お~い!元気しちょる?

#13 杢元良輔(少年チアチーム「HEROES」代表)

お~い!元気しちょる?

22年9月7日(水) 20:55

杢元(もくもと)良輔さん(33歳・宮崎市出身・少年チアチーム「HEROES」代表)
東京都・港区にある赤坂小学校。こちらの体育館に今回の主人公の姿がありました。
杢元(もくもと)良輔さん宮崎市出身。
 


少年チアリーディングチーム「HEROES」の代表を務めています。
全国では珍しい男子だけのチアリーディングチーム。

女性チームとの違いは?
(杢元良輔さん)
「(女性より)筋力があるので、跳ばした高さが高いだったりとかジャンプとかもダイナミックな動きがある。その分ちょっと女性と比べると荒々しかったり...良くも悪くも。」

2017年に結成された「HEROES」
メンバーは小学生から高校生までの18人
美しいフォーメーションにアクロバティックな技が特徴

しかし、なぜ男子だけのチアチームを立ち上げたんですか?
(杢元良輔さん)
「女の子たちのチアがたくさんある中で、その中にぽつぽつと男の子たちがいたりするのをみいてて少し肩身がせまそうというのがあったので、じゃあ男子みんな集まれということで練習会をやったのが始まりで、体験会を定期的にやっていたらメンバーもある程度固まってきたので、ちょっとチームにしてみようということで少年チアチームとして立ち上げた。」

チアリーディングで大切な事は・・・
(杢元良輔さん)
「タイミングですね。それが合わないと力が分散しちゃうので、しっかり集まらないと(上に)ちゃんといかないんですよね。」

練習は週に1度。メンバーの個性を活かしながら信頼関係を築くことを心がけています。

良輔さんはどんなコーチですか?
(チームメンバー少年たち)
「優しくて、ダメなところがあったら言ってくれるいいコーチ。」
「にぎやかで、いいひとです。」
「もともと”ショッカーズ”で活躍なさってたので、チアをやっている人からは神の領域です。」

「SHOCKERS(ショッカーズ)」は、早稲田大学男子チアリーディングチーム。
その演技に心打たれ、(良輔さんは)チアの世界に入りました。


 
(杢元良輔さん)
「宮崎ではほとんど見たことなかったので、女性がやってる“ファルコンズ”というチームがあるんですけど、女性のチームの演技でまずド肝を抜かれましたし、さらにチアを男子だけでやっているというところにもうこれしかないなという感じで...すぐもう(チームに)入れてくださいというかんじでした。」

チアを始めた兄について弟の主将さんは・・・
(弟・杢元主将さん)
「えっ?って思いましたね。ん?チア?みたいな感じにはなりましたね。僕も兄もそうなんですけど、高校までずっと野球をやってきて、チアリーディングという競技になじみはあまりなかったんで、しかも男性のチアも知らなかったんで・・・」

早稲田大学のチアチーム「SHOCKERS」ではキャプテンも務めた良輔さん。
2009年には、日本代表としてチアリーディングの世界大会にも出場!
見事!優勝を果たしました。

(杢元良輔さん)
「16人いて、そのうちの1人でしかなくて、主力でも何でもないんですけど、憧れていた日本代表の演技があったので、日本代表に自分が入っているのが不思議な感覚がありました。」

チアに励む兄の姿について
(弟・杢元主将さん)
「かっこ良かったですし、(チアの演技が)衝撃的でしたね。初めて見る演技で。」
 


チアリーディングに励む兄の姿をみて、弟の主将さんも大学に進学後、チアリーディング部に入りました。

(杢元良輔さん)
「いやーもう驚きましたね。割と(弟は)引っ込み思案というか、逆立ちとかやらせてもあんまり怖がってやらないタイプだったので本当に驚いたんですけど、嬉しかったですね。」

バク転やバク宙などアクロバティックな演技が特徴の男子チアリーディング。教えている子供たちにも勇気をもって己の限界を超えていく喜びを感じてほしいと言います。

(杢元良輔さん)
「男子チアって、一歩踏み出す勇気がないとなかなかやれないスポーツだと思うんで、その
一歩を踏み出してきたメンバーたちがやってるということがパフォーマンスの中に反映される部分があるんじゃないかなぁと。その辺を楽しんでいただけるといいのかなぁと思いますね。」

“男子チアの魅力を広めたい”
その思いから2022年4月「HEROES」の宮崎チームを立ち上げました。
指導しているのは・・・弟の主将さん

兄弟でチアの指導できることについて
(弟・杢元主将さん)
「嬉しです。兄も東京で頑張ってることも知ってますし、宮崎でやりたいともずっと言ってたんで。教えることもそうですし、僕自身がまたチアに関わるということがものすごく新鮮でワクワクしてます。」

立ち上げて間もない「宮崎HEROES」
メンバーはまだ2人ですが、一生懸命練習しています。

(弟・杢元主将さん)
「何もできなかった子がバク転とかできるようになって嬉しいですし、何より可愛いですね。」

東京と宮崎2つの「HEROES」

これからの目標は?
(杢元良輔さん)
「一応テーマとして掲げているのは、爽やかな青少年育成と地域貢献というのを掲げているので、今東京のチームがイベントとかで盛り上げるのに一役買えてるなっていう自負ができたので、そのまま宮崎でもやれたらいいんじゃないかなという気持ちがあります。」

(弟・杢元主将さん)
「今こうやって東京は男の子だけでやっていて、宮崎では女の子も入ってきてくれているので、いずれは男女でチームを分けられるまでメンバーが増えてくれたらとうれしいです。」

(杢元良輔さん)
「(東京と宮崎)実は同じ曲とか同じ振付けで練習をやってるんですね。だから『じゃぁ今から集合』と言ったらたぶん(同時に)出来ちゃうんですよ。それがどっかのタイミングで東京と宮崎の両チームが一緒にできるのを楽しみっていうのはあります。」
 

 
宮崎の「HEROES」から東京のメンバーへ
(弟・杢元主将さん)
「東京HEROESのみんな!コロナが落ち着いたら宮崎でぜひ合宿しましょう!」

杢元良輔さんから宮崎のメンバーへ
(杢元良輔さん)
「主将コーチ、宮崎HEROESのみんな!いつか一緒にイベント・練習できるようにお互い頑張っていきましょう!」


#12 DJ SOULJAHさん(DJ)

お~い!元気しちょる?

22年8月3日(水) 20:55

DJ SOULJAHさん(DJ)

 

 

1999年に単身渡米しキャリアを積み、数々のHIPHOPアーティストらと共演。高い評価を受けます。

2013年東京に拠点を移してからも国内外のクラブ・フェスなどで活躍。その世界では広く知られた凄腕のDJです。

 

東京ドームの大幅なリニューアルにあわせて、球場の演出にも力を入れることに。

今シーズンからジャイアンツの“スタジアムDJ”を務めています。

 

(DJ SOULJAHさん)

「初めて(球場に)来るお客さんももちろんいらっしゃいますし、全員が野球ファンだけではないと思いますけども、その方たちにも球場に来る楽しみといいますか、アミューズメント感じゃないですけど、そういうことを音楽で表現できたらなと思ってやってます。」

 

SOULJAHさんが盛り上げるのは、お客さんだけではありません。

選手たちの練習も音楽でサポート

 

選曲はどうやって決めているんですか?

(DJ SOULJAHさん)

「日によって毎回違うんですけど、今日みたいに連戦多い時にはゆっくり始めてとか、誕生日のアーティストや選手がいたらそういう曲をかける時もあったり、それこそ雨降っていたらとかいろいろ考えながら...自分も“10番目の選手”とよく言ってるんですけど、そういう感じになれる。音楽で盛り上がってくれたらいいなと思って。」

 

音楽で選手を盛り上げるDJ SOULJAHさん。

小中学生の時は、ジャイアンツが大好きな野球少年でした。

 

(DJ SOULJAHさん)

「物心ついた時から、一番最初の写真がバット持ってる子なんで中学生の終わりまでは本気でプロを目指して一生懸命やっていたので、その時からやっぱり巨人軍のキャンプを見に行ったりとか初めて見た公式の試合も巨人軍の試合で...」

 

 

筋金入りの巨人大好き野球少年

なぜDJに?

(DJ SOULJAHさん)

「たまたま(野球の)全国大会に行ったり県大会でもそうなんですけど、自分以外のポテンシャルを持った人達を目の当たりにした時にちょっと自分の中で初めて疑問といいますか、自分の中で野球しか知らなかったのでそこで“DJ”との出会いがあったことで、急に今まで(野球に)100%向いていたものがだんだん(DJに)向いてきて」 

 

そのきっかけとなったのが、REAL-DのMASAKI DENONNさんでした。

 

(DJ SOULJAHさん)

「一番最初に生で見たDJがMASAKIさんで、MASAKIさんを見た時にこういう活動やこういう風に曲をかけるんだと知りましたし、その後に(イベントで)ご一緒させてもらったり、アドバイスとか指導をいただけたことは本当に今にも通じるものがあるなと思いました。」

 

当時のDJ SOULJAHさんってどんなDJでしたか?

(REAL-DのMASAKI DENONNさん)

「10代からすごいスキルを持ってて知識も。もうめちゃめちゃ飛び抜けていましたね。宮崎にもいい感じのDJが出てきたなという感じでしたね。その時は。」

 

当時を物語るのが、“95”の背番号

 

(DJ SOULJAHさん)

「“95”これは僕がDJ始めた年です。」

 

その4年後宮崎を離れアメリカへ

 

(DJ SOULJAH)

「もっと世界と言いますか、自分の知らないものを知りたいなっていうとこが、東京のDJもすごいけどアメリカのDJもすごい。じゃあもうアメリカ行くしかないみたいな。動機がそれぐらい簡単といいますか...(アメリカへ)行ってみたら本当にパチッとあったような感じがして、もうすぐ住みたいってなったんで」

 

 

 

DJの本場・アメリカで10年以上に渡り活動したDJ SOULJAHさん。

アメリカの野球場にもよく足を運んだんだそうです。

 

(DJ SOULJAHさん)

「(アメリカの球場は)野球プラスアルファが多かったので、誘われたから行くっていう人たちももちろんいるわけじゃないですか?そういう人たちも楽しめる要素がいっぱいあって、こんなのが日本で出来たら最高だよな!っていうのが本当目の当たりにしたので...」

 

今やその役割を担うSOULJAHさん。

ドームの外で行われたイベントでも会場を盛り上げます。

丁度この日は【Miyazaki Day7月9日】

ドームを訪れていた河野知事と清山市長にも遭遇。

 

(河野知事)

「嬉しいですね。宮崎出身の方が活躍しているとですね。」

(清山市長)

「キャンプでお待ちしております。」

 

イベントを終えたSOULJAHさんは東京ドーム内の専用ブースへ

スタジアムDJの本領発揮です。

間もなく試合開始。音楽でスタジアムに熱気を呼び起こします。

そして、イニング間の音楽などを担当。選手の登場曲も流します。

 

選手の登場曲とかは相談とかするんですか?

(DJ SOULJAHさん)

「例えば練習中にかけた曲を選手が誰の曲ですか?と聞かれてそれを選手が実際使うという例もあったり、あとスクラッチを加えてほしいというリクエストが坂本キャプテンからあったりとか、DJが元となって生まれた楽曲もあるのでそれがすごくいい結果かなと思っています。」

 

この日は、【Miyazaki Day】

必ずかける!ときめていた曲がありました。

宮崎のレゲエバンド“せいごうバンド”の代表曲「千草町1-4」

 

(DJ SOULJAHさん)

「自分がいま(宮崎で)ラジオ番組をやってまして、番組の1周年記念っていうのとせいごうバンド結成25周年ということでリリースさせてもらいました。

バンドリーダーである橘 正剛さんも生粋の“G党”ジャイアンツファンなので、夢が叶った瞬間かなと思います。」

 

(REAL-DのMASAKI DENONNさん)

「DJ SOULJAHは郷土愛が強いというか、宮崎の人を盛り上げようという姿勢がすごく見えるので、素晴らしいと思います。

宮崎でもみんなと優しくつながっていって義理堅く人情味あふれるところも、東京や海外でもその現地の人たちとそういう関係を築いていってほしいですね。」

 

 

宮崎を愛するDJ SOULJAHさん。

これからの目標は?

(DJ SOULJAHさん)

「宮崎でもイベントとかは今できてないんですけど、野球関連で言えば宮崎キャンプとかあるのでそういう時に何かやれたらいいかなーと。」

「東京でも海外でも宮崎県人としてがんばっていけるようにこれからも精進してまいりますので、ぜひ応援の方よろしくお願いいたします。」

#11 松本 哲也さん(劇団 小松台東 主宰)

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22年7月6日(水) 20:55

松本 哲也さん(45歳・宮崎市出身・劇団 小松台東 主宰)

 

東京都・新宿区。

とあるスタジオで行われていた舞台の稽古にお邪魔しました。

聞こえてきたのは・・・

“宮崎弁のセリフ”

 

この舞台の作・演出を手掛けるのが今回の主人公 松本哲也さん 宮崎市出身

東京の劇団 小松台東の主宰を務めています。

 

 

これは何という舞台?

(松本 哲也さん)

「タイトルは『山笑う』という。宮崎市にある兄妹がおりまして、女手一つで兄妹を育てたお母さんが亡くなりその通夜の晩の一夜のお話なんですけれども...東京で自由に暮らしていた妹が帰ってきたという。それでお兄ちゃんとの確執だったりそういうようなお話しですね。」

 

宮崎の家族をテーマにした舞台『山笑う』。

キャストは東京の劇団「ゴツプロ!」のメンバーを中心とした実力派俳優たち。

皆さん関東・関西の出身ですが・・・

 

(舞台セリフ)「遠慮せんで言ってくださいねぇ。お皿取り分けて持ってくることもできますから。」「いいっていっちょっちゃかい。」「じゃ、持ってきっちゃうがこっちん。」「大丈夫ですがぁ。」

 

宮崎弁お上手ですね!

 

こんな出演者も・・・

しずちゃん(南海キャンディーズ)こと山崎静代さん

久しぶりに宮崎に帰ってきた妹・菜々役を演じます。

 

最初このオファーを受けた時どういうお気持ちで?

(山崎 静代さん)

「いいんですか?って感じですごい嬉しくて。」

宮崎弁どうですか?

(山崎 静代さん)

「はい。あのー難しいですね。」

(松本 哲也さん)

「しずちゃんお上手ですよ。宮崎弁。」

 

2017年にも公演したという舞台『山笑う』

別の劇団から「ぜひ、一緒にやりたい」とオファーがあったんだそうです。

 

(松本 哲也さん)

「東京で活動しているゴツプロ!さんという団体が新しく企画・ユニットみたいな【BOND52】を立ち上げて、それの第1回目の公演ですね。」

 

 

プロジェクトを立ち上げたのがこちら!

“ゴツプロ!の俳優・浜谷 康幸さん”

 

(浜谷 康幸さん)

「普段のゴツプロ!がやっている舞台とは違うところと一緒に組んでやりたいなというところで、(山笑うの)台本を読ませていただいて、是非これでやりたいな。ということで。」

 

松本さんはどんな演出家ですか?

(浜谷 康幸さん)

「勉強になる所もありますし、なるほどなと思う所もいっぱい。」

 

(ゴツプロ!・塚原 大助さん)

「細かく辛抱強くやるっていうことが、やっぱまれにみる“演出の力”がある人ですね。」

 

松本さんの作品の多くは“宮崎弁”

脚本には宮崎県人なら共感できるような場面も

 

(舞台セリフ)「九州新幹線開通したと思ったらさ、宮崎通んないの。びっくりした。」

「大分だって通ってねぇが!」

 

宮崎弁にはとことんこだわります。

 

(松本 哲也さん)

「大分だって通ってねえが! “ねえが!”をもっと強く。」

 

(浜谷 康幸さん)

「(宮崎弁)難しいです。めちゃくちゃ難しいです。本番までには仕上げたいなと思います!」

 

淡々とかつ丁寧に演出する松本さん。

 

高校時代はどんな生徒でしたか?

(日大高校レスリング部・長倉監督)

「高校3年時にキャプテンをしていまして、メリハリのある練習計画を立てたりチームの輪づくりに貢献してくれました。」


レスリングに打ち込んだ高校時代

(松本 哲也さん)

「嫌いじゃなかったと思います。みんなをまとめたり引っ張っていくというのは。」

 

 

レスリングに打ち込んだ高校時代

高校卒業後は映画の専門学校に進むため上京を。

 

演劇をしたいから上京したんですか?

(松本 哲也さん)

「いや!なんにもないです。目的は無くただ漠然と東京に出たいってだけです。」

 

(日大高校レスリング部・長倉監督)

「若かったし、何度でもやり直しはきくかなと思って、(上京の)後押しはしました。お笑い芸人もやってたみたいですけど。」

 

(松本 哲也さん)

「外のオーディションでも受けてみたら?みたいなことを専門学校の講師の先生に言われたからそれで受けたら合格して、お笑い芸人として何年か活動させてもらって...」

 

しかし・・・

 

(松本 哲也さん)

「家が電気工事関連の会社を経営していまして、父が亡くなって宮崎に戻ってきたんですけど。東京に出たのも中途半端な気持ちで出てるからやっぱり戻ってきたし、戻ってきたときもそこまで覚悟を決めれずに戻ってきてるから、またすぐ(宮崎が)嫌になって東京に戻るんですけどね。」

 

26歳の時に再度上京

芸人時代の経験を活かし構成作家などとして活動します。

そして2010年 劇団「小松台東」を旗揚げ。本格的に演劇に取り組み始めました。

 

(松本 哲也さん)

「33歳から『これでダメだったらやめよう』くらいの覚悟で演劇を始めたので、ウソ偽りなく書ける脚本を書こうと思ったらそれが高校時代のレスリング部の話だったんですよ。ということは、必然的に宮崎弁。だから宮崎弁で芝居するし、“小松台東”でいいかなと思って。

地方をちゃんと背負った物語をとことん考えて脚本を書いていくべきなんじゃないかと思って、ずっと続けていこうと思います。宮崎弁での芝居は。」

 

(レスリング部)恩師の長倉先生も教え子の活躍に期待しています。

 

(日大高校レスリング部・長倉監督)

「郷土愛が強いからこそ宮崎弁の舞台をやる。宮崎に誇れる舞台にしてほしい。」

 

 

宮崎の皆さんへ

(松本 哲也さん)
「宮崎の皆さんにもっと作品を見てもらえる機会が増えるような劇団としても作家としても宮崎を題材としたドラマも作りたいと思いますので、楽しみに期待していただければと思います。どっかで皆さんに会えるのを楽しみにしております。」

#10 ニキ・リヤナゲさん(プロダンサー)

お~い!元気しちょる?

22年6月1日(水) 20:55

ニキ・リヤナゲさん(25歳・宮崎市出身・プロダンサー)

 

東京・豊島区。JR目白駅のすぐ近くにあるスタジオに

今回の主人公の姿がありました。

 

 

宮崎市出身の母とスリランカ出身の父との間に生まれたニキさん。

宮崎日大高校を卒業後、ダンスインストラクターなどを経て4年前に上京。

プロダンサーとし活動しています。

 

ダンスチームのメンバーでもあるニキさん。

週に5日、毎日8時間ダンスの練習に打ち込んでいます。

 

今は何に向けて練習しているんですか?

(ニキ・リヤナゲさん)

「今は、D.LEAGUE(ディー・リーグ)の最終戦に向けて練習している最中で...」

 

2021年1月に開幕した“D.LEAGUE”

ストリートダンスの発展・普及を目的とした世界初のプロダンスリーグです。

現在2シーズン目。11チームが参戦しています。

ニキさんが所属しているチームは

『LIFULL ALT-RHYTHM(ライフル アルトリズム)』

 

今シーズンからD.LEAGUEに参戦した”LIFULL ALT-RHYTHM“

チームのコンセプトは?

(ニキ・リヤナゲさん)

「コンテンポラリーとストリートダンスの融合という形でアルトリズムは進めています。

ジャンルの枠にとらわれない新しいアルトリズムだけのスタイルを作っていこうというチームになります。」

 

 

メンバーはディレクター・レギュラーダンサーの11人で構成。

個性的なダンサーが集まっています。

 

それぞれ得意なダンスがあるメンバーたち

ニキさんのスタイルは?

(ニキ・リヤナゲさん)

「私は、“フリースタイル”と言っていろいろブレイキンとかソウル、ポッピン、ロッキンみたいなジャンルをいろいろやってました。」

高校時代は宮崎でロッキンチーム「FUNKTION」として活動

 

ニキさんってどんなダンサーですか?

(ダンスリーダー calinさん)

「同じ振付けを踊っていても、一人光って見えるというか。上手いダンサーとかかっこいいダンサーは体に対しての顔のつけ方がすごい上手い・かっこいい人が多いんですけど、ニキはそんな気がします。」

 

(ディレクター・野口 量さん)

「お客さんであったりとか人がいることでスイッチがパチンと入る。いろんなタイプに化けられる素晴らしいダンサーです。」

 

その一方で・・・

(他メンバーから)「めっちゃ頑固です。負けず嫌い。」「信じられないくらい“天然”」「ムードメーカー的な存在で愛にあふれた人です。」

 

天真爛漫なニキさん。

幼いころから踊るのが大好きだったといいます。

 

(母・詩乃さん)

「音楽がかかったら体を動かして、父親と2人で一緒に踊っていたというのがあって、それで5年生になった時に一緒のクラスになった子の親御さんが一緒に始めないかと声をかけてくださって。それからはもう水を得た魚のようにもうバンバンとダンス一筋でいくようになりましたね。」

 

宮崎で多様なダンスを学んだニキさん。

県内外のコンテストにも出場するなど経験を積んできました。

 

 

2017年福岡県で行われたソロダンスバトルで優勝

(ニキ・リヤナゲさん)

「東京に出てくる前に、一度ソロバトルで優勝したんですけど福岡で。それ以外にもアーティストさんのバックダンサーを地方にいたけどやったり、いろいろして向こうにいながらも経験は自分なりにしていました。」

 

そして4年前大きな転機を迎えます。

 

(ニキ・リヤナゲさん)

「東京来る前にアメリカに行ってたんですけど、その時に“ダンスやっぱ楽しいな”と思って、自分のスキルを磨いたり知名度を上げたりというのを今したほうがいいかなと思ったから東京に上京しました。」

 

娘の決意にお母さんは...

(母・詩乃さん)

「あーもう行って行って!みたな感じですね。やっと行けるね!って感じですね。心配やないと?といろいろ周りから言われるんですけど、それはどこに行っても一緒ですわ。宮崎にいても東京にいてもニューヨークに行っても一緒だし。心配するのが私の役目でもあるわけやし。」

 

 

上京してからは、インストラクターやアーティストのバックダンサーなどを務めてたニキさん。そして去年「D.LEAGUE」という新たなステージへ。

 

(ニキ・リヤナゲさん)

「(D.LEAGUEは)レベルが高いが当たり前と思って見てたし、ラインを超えたところでも戦ってるというか、でもそこから更にどう自分をもっていけるか。みんな個人でも戦ってるし、チームでも戦ってるしというそういうイメージがあります。」

 

 

チーム練習を終え、やってきたのはガード下の空きスペース。

 

ここで何するんですか?

(ニキ・リヤナゲさん)

「ここでいつも練習やってます。何も気にしないで一人でずっと踊ってます。」

 

振付けなしのフリースタイル

音楽に合わせて自由に踊ります。

 

(ニキ・リヤナゲさん)

「“毎日もうひたすら自分は5時間練習します”みたいな人もいると思うんですけど、私はそれをしているとダンスが嫌いになっちゃいそうだなと。楽しいとずっと踊っちゃいます。」

 

本当にダンスが好きなんですね。

 

【プロとの葛藤】

(ニキ・リヤナゲさん)

「やばいダンス楽しくないかもと思った時期もめっちゃこの1年でありましたし、自分はこの踊りみたいなのを持ってる人が多かったから、やっぱ自分は今までいろんなジャンルをやってて、ちゃんと自分の魅力を出せてるのかな?みたいな。」

 

そんな娘にお母さんは?

(母・詩乃さん)

「なかなかアルトリズムの世界観の中で踊れるということはないだろうなと思って、それで十分頑張ってるっちゃが!って」

 

(ニキ・リヤナゲさん)

「やっぱお母さんに言われる言葉って安心するし、また元気もらえるっていうか。お母さんと電話する時はホロリ(涙)となることが多いですね。いつも。」

 

 

宮崎が大好きなニキさん。ふるさとへの思いは?

(ニキ・リヤナゲさん)

「宮崎で生まれて良かったなっていうのは凄いあります。すごいみんないいダンサーとかが多いんですよ宮崎。絶対みんなチャンスあるはずやし、自分で切り開いて進んでいく姿を見せることができればと思ってます。」

 

宮崎のお母さんから東京の娘へ

(母・詩乃さん)

「ダンサーとして生きて行ってくれることが私の誇りでもありますし、楽しみでもあります。頑張ってね!これからも!」

 

(ニキ・リヤナゲさん)

「本当にいつも応援してくれてありがとうございます。これからも自分らしく頑張っていくので、引き続き温かく見守っていてくれたらと思います。いつもありがとうございます。」

#9 谷口兄弟(ステーキ&バーSANKYU)

お~い!元気しちょる?

22年5月4日(水) 19:55

谷口 大輝(だいき)(40歳・串間市出身・ステーキ&バーSANKYU オーナー)
谷口 陽(よう)(31歳・串間市出身・ステーキ&バーSANKYU 調理担当)

 

東京・世田谷区の池尻大橋。
個性あふれる隠れ家的な飲食店が点在するエリアで兄弟で飲食店を切り盛りしています。

 

 

「ステーキ&バーSANKYU」
お店のコンセプトは?
(オーナー・谷口 大輝さん)
「気軽に宮崎牛が食べれるお店というか、お酒一杯だけでもお肉だけでもとかそんなフランクなお店ですかね。」

 

お店で出しているのは、二人の兄・兼光さんが育てた宮崎牛。
自慢のメニューは“宮崎牛のカルパッチョ”宮崎産の甘めの醤油がかかっています。

 


(調理担当・谷口 陽さん)
「牛のカルパッチョっていうのをたぶん皆さん食べたことない人が結構多いんで、シンプルに間違いない(味)ですね。めちゃくちゃ美味しい。」

 

“宮崎の炙り肉寿司”

 

(調理担当・谷口 陽さん)
「軽く炙るので、ほどよく脂もまた溶けて、小さめのシャリとお肉と、宮崎の刺身しょう油にとろみをつけて上にチョロっと。これだけ食べにくるお客様もいます。」

 

一番人気のメニューは?

 

(調理担当・谷口 陽さん)
「ランプ・サーロイン・フィレの3種盛です。」

 

“宮崎牛ステーキ3種盛り合わせ”
食べ応えのある赤身ランプ肉、脂が甘くとろけるサーロイン、さっぱりいただけると女性に大人気のフィレ。3種類の部位がリーズナブルに楽しめる人気メニューです。

 

(お客様)
「めっちゃ柔らかくてジューシー!」

 

(調理担当・谷口 陽さん)
「日本一なんで!宮崎牛は。みんなにもっと知ってもらいたいですね。」

 

スタッフの雨森さん。このお店に惚れ込みアルバイトするようになりました。

 

(アルバイト 雨森さん)
「テレビでたまたま、宮崎牛がクローズアップされている番組を見たことがあるんだけど、(東京では)すごく高いの。100グラムで1万円超えとか普通のステーキで。なのにここだと安いでしょ。そう考えるとすごい安く美味しいものをこうやって広げるために提供してくれてるんだなと、その気持ちがやっぱり伝わりました。」

 

(オーナー・谷口 大輝さん)
「松坂牛・佐賀牛とかと比べてブランド的にまだ弱いので、ただ物自体(肉質)は変わらないというか、もっと美味しいかもしれないし、そういう面では自信を持ってるんで、値段的にも安くして皆さんに気軽に宮崎牛を知っていただけたらなとは思ってました。」

 

ところで
なぜ、東京でお店を開いたのですか?
(オーナー・谷口 大輝さん)
「なんの根拠も自身もなく、勢いで出店しましたね。最初は。
オープンの1週間前か3日前に初めて親に電話して...実はこういうこと(出店すること)になったよ!というのが12年前ですね。(親は)びっくりしてたし、心配はしてましたね。」

 

(二人の兄・兼光さん)
「心配でした。東京でね、やっぱりすごい飲食店が並ぶとこで、そしてまた宮崎牛で勝負するっていうので、すごい期待もあったけど期待以上に心配の方が本当に大きかったです。」

 

 


お店をオープンしたのは、12年前(2010年3月)
その矢先2010年4月に口蹄疫が発生。宮崎の畜産業が窮地に陥っていました。しかし...
(オーナー・谷口 大輝さん)
「この池尻っていう街が、小っちゃい村というか小っちゃい街なんで、逆にそのオープンして来てくれた常連さんとかが(宮崎のことを)気にしてお店に来てくれたり、実際コロナの時も元々常連さんがついてくれていたり、そういう部分では助かりましたね。」

 

今では東京で4店舗を経営する大輝さん。
そんな兄を“支えたい”と弟の陽さんもお店で働くようになったといいます。

 

陽さんがやるとなってどうでしたか?
(オーナー・谷口 大輝さん)
「いや、うれしかったですよ。やっぱり!頑張ってくれるのを分かっていたので。」

 

陽さんにとって大輝さんはどんな存在ですか?
(オーナー・谷口 大輝さん)
「頼りになる兄貴というか...東京に兄弟が他にもいるので、東京のトップじゃないですけど」

 

他にも兄弟がいる!?3人兄弟では?
(二人の兄・次男 兼光さん)
「9人兄弟姉妹です!僕が2番目で大輝が3番目、陽が8番目ですね。男の中で一番下の末っ子です。7男2女ですね。野球チームができるって昔からほんと言われていました。」

 

 
兄弟姉妹の仲は?
(二人の兄弟・長男 大海さん)
「昔からなのですけど“年功序列”というか、兄が間違ったことを言ってもそれが正しくなってしまう家族でしたね。」

 

(オーナー・谷口 大輝さん)
「年の近い兄弟とケンカをよくするので、僕は次男の兼光と。高校で同じ野球部に入って寮に入ったので親元離れてことで兄のありがたさ・心強さをすごく感じました。」

 

7男2女の谷口兄弟姉妹。大人になった今では?
(調理担当・谷口 陽さん)
「一言でいうとみんな“仲のいい兄弟姉妹”」

 

(二人の兄・長男 大海さん)
「ほんとに仲いいですね。ひとりひとり誰かが辛い時はみんなが寄って来てくれるのがうちの兄弟姉妹ですかね。」

 

(オーナー・谷口 大輝さん)
「コロナ禍の最中でもしょっちゅう連絡きたり、心配してくれたり、応援してくれたり、他の人が言ってくれないことをちゃんと言ってくれたりとかもしてくれるので、兄弟姉妹の愛は感じます。」
 
離れていても兄弟姉妹“家族の絆”で繋がっています。

 

大輝さんと陽さんのこれからの夢は?
(調理担当・谷口 陽さん)
「SANKYUをもっと大きく、店舗も増やして。例えば飲食店だけじゃない事業ももしかしたらとか...その為にも兄貴のサポートなど、兄貴ができない事を僕ができたらなと。」

 

(オーナー・谷口 大輝さん)
「支えてくれている従業員とかスタッフもいっぱいいるので、目の前の近くにいる人たちから幸せに出来たらなというのはありますね。」

 

串間の家族へ
(オーナー・谷口 大輝さん)
「ほんと感謝しかないし、みんなのおかげでこっちも頑張れているのがあります。まだまだ僕に刺激をください。」

 

(調理担当・谷口 陽さん)
「帰った時は、9人きょうだい家族11人。みんなでまた宴会して楽しみましょう。」

 

串間市の家族から東京で暮らす兄弟へ
「大輝、陽、いまコロナ禍で大変ですけど、これからまた一緒に頑張っていきましょう。また兄弟みんなで集まれる日を楽しみにしています。待ってるよ~!」

 

 

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