お~い!元気しちょる?

#4 sakkoさん(シンガー)

お~い!元気しちょる?

21年12月1日(水) 20:55

sakkoさん(国富町出身・シンガー)
レゲエバンドONE GRAM(ワングラム)ボーカル

 


ONEGRAMは、レゲエを基調にジャズ・ソウル・ディスコなどのエッセンスを取り入れ、都会的でメローなサウンドが特徴。若者のまち渋谷でクラブやライブハウスを拠点に活動している注目のバンドです。

 

sakkoさんは幼いときから歌うことが大好きだったと言います。

 

(sakkoさん)

「小学校入る前やったと思うんですけど、祖母が歌いなさいって、地元の敬老会で歌いなさいって言われて歌った。ティッシュにくるんだお金がいっぱい飛んできました。」

 

歌い終わったときの拍手が忘れられず人前で歌うことにハマったのだそうです。

そして、高校生の時、人生を決定付ける音楽に出会いました。

 

(sakkoさん)

「もともと私の地元の先輩とか幼馴染のお兄さんたちがレゲエというレコードを回したりするサウンドをやっていたりして、自然に身についたというか入ってきたというか」

 

 

レゲエの魅力は?

 

(sakkoさん)

「ゆるさ。一番聞いていられる。歳とってからもずっと聞いていられると思う。」

 

高校卒業後、1年間アルバイトをしてお金を貯め、19歳で上京。
プロのミュージシャンになるため、東京での生活を始めます。

 

(sakkoさん)

「音楽やりたいからというので、いま東京にとどまっている理由も音楽なので、音楽をやっている人たちも多いし楽しい。」
「(上京するとき、母は)私が、何を言われても聞かないと思っていたのでしょうね。行きたいなら自分でどうにかして行けば…みたいな感じだったと思う。」

 

大都会で諦めずにやってこられた理由は?

 

(sakkoさん)

「人に恵まれたのだと思います。やっぱり周りの人たちに、ONEGRAMのメンバーもですし、要所要所ですごい人に恵まれたと思っています。」

 

レゲエへの熱量は誰にも負けないというsakkoさん。自分自身が楽しむことが一番。
『Jaga Jaga』は地元宮崎への思いを込めて作った歌です。

 

(sakkoさん)

「地元の宮崎とジャマイカをリンクさせて、似ている感じがあるので、太陽の下で歌って遊べ!みたいな感じで書いたのだと思う」

 

4年間に行った地元・国富町でのライブは忘れられないといいます。

 

(sakkoさん)

「一番最初に歌いなさいって言ってた祖母が4年前くらいに亡くなったのですけど、祖母が亡くなる半年前くらいに国富でライブをやっていて、祖父母も見に来てくれたのですけど、私が生でバンドをやっているのを見た最初で最後になってしまった。でも見せられてよかったと思って。」

 

Sakkoさんの活動拠点は渋谷。メインストリートから少し離れた界隈はクラブやカフェが並ぶお気に入りのストリートです。

 

(sakkoさん)

「ここが自分たちが2か月に1回レギュラーイベントを開催しているクラブです。今年は結構ずっと出来なくて、去年もですけど、やっと最近再開した感じです。」

 

渋谷の魅力は何ですか?

 

(sakkoさん)

「若者のまちというイメージもありますけど、渋谷に根付いているカルチャーというか、音楽の先輩もたくさんいますし、刺激の街でもあるかもしれないです」

 


渋谷の街と人がsakkoさんを育ててくれています。

 

これからの夢は?

 

(sakkoさん)

「海外でもライブをやりたい。もちろん、国内も行っていないところがたくさんあるので、いろんなところに歌いに行きたい。ONEGRAMというバンドを知ってもらいたい。」

 

#3 吉野北人さん(THE RAMPAGE FROM EXILE TRIBE)

お~い!元気しちょる?

21年11月10日(水) 20:55

吉野北人さん(24歳・小林市出身・THE RAMPAGE FROM EXILE TRIBE)

 

THE RAMPAGE FROM EXILE TRIBEのボーカル担当。
2017年にメジャーデビュー。
翌年には俳優デビューを果たし、映画で主演も務めました。

 

 

そんな吉野さんは小学校の頃から歌うことが大好きだったんだそうです。

 

(吉野北人さん)

「小さいころから歌は大好きで、家族の前とかおばあちゃんの前で歌ってたりしてはいたんですけど、本格的に歌をやろうと思ったのは高校生の時にEXILEみたいになりたいと思って、本格的に歌手になろうと思いました。」

 

そして、EXILEが所属する事務所主催のオーディションを受けることを決意。

 

歌の練習をしていた場所は?

 

(吉野北人さん)

「地元のメロディというカラオケ屋さんに毎日行っていました。毎日録音して、それを聞いて、自分なりに練習しました。」

 

オーディション会場の大阪までは両親が付き添ってくれました。

 

(吉野北人さん)

「歌っているときに緊張して押しつぶされそうだったんですけど、親がここまで送ってくれたということもあるし、無駄にしたくないという想いで、一生懸命歌おうと思った。本当に支えられたなという感じ。」

 

17歳のとき、見事、3万人の中から選ばれ、RAMPAGEのボーカルとしてデビューを果たしました。

 

(吉野北人さん)

「デビューする前が一番大変でした。いろんな面で、15人のメンバーについていくのも必死でしたし、宮崎と東京という環境の違いも大きかったので、いろんなギャップに押しつぶされそうになりましたけど、諦めずにがむしゃらにやっていたらデビューにたどり着いて今こうやって活動できているので、諦めずに頑張って良かったと思います。」

 

 

「EXPGスタジオ宮崎」のダンスインストラクター・K-SUKEさんに、吉野さんとの思い出の場所を案内してもらいました。

ここはダンススタジオの中にあるボーカルルーム。

 

(K-SUKEさん)

「ここは北人と一緒によく話をしたり、夢語ったり、音楽について話したり、二人でここで筋トレとか腕立てとかをやっていましたね、当時。歌はすごく練習していました。1日中この部屋で朝から夜までずっと練習していたと思います。大人しいけど芯はしっかりしているんですよ。負けず嫌いな部分がめちゃくちゃあって、そこはずっと感じていました。いつか、ブレずに成功してもらいたいなというのはずっと思っていました。」

 

大人気のグループの中で活動の幅をどんどん広げている吉野さん。

 

歌、踊り、演技、表現する上で心がけていることは?

 

(吉野北人さん)

「こういう風にしたら伝わるかなとか、こういう風にした方がもっと入りやすいかなとか、常に人目線でいることで感情も入りやすいですし、一番は人の目線というところを、何をしたら喜んでくれるだろうというところを意識しています。」

 

歌手に俳優と、幅広く活躍する吉野さん。

 

ふるさと小林の思い出は?

 

(吉野北人さん)

「散歩が好きで、散歩とかよくするのですけど、ふと空を見上げたときとか、街中でキンモクセイの香りがすると当時の記憶がよみがえってくるというか。小林は星空がすごくきれいで、ぼくは当たり前だと思っていたのですけど、小林に運動公園があるのですけど、そこが結構高台になっていて、すごい星空がきれいに見えるのですけど、夜とか一人で階段あがって星空を眺めていましたね。」

 

ふるさと小林の自慢は美しい星空。

EXPGスタジオ宮崎のK-SUKEさんにも思いを語っていました。

 

(K-SUKEさん)

「彼がRAMPAGEのメンバーのみんなを小林に一度連れてきたいという話を僕にしてくれていて、小林の星をみんなに見せたいんですよと言われて、その時グッときて、彼の純粋さに感動して。純粋なままアジアを代表するアーティストになってもらいたいと思います。」

 

吉野さんは。

 

(吉野北人さん)

「どれだけいい環境で育ってきたのかということを実感したので、宮崎のきれいなものや自然をメンバーにも見てもらいたい。自然のパワーって本当にすごいので、悩みもちっぽけに思えてしまうので、小林の星をメンバーと一緒に見ることに意味があると思うので、いつか見たいですね。」

 

吉野さんにとってK-SUKEさんはどんな存在ですか?

 

(吉野北人さん)

「アーティストとしての歌やダンスのスキルもそうですけど、人としての在り方というか人間的な部分をすごく教えてもらったので、K-SUKEさんには感謝しています。」

 

K-SUKEさんは?

 

(K-SUKEさん)

「僕は友達と思っているんですよ。頑張っている友達に僕もパワーをもらう。彼がキラキラしていると自分も負けたくないし嬉しいし頑張らなくてはいけないと思うから。」

 

ダンススクールの生徒さんたちからも嬉しい贈り物が届きました。

 

(吉野北人さん)

「嬉しい。今できることを一生懸命やって夢に少しでも近づけるように頑張ってもらえたらと思います。だから僕も、皆さんが頑張れるようにしっかりと活躍して大きな背中として見せられるように頑張りますので、お互い一緒に頑張ってきましょう。ありがとうございます。」

 

 

最後に宮崎のみなさんにメッセージを。

 

(吉野北人さん)

「僕もこれからの活動を通して宮崎にたくさん恩返しをしたいですし、僕が活躍することによって宮崎もきっと盛り上がると思うので、一生懸命いまの仕事と向き合って頑張っていきたいと思いますので、こういう大変な状況ですけど一緒に頑張っていけたらなと思います。温かい応援よろしくお願いします。」

#2 市元亮さん(パーソナルトレーナー)

お~い!元気しちょる?

21年10月6日(水) 20:55

市元亮さん(23歳・国富町出身・パーソナルトレーナー)

 

ビヨンドジム(東京)所属

週5日・多い日は1日10人を受け持つ人気トレーナー

 

 

亮さんって、どんなトレーナーですか?

(お客様)

「キツイときに自分では無理無理と思っているのですけど、市元さんがポジティブに声をかけてくれるので、めちゃくちゃモチベーションもあがるし、楽しくできます。」

(同僚)

「市元くんのインスタグラムを見て、“いいな、かっこいいな”と来てくれるお客様も結構多くて、インスタグラムなど発信するツールを使うのが得意なので、そういったところからも集客できているいいトレーナー。」

 

そんな亮さん、高校を卒業し専門学校に通った後、宮崎市で消防士として働いていました。

消防士として身体を鍛えるために通い始めたジムで、人生をかえる出会いがありました。

 

(市元亮さん)

「ジムの会長にトレーニングとか習う過程で、“亮くんは競技に出たほうがいいんじゃない?“と誘っていただいて、それでフィジークに挑戦してみようかなって。」

 

“フィジーク”とは、海でサーフパンツが似合う身体をコンセプトとして始まった競技。

求められるのは、肩と背中、ウエストのシャープなⅤライン。

ビーチでかっこいい!といわれるような逆三角形の身体です。

ボディビルほどの筋肉量は求められないので、若者を中心に人気が高まっています。

 

(市元亮さん)

「競技の楽しさというか、毎年毎年自分の最大限のパフォーマンスができる、身体を作っていく過程も楽しいですし、のめり込んでいった。」

 

 

 

フィジークでナンバーワンになることを目指し、消防士をやめてまで上京した亮さん。

 

宮崎の家族は・・・

 

(母)

「“お母さん、僕消防士をやめるかもしれん”って言われて、考えたんですけど、人生を親が変えるわけにはいかないので。」

(兄)

「親含め周囲は最初、消防士をやめるとなったときは、大分反対していたと思うんですけど、東京に行くなら最後まで妥協せずにやってこいという感じだったので… (弟に一声かけるとすれば)日本一になるまで帰って来るな。」

 

しかし、トレーナーとしての日々を送る中で心境の変化が訪れます。

 

(市元亮さん)

「いままでは、競技をやって優勝したらその先に何かがあると思っていたんですよ。ただ実際こっちに来て、情報とかいろんな人と会って話を聞くと、自分のやりたいことであったり目標というのが明確に出てきたので、トレーナーの方が優先順位は圧倒的に高い。」

 

一流のトレーナーになるという新たな目標を持った亮さん。

 

 

 

 

大切にしていることは?

 

(市元亮さん)

「僕の好きな言葉は“出会い”、自分が何かを必要としているときにそれに適した人が周りにいてくれるというのが、自分の中でいいことだなと思っていて、こういったジムで働きたいと思ったらお声がけ頂いたりもしますし。」

 

通勤は自転車です。

食事はほとんど自炊。筋肉量を維持するためたんぱく質を多く取るようにしています。

この日のメニューは「鶏胸肉の塩麹炒め」と「ほうれん草の卵とじ」。

 

(市元亮さん)

「このお米、おじいちゃんとおじちゃんが作ってくれる美味しいお米なので、すごく感謝している。」

 

分量もしっかり量ります。”亮さんの筋肉飯”。出来上がりました。

 


(市元亮さん)

「めっちゃうまい。塩こうじに浸けると柔らかくなるので、食べやすいですよね。」

 

たまにお母さんの手料理が恋しくなるといいます。

 

(市元亮さん)

「母親の料理だとハンバーグが好きですね。あとはパンケーキ好きなんですよ。小さいころ母親がよく作ってくれたんですけど。」

 

(母)

「ハンバーグは多いときは5個6個くらい食べてましたね。食べることが大好きなので、帰ってきたら思う存分好きなものを作ってあげたいと思います。」

 

 

亮さんの将来の夢は?

 

(市元亮さん)

「トレーナーとしてしっかり活動しながら、宮崎で事業をしたいなと、こっちで学んだ知識や技術を宮崎でもっと広めて、これから活躍するであろう子供たちのサポートをするのもいいし、健康寿命を上げるような事業を展開していけるように、これから頑張っていきたい」

 

国富の家族も、その夢を応援していました。

 

(兄)

「トレーナーとして頑張るとなったら、信じて応援するだけですよね。」

(母)

「身体が資本の仕事です。頑張ってください。応援してます。」

 

亮さんからふるさとの家族へ

 

(市元亮さん)

「東京に来て色々迷惑かけたり、不安なところもあるとは思いますけど、一生懸命こっちで頑張っていきたいなと思っていますので、見守っていただけたらと思います。 これからも頑張りますので応援よろしくお願いします。」

 

 

#1 黒木渚さん(シンガーソングライター)

お~い!元気しちょる?

21年9月1日(水) 20:55

黒木渚さん(日向市出身・シンガーソングライター)

2012年「あたしの心臓あげる」でデビュー
2014年 ソロ活動スタート、

      すべての楽曲の作詞作曲を手掛ける
2015年 小説家デビュー
2021年 7月7日 ニューアルバム

      「死に損ないのパレード」リリース




黒木渚さんってどんな人?

中高一貫校を卒業後、福岡の大学へ進学。
大学院卒業後の就職先は、福岡県内の市役所でした。
そこで働きながらバンド活動を行っていたといいます。

(黒木渚さん)
「ワンマンライブをやって
 その時私たちが集められた精一杯100人の

 ライブハウスでライブをしたときに、
 すごく高まったものがあって。自分の中に。
 この100人を、もし九州から引っ張り出して
 武道館に連れていくことができたら

 すごく楽しいかもしれないっていう、
 そのひらめきで、その場で言っちゃったんですよ、

 “みんなで武道館に行こうよ。
 連れていくから見ててね”って約束して。

 それを実現するために、地方で活動してるんじゃ
 勝てないと思って東京で勝負しようと。

 すごくガツガツした気持ちで上京してきていたので
 すべてが新鮮でした。

 公務員という仕事からいきなり
 クリエイティブな世界に飛び込んできたので

 昨日まで真面目に(市役所で)事務をやってたので、
 今日MV撮影で頭の上から大量の血のりを浴びている
 みたいなギャップがすごくて」




作曲は主にギターで行っています。
曲作りには秘訣があるそうです。

(黒木渚さん)
「主要なワンフレーズができたら
 そのまま寝ちゃうんですよ。記録せずに。
 それで、次の日の朝思い出せたら良い曲」

これまで4枚フルアルバムをはじめ、
多くの楽曲と小説を世に出してきた渚さん。
しかし2016年、
ミュージシャン生命を脅かす病に侵されます。
発声障害で声が出なくなったのです。

(黒木渚さん)
「一度降参のポーズをとりました。
 粘って粘ってダメだったとき、しばらく腐って、
 そのあともうダメだってなって。

 周りの人たちが“あなたはステージから降りちゃダメ”と
 引き留めてくれたり、その場を動かずにちゃんと
 待っていてくれたファンのみんな。

 声を失ったシンガーに義理立てする必要ってなくて、
 待っていなくていいのに、

 きちんと待っている人がいるというので、
 それが立ち直るきっかけでした」




ファンに支えられ、挫折を乗り越えて作った曲
「心がイエスと言ったなら」

(黒木渚さん)
「私自身が2016年から喉を病んで、それ以降
 頑張っている人に対しての入れ込みようがすごくて、
 応援できるような気持にも、ようやく私が挫折から
 這い上がって
いま誰かを応援したり抱きしめたり
 することができる余裕が出てきたので、
そういうものを
 作ろうかなって。」



渚さんにとってふるさと宮崎は心のよりどころ

(黒木渚さん)
「やっぱり地方から出てきて
 東京で勝負するっていう人たちが持っているふるさと、
 お守りみたいなものだと思うんですけど。
 戦う理由とか戦いにもし敗れたとしても帰る場所がある
 という安心感そのものだと思います。」




ミュージシャンになるといった時の家族の反応は?

(黒木渚さん)
「母は割とあなたが決めたんだったら
 しょうがないという感じ。」


しかし、渚さんの祖母は、2,3日寝込んだといいます。

(黒木渚さん)
「上京してきてから半年くらいは電話かけられなかった
 です、おばあちゃんには。申し訳なくて。

 そうこうしているときに全国区のテレビの仕事が入って
 きて、それ見てちょっと安心したみたいで。

 今は全力で応援してくれていますね。」



東京で活躍する娘を日向から応援するお母さん。
新曲のCDについている
渚さんデザインのTシャツを日替わりで着ています。


渚さんからお母さんへ

(黒木渚さん)
「不安いっぱいの中で旅立った私ですが、
 東京で9年目、音楽と小説で仕事ができています。
 周りにもたくさん支えてくれる人ができて、
 幸せにやっています。
 必ずお母さんを武道館に連れていきたいなと思っている
 ので、
これからも応援よろしくお願いします。」



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