 

陽が落ちていよいよ本番!

多くの観客が見守る中、イケノボーイズが花を生けます

 

今回は3人でのパフォーマンス。

馬場さんのことを他の2人は?

 

(イケノボーイズメンバー)

「僕は大人になってから生け花を始めたタイプなんですけど、やっぱり小さいころから生け花を習っていた彼は、心もやっぱり穏やかな感じがして素敵な青年だなと思います。」

(イケノボーイズメンバー)

「普段の素振りや性格もすごく優しいので、その優しさが作品にも現れていると思います。」

 

10分間という短い時間で集中して美しい形を作り上げていきます。

多くの見学者が注目する中・・・完成!!!

 

 

馬場さんの優しさが夜の清水寺に美しく映えます。

 

いかがでしたか?

(馬場健さん)

「すごい緊張する舞台でした。でも先ほど言ってた、すごい集中力に入れたので楽しくやれたかなって思ってます。」

 

弟子の活躍に師匠は?

(師匠・夏田勝子さん)

「嬉しいわぁ~。宮崎県はおらんからこういう活躍している人はね。池坊の支部の先生たちが凄く喜んでくれてます。」

 

師匠・夏田勝子さんから馬場健さんへ

「健くん!あなたの頑張りが私の力になってます。京都でも自分がの好きなような花を生けてください。よろしくお願いしま~す!」

 

馬場健さんから師匠・夏田勝子さんへ

(馬場健さん)

「僕がもっともっといい作品を生けていくので、生で見られるように長生きして欲しいなと思います。」

#16 中武兄妹(ラグデザイナー)

お~い!元気しちょる?

22年12月7日(水) 20:55

中武薫平さん(宮崎市出身・27歳) 中武千友梨さん(宮崎市出身・24歳)

 

東京・台東区にあるビル。

ここに主人公たちのアトリエがありました。

 

今回の主人公 中武薫平さん27歳 そして妹の千友梨さん24歳。

中武兄妹が作っているのがお洒落なマット “ラグ”。

 

どうやって作っているんでしょうか?

(兄・中武薫平さん)

「布に手持ちのミシンみたいな機械なんですけど、

 これで糸を打ち付けてラグするっていう方法ですね。」

 

ラグの発祥は北アフリカのモロッコ。

若い女性に人気を集めているお洒落アイテムなんです。

 

 【タフティングガン】と呼ばれる電動工具で生地に糸を打ち込むと表はこんな感じに!

これを型とってラグを完成させます。

 

(妹・中武千友梨さん)

「本当に自分が描いた絵がこうやって立体にフカフカのラグに出来上がるっていうのが一番面白いところだと思います。」

 

薫平さんは約1年前にオリジナルのラグを作る『タフティングスタジオ毛毛』をオープン。

現在スタッフは15人。

オリジナル商品を制作しながらラグ作りが体験できるワークショップも行っています。

デザイナーとしての評価も高い薫平さん企業からのオーダーラグも制作しています。

 

(兄・中武薫平さん)

「PIZZA-LAさんからの依頼で作ったピザの実寸大のラグです。糸を混ぜて打ってるんですけど、よりベーコンとかチーズがリアルになるように色を決めるのが大変でした。」

「これは去年のクリスマスに作ったターキーラグです。」

(妹・中武千友梨さん)

「本当にこれはできる人いないんじゃないかっていう難しさです。」

 

繊細かつ鮮やかな色は“80種類”の糸を組み合わせて表現するんだそうです。

 

(兄・中武薫平さん)

「糸を混ぜることで、ちょっとしたグラデーションを表現する事ができます。

 絵具を混ぜるのとちょっと似てて糸を混ぜて色を作っていくって感じです。

 さっきのチキン(ターキーラグ)に関しては、糸が10色から15色ぐらい。

 焦げや照り感の再現にはこだわりましたね。」

 

こうした技法で県のシンボルキャラクター”みやざき犬”やハロウィンの時には”パンプキンマスク”もラグで制作しました。

その斬新なアイデアとデザインはSNSでも大人気!なんだそうです。

 

スタッフに中武兄妹のことを聞くと・・・

(スタッフ)

「すっごい仲良しです。しゃべらなくてもお互いに思ってる気持ちが分かち合っているという不思議な…」

(妹・中武千友梨さん)

「そうなんじゃないかなぁと思ってます。

 薫平さんは難しいので、みんなの仲介役を私がやってます。」

 

薫平さんは宮崎大宮高校を卒業後、多摩美術大学に進学。

その後スポーツアパレルメーカーでデザイナーとして働いていました。

 

なぜラグ作りを始めたんですか?

(兄・中武薫平さん)

「最初趣味で(タフティング)ガンを海外から輸入して趣味でやってた時に、今パートナーシップを結んでいる【MIYOSHI RUG(大手ラグメーカー)】の代表から連絡がきて、一般の人にもワークショップやりませんか?みたいな話になって会社になったって感じです。」

 

そのころ千友梨さんは大学を卒業して都内の広告代理店で働いていました。

 

(妹・中武千友梨さん)

「その新卒で入った会社で、あぁー辛いなって思って一ヵ月休職したんですね。休職のタイミングで丁度このワークショップのプレオープンみたいな感じで、休職1日目からここに来て手伝いをしてて“ここで一緒にやろうかな”って」

 

(兄妹が)東京で一緒に仕事をしていることについて両親は?

(母)

「まさかまさかのことでした。本当に。」

 

兄妹で良かった面は?

(兄・中武薫平さん)

「仕事が頼みやすいとこはありますね。」

(妹・中武千友梨さん)

「薫平さんをみてて、こう思ってるんだろうなぁはなかなか分からないんですよ普通の人だったら。でも私はそれが分かるんで、そういうことは兄妹っていう感じですね。」

 

デザイン全般を手がける薫平さん。

子どものころから独創的な絵を描いていました。

 

(父)

「色使いが独特で、見たどおりの色を使わずに自分が感じたカラフルな色を使ったりとか。」

(母)

「学校の先生から“空を青で塗りなさい”と言われたことにすごく彼は何でだ?って思ったみたいで。」

 

(兄・中武薫平さん)

「(絵を描くのは)楽しかったんだと思います。」

(妹・中武千友梨さん)

「(薫平さんは)自分にしかできないことをやりたいんです。ずっとそのことしか頭が働いていない。人にはない考え方が頭にあっていろんな人が発見しないことを頭で考えてる。」

 

そんな薫平さんに【わけもん!!】のラグを作ってもらうことに!

 

(兄・中武薫平さん)

「ポイントはロゴの再現度ですかね。平仮名の文字の再現度が難しいかなと思います。」

 

まずはプロジェクターで投影し下書き。

下書きが完成するとタフティングガンで糸を打ち込んでいきます。

果たしてどんなラグになったんでしょうか・・・!

 

完成品はこちら!難しいと話していた“わけもん”のロゴも立体的に表現。

背景も鮮やかな色使いでお見事です。

 

宮崎の家族から東京の薫平さん・千友梨さんへ

(父)

「東京で頑張っているようですね。あんまり一生懸命なりすぎないように頑張ってください。」

(母)

「二人で支え合って仲良くこれからもやっていってくれたら、お父さんお母さんも嬉しいです。」

 

(妹・中武千友梨さん)

「めちゃくちゃ宮崎が大好きで、このラグを通じて宮崎でもイベントしたいなってずっと話してて、出張ワークショップとかしたいなと思ってます。」

 

ご両親へ

(兄・中武薫平さん)

「千友梨さんと二人で、そのほかの東京のメンバーのみんなと一緒に東京で頑張っていきます。」

(妹・中武千友梨さん)

「これからも応援しててね!元気でね。」

#15 日髙沙耶(ハープアーティスト)

お~い!元気しちょる?

22年11月16日(水) 20:55

日髙沙耶さん(国富町出身・25歳)

 

東京・世田谷区にあるライブハウス。

 

今回の主人公は ハープアーティストの日髙沙耶さん。25歳、 国富町出身。

音楽イベントやSNSでのライブ配信などを中心に活動しています。

 

ライブのリハーサルからお邪魔しました。

この日は新曲を披露するライブ。

♪『オフィーリア』

 

沙耶さんの音楽スタイルはハープ奏者では珍しい“ハープの弾き語り”。

 

(日髙沙耶さん)

「ハープの弾き語りってまだメジャーではないんですけど、自分の唯一のモノが欲しくて今の形に私はたどり着いたので...

 ハープってこういう曲もいけるんだ!みたいな感じで楽しんでもらえたらなと思います。」

 

意外なジャンルにも挑戦!

♪『Endrollを笑って観たい』

 

 “ラップ”を取り入れた楽曲なども。

 

(日髙沙耶さん)

「ハープらしさというかクラシックの楽曲とかを考える人が多いんですけど、

 その固定概念を外すっていうことでハープらしくない曲を作ろうというので、

 (ハープと)一番遠そうなラップを選びました。」

 

(観客)

「とにかく多才ですね。なんでも音楽を自分のモノにしちゃう。」

「ラップとかも取り入れててすごく新しいジャンルだなって。」

 

ハープの可能性を追い求める沙耶さん。

大学進学を機に上京し現在東京郊外で一人暮らし。

 

ハープを始めたきっかけは?

(日髙沙耶さん)

「始めたのが10歳なんですけど、4、5歳くらいからハープが身近にあったので...」 

 

きっかけは叔母の古賀鈴子さん(ハープ奏者)

 

(叔母・古賀鈴子さん)

「私が出ているイベントに一緒に出て、ハープを伴奏に歌ったり踊ったりそういうのをさせてました。」

 

幼いころから音楽が大好きだった沙耶さん。

ハープにあわせて歌う内に自らも演奏するようになったといいます。

 

宮崎ではどんなハープ活動をやってたんですか?

(日髙沙耶さん)

「MRTmiccの会場で子ども音楽祭っていうのがあって、それに毎年出たり、

 ストリートでライブみたいなことをしたり、いろんなところで活動してたと思います。」

 

しかし当時はミュージシャンになろうとはハッキリ決めていなかったんだそう。

そんな沙耶さんの背中を押したのは・・・叔母の鈴子さん。

 

(叔母・古賀鈴子さん)

「どうしたいの?って聞いたら『本当は音楽が好きだけど音大はお金がかかる』『親にも迷惑かけるから』という話をしていたんですが、本当に音楽がすきならそんなことを考えずに音楽の道に行ったらいいんじゃないの?という話はしたことがあります。」

 

そして、沙耶さんのお母さんも・・・。

 

(母)

「本人も迷ったんじゃないかと思うんですよ。

 でも本当周りも音楽家が多かったので、本人がそう言うならもう仕方がないかなと思って、なのであとは応援しかないかなというところでしょうかね。」

 

(日髙沙耶さん)

「自分の将来のこととかはわりと選ばせてくれる育て方をしてくれた。

 今音楽活動が出来ているのも母のおかげなので、“母親として尊敬”しているというか。」

 

国立音楽大学へ進学しクラシックの基礎を学んだ沙耶さん。

大学卒業後はエンターテイメントの専門学校に入りボーカルを学びました。

 

曲作り(作詞作曲)はすべて自分で行っています。

作業部屋は自宅と同じマンション内にある防音ルーム。

作曲はハープそしてパソコンを使って行います。

 

自分で曲を作れることがハープ奏者としては大きな強みだと叔母の鈴子さんは話します。

 

(叔母・古賀鈴子さん)

「クラシックは書いてある譜面をそのまま演奏することが多いので、(曲を)作り出す力をハープの演奏に生かして、新しいいろんなタイプに音楽をまたハープを使って演奏してくれるのがうれしいし楽しみです。」

 

曲作りのモチーフは・・・

(日髙沙耶さん)

「ヨーロッパとか北欧とかの海外の伝承をまとめた大きい本を小さいころからずっと噛りついて見てたので、そういうの(海外の伝承)を思い出しながら曲の題材にしたりとかはあります。」

 

ハープに魅了され10年。

10月には初のミニアルバム「Day dreaming」を制作しました。

更にイベントの出演やライブ配信など幅広く活動しています。

 

これからどんな曲を作っていきたいと思っていますか?

(日髙沙耶さん)

「昔のおとぎ話や伝承と現代の人たちをかけ合わせたような曲に私としては挑戦していきたいというところではあるので、そういう曲をどんどん出していけたらなと思っています。」

 

 

宮崎の家族から東京の沙耶さんへ

 

(叔母・古賀鈴子さん)

「これからの演奏活動頑張ってね。応援してます。」

(母)

「体に気をつけて、たくさん食べて、元気で頑張ってください。」

 

宮崎の家族へ

(日髙沙耶さん)

「アーティストとしてたくさん活動していきたいと思っているので、ぜひ私のことを応援していただけると嬉しいです。お互いに元気で頑張っていきましょう!ありがとうございます。」

#14 いぬ(お笑いコンビ)

お~い!元気しちょる?

22年10月5日(水) 20:55

いぬ(お笑いコンビ) 有馬徹さん(宮崎市出身)太田隆司さん(宮崎市出身)

 

東京・渋谷 センター街にある吉本の劇場で行われていたのは、

若手芸人たちによる“お笑いライブ”。

 

今回の主人公の2人も、このライブに出演していました。

お笑いコンビ『いぬ』の有馬徹さんと太田隆司さん、2人とも宮崎市出身です。

 

2010年結成。コントを中心に活動する今大注目のお笑いコンビ

独特な世界観をもつ『いぬ』のコント。癖になる人も多いんだとか。

 

今日(ライブは)いかがでした?

(いぬ)

「いや~もう楽しくやれました!」

(有馬徹さん)

「今日のお客さんはすごく笑ってくれるお客さんで、僕らのネタ的に悲鳴があがることが多いので。密着取材来るのにめちゃくちゃ変なネタやっちゃった・・・」

 

実はこの2人・・・

彼らは今年の【キングオブコント2022ファイナリスト】。

今年日本一を決める大舞台に立ちます!(10/8放送)

 

(太田隆司さん)

「キングオブコントを目指してずっと13年間やってきたんですけど、“本当に行けるんだ”という“まさか”という感覚で」

(有馬徹さん)

「本当にあるんだ!決勝戦!っていう。

 決まった瞬間は口外できなかったんで、親や周りには(言えなかった)。

 “みんなに早く言いた~いっ!”って声が・・・」

 

(太田隆司さん)

「準々決勝でここ5年ぐらい負けてすべってるんですけど、

 準々決勝でウケたときに僕はもしかしたら(決勝に)行けるかもって思いました。」

 

クセが強めな2人のコント

コンセプトは?

(有馬徹さん)

「セリフというか僕ら絵面で笑かすことが多いですね。」

 

ネタはどちらがされているんですか?

(有馬徹さん)

「ネタは2人で作ってるんですけど、僕が設定を持ってきて

 太田に判別してもらうという感じですかね。」

(太田隆司さん)

「僕セリフ覚えがめちゃくちゃ悪いんで、

 言葉できるだけ無いようにしてもらってます。」

 

2人は宮崎北高校の同級生

お互いの第一印象は?

(太田隆司さん)

「初めて会ったときは、僕がラグビー部に入りたいなぁと思って、ラグビー部に行ったら誰もいなかったんですよ。みんな外でランニング中で、どうしようかなぁと思ってたらちょうど有馬がきて“入りたいの?”みたいな。一緒にランニングやろっかってなって、二人でランニングしたんですよ。そしたら有馬が“こっち近道だから”って竹ヤブに入って行ってついていったら、どんどん険しい山の奥に行って表情もだんだん曇ってきて絶対迷ってるなと。1時間歩いても出口が見えないから、“僕に任せて”と言って僕が歩いたらすぐ県道に出られて。

その時に“(有馬は)ちょっと抜けてる人”だなって思いましたね。」

 

逆に有馬さんは太田さんへの第一印象は?

(有馬徹さん)

「もうマイペースっていう印象ですね。ラグビーの試合に負けて悔しくて、他の高校のラグビーの試合見に行ってるのに太田だけ別なグランドの野球見に行ってたり。」

 

しかし、部活は真面目に取り組んでいたといいます。

 

(高校ラグビー部の監督)

「選手としては非常に小柄だったんですけど、2人ともフォワードでまわりは大きい子ばかり揉まれてやっていたんですけど、太田君は7番フランカーで真っ先にディフェンス行ってとか非常にファイト溢れるプレーしていたと思います。有馬君の方はスターティングメンバーとしては出る機会はなかったんじゃないかなと思いますけど、(有馬君と)同じフォワードでしぶとく渋いプレーをしていた選手でした。」

 

ラグビーをやっていて今に活きる経験はありますか?

(太田隆司さん)

「度胸というか、“ここいっとかないと”っていうのはありますのね。」

(有馬徹さん)

「僕はずっと補欠だったんですけど、“もうこんな想いはしたくない”という気持ちで、

 お笑いとかは補欠じゃなくてど真ん中いってやろうって気持ちはあります。」

 

高校時代も学園祭などでネタ披露をしていたという2人

芸人を目指したきっかけは?

(有馬徹さん)

「M-1甲子園っていう高校生のM-1バージョンに僕ら出場して全国大会まで行ったんですよ。全国大会は“なんばグランド花月”だったんですけど、やっぱりそこに立った時の着席の景色を忘れられないよね。快感といいますか...」

 

高校卒業後、一度は大学へ進学するも共に中退しお笑いの世界へ!

今年で結成13年目。

バイトを掛け持ちしながらお笑いを続けています。

 

太田さん(ジムのトレーナーを)週何回やられているんですか?

(太田隆司さん)

「週1、2くらいですね。」

 

このバイトのおかげで“キレッキレの筋肉!”

(太田隆司さん)

「まだ絞りきれてなく、今オフシーズンなんですよ。

 ここからキングオブコントに向けて。」

 

有馬さんもお笑い以外の仕事をしている?

(有馬徹さん)

「たまーに昆虫系の仕事が来たりします。昆虫大好き芸人みたいな仕事はありますね。」

(趣味:カブトムシ・クワガタ飼育)

 

今お2人はお笑いだけでやっていけてる感じではある?

(有馬徹さん)

「いやー全然です。」

(太田隆司さん)

「バイトの方がメインですね。(バイトは)ほかにウーバーイーツをやってますね。」

 

ゆくゆくはみたいなことはあります?

(太田隆司さん)

「そうですね。バイトを辞めるのが一つの目標だったんで、

 (キングオブコントの)決勝行って辞めたいと思います。」

 

この日は2つのライブに出演

テレビの仕事も少しずつ増えてきました。

 

芸人仲間たちもキングオブコントの決勝進出を喜んでくれています。

(後輩芸人)

「全芸人がみんな喜んだファイナリスト。(スマホ)待ち受けはいぬさんですからね。

 運気が上がるという噂があって。」

 

同居の先輩芸人からも

(有馬徹さん)

「とろサーモンさん2人とも宮崎出身ですごく良くしてもらって」

(太田隆司さん)

「久保田さんとは仲良くさせてもらってて、僕らが決勝決まったときにもLINEで“おめでとう!宮崎人としてかましてやれ”って。ジェラードンのかみちぃさんとは同い年で、わけもん!!さんにも一緒に出させてくださいみたいにTwitterでもつぶやいてくれまして、愛を感じます。」

 

それではキングオブコント決勝への意気込みを一言!

(有馬徹さん)

「僕ら無名の芸人が面白いってことを証明できる場所だと思うんで、

 きっちり証明してやりたいと思います。」

(太田隆司さん)

「ここに来る13年分を全部ぶつけてやりたいと思います。」

#13 杢元良輔(少年チアチーム「HEROES」代表)

お~い!元気しちょる?

22年9月7日(水) 20:55

杢元(もくもと)良輔さん(33歳・宮崎市出身・少年チアチーム「HEROES」代表)
東京都・港区にある赤坂小学校。こちらの体育館に今回の主人公の姿がありました。
杢元(もくもと)良輔さん宮崎市出身。
 


少年チアリーディングチーム「HEROES」の代表を務めています。
全国では珍しい男子だけのチアリーディングチーム。

女性チームとの違いは?
(杢元良輔さん)
「(女性より)筋力があるので、跳ばした高さが高いだったりとかジャンプとかもダイナミックな動きがある。その分ちょっと女性と比べると荒々しかったり...良くも悪くも。」

2017年に結成された「HEROES」
メンバーは小学生から高校生までの18人
美しいフォーメーションにアクロバティックな技が特徴

しかし、なぜ男子だけのチアチームを立ち上げたんですか?
(杢元良輔さん)
「女の子たちのチアがたくさんある中で、その中にぽつぽつと男の子たちがいたりするのをみいてて少し肩身がせまそうというのがあったので、じゃあ男子みんな集まれということで練習会をやったのが始まりで、体験会を定期的にやっていたらメンバーもある程度固まってきたので、ちょっとチームにしてみようということで少年チアチームとして立ち上げた。」

チアリーディングで大切な事は・・・
(杢元良輔さん)
「タイミングですね。それが合わないと力が分散しちゃうので、しっかり集まらないと(上に)ちゃんといかないんですよね。」

練習は週に1度。メンバーの個性を活かしながら信頼関係を築くことを心がけています。

良輔さんはどんなコーチですか?
(チームメンバー少年たち)
「優しくて、ダメなところがあったら言ってくれるいいコーチ。」
「にぎやかで、いいひとです。」
「もともと”ショッカーズ”で活躍なさってたので、チアをやっている人からは神の領域です。」

「SHOCKERS(ショッカーズ)」は、早稲田大学男子チアリーディングチーム。
その演技に心打たれ、(良輔さんは)チアの世界に入りました。


 
(杢元良輔さん)
「宮崎ではほとんど見たことなかったので、女性がやってる“ファルコンズ”というチームがあるんですけど、女性のチームの演技でまずド肝を抜かれましたし、さらにチアを男子だけでやっているというところにもうこれしかないなという感じで...すぐもう(チームに)入れてくださいというかんじでした。」

チアを始めた兄について弟の主将さんは・・・
(弟・杢元主将さん)
「えっ?って思いましたね。ん?チア?みたいな感じにはなりましたね。僕も兄もそうなんですけど、高校までずっと野球をやってきて、チアリーディングという競技になじみはあまりなかったんで、しかも男性のチアも知らなかったんで・・・」

早稲田大学のチアチーム「SHOCKERS」ではキャプテンも務めた良輔さん。
2009年には、日本代表としてチアリーディングの世界大会にも出場!
見事!優勝を果たしました。

(杢元良輔さん)
「16人いて、そのうちの1人でしかなくて、主力でも何でもないんですけど、憧れていた日本代表の演技があったので、日本代表に自分が入っているのが不思議な感覚がありました。」

チアに励む兄の姿について
(弟・杢元主将さん)
「かっこ良かったですし、(チアの演技が)衝撃的でしたね。初めて見る演技で。」
 


チアリーディングに励む兄の姿をみて、弟の主将さんも大学に進学後、チアリーディング部に入りました。

(杢元良輔さん)
「いやーもう驚きましたね。割と(弟は)引っ込み思案というか、逆立ちとかやらせてもあんまり怖がってやらないタイプだったので本当に驚いたんですけど、嬉しかったですね。」

バク転やバク宙などアクロバティックな演技が特徴の男子チアリーディング。教えている子供たちにも勇気をもって己の限界を超えていく喜びを感じてほしいと言います。

(杢元良輔さん)
「男子チアって、一歩踏み出す勇気がないとなかなかやれないスポーツだと思うんで、その
一歩を踏み出してきたメンバーたちがやってるということがパフォーマンスの中に反映される部分があるんじゃないかなぁと。その辺を楽しんでいただけるといいのかなぁと思いますね。」

“男子チアの魅力を広めたい”
その思いから2022年4月「HEROES」の宮崎チームを立ち上げました。
指導しているのは・・・弟の主将さん

兄弟でチアの指導できることについて
(弟・杢元主将さん)
「嬉しです。兄も東京で頑張ってることも知ってますし、宮崎でやりたいともずっと言ってたんで。教えることもそうですし、僕自身がまたチアに関わるということがものすごく新鮮でワクワクしてます。」

立ち上げて間もない「宮崎HEROES」
メンバーはまだ2人ですが、一生懸命練習しています。

(弟・杢元主将さん)
「何もできなかった子がバク転とかできるようになって嬉しいですし、何より可愛いですね。」

東京と宮崎2つの「HEROES」

これからの目標は?
(杢元良輔さん)
「一応テーマとして掲げているのは、爽やかな青少年育成と地域貢献というのを掲げているので、今東京のチームがイベントとかで盛り上げるのに一役買えてるなっていう自負ができたので、そのまま宮崎でもやれたらいいんじゃないかなという気持ちがあります。」

(弟・杢元主将さん)
「今こうやって東京は男の子だけでやっていて、宮崎では女の子も入ってきてくれているので、いずれは男女でチームを分けられるまでメンバーが増えてくれたらとうれしいです。」

(杢元良輔さん)
「(東京と宮崎)実は同じ曲とか同じ振付けで練習をやってるんですね。だから『じゃぁ今から集合』と言ったらたぶん(同時に)出来ちゃうんですよ。それがどっかのタイミングで東京と宮崎の両チームが一緒にできるのを楽しみっていうのはあります。」
 

 
宮崎の「HEROES」から東京のメンバーへ
(弟・杢元主将さん)
「東京HEROESのみんな!コロナが落ち着いたら宮崎でぜひ合宿しましょう!」

杢元良輔さんから宮崎のメンバーへ
(杢元良輔さん)
「主将コーチ、宮崎HEROESのみんな!いつか一緒にイベント・練習できるようにお互い頑張っていきましょう!」


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